人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン 海上
------------------------------------------------------------------------
「……私のこと、見捨てたりしませんよね?」
「――」
ライが思わず押し黙ったのは、その言葉のうちに何か淀みのようなものを嗅ぎ取った
からだった。ナメるな、そんなんで僕は騙されたりしない……散々、彼女の自然な表情
を見てきたのだから。
だがたとえ何か後ろ暗い策略のようなものを感じても、首を横に振ることができるは
ずもなかった。
記憶喪失とは、即ち。
周囲の時間が自分を残して進んでしまうことである。
なにしろ、自分が一緒に進んだ分がまるごと、なかったことになってしまうのだ。だ
けど時間は戻らないものだから、取り残された感じになってしまうのだ。実際には何年
前のことであろうと、主観的には昨日のことかもしれないし、或いは一秒前のことであ
る。過去がどこかで捻じ曲がって、昔と今が繋がってしまったと言ってもいい。
……だから、だ。
なかったことになった時間の話は通じないし、そもそも相手は時間の経過さえ信じら
れない。時間は一人のために巻き戻ったりしてくれないのだから、どう接しても齟齬が
生じることになる。
少し話してみて、今のセラフィナの態度には少し幼いものを感じていた。
ライは笑って答える。今までなら察してくれた皮肉とか冗談も通じなさそうだから、
すごくシンプルに。
「いいこにしていたらね」
セラフィナは少し頬をふくらませた。
まるで子供そのものの様子にライは苦笑した。
「じゃあ、大丈夫ですね。私、いいこですから」
言って彼女はにこりと笑う。
ライは「なら安心だ」と返事をして目を逸らした。
今までと反応が違いすぎて、どうも話しにくい。いっそ初対面だと思った方がいいの
だろうか? だが、いちど知り合いとして振舞ってしまった以上、それでは突き放すよ
うに感じられかねない。
子供の扱いは難しいのだ。
「セラフィナさん、何歳だっけ?」
「十四のはず……なんですけど」
脈絡のない切り出しにしてはできるだけさりげなく聞いてみたが、セラフィナはこち
らの意図を汲み取ったようだった。形のいい眉がわずかにしかめられて苦悩を表現する。
なぐさめる方法とかそういったものはまったく思いつかなかったので、ライは表情を
やわらげるだけにして目を逸らした。
「……どこから来たの?」
聞いては駄目かな、と思った。
今までセラフィナと一緒にいて、その間守られ続けてきた暗黙のルールというものが
ある。或いはそれは当たり前すぎて、ルールなどという大仰な言葉には不釣合いかも知
れない。
踏み込まないこと。過去を尋ねないこと。未来を約束しないこと。
また明日、と言ったことがない――いや一度だけあったか。「また後でね」と言って
しまったことが一度だけ。ソフィニアで彼女と出合った次の日だった。
だから、思えば約束はとっくに破られていたのだ。
「覚えていない間の私は……あなたにそれを言いましたか?」
「聞いたことないから、言われてない」
賢いな。
思えば十四のときの自分は愚かだった。ライはガーゼを当てられていない方だけの目
を閉じて瞑目している風を気取った。両目を閉じているのと変わらなかった。視界の全
体が黒いか、半分だけ白いか。
「目、怪我をしたの……?」
「女の子には見せられない状態だから、気にしない方がいいよ」
目に見える損傷が増えるたびにセラフィナが悲しそうな顔をしていた。
多少の怪我なら気功で癒すことができてしまう彼女はきっと、それが不可能であると
いう状況を知らなかったのではあるまいか。
心配だけど何もできないんです――そういった表情を見せられるのがどうも嫌で、お
ままごとみたいに手当てをしてもらった。何の意味もないことだとはわかっていたが。
「……話せないなら別にいいけどね」
セラフィナがたぶんわざと逸らそうとした話の筋を元に戻す。
苦笑すると、セラフィナは少しむっとしたような声で言った。
「カフールという国を知っていますか?」
拒否の返事以外のことを言われたのに驚いてライは目を開いた。
寝台の上にちょこんと座り込んで毛布に包まっているセラフィナの顔色はだいぶよく
なっている。医者が薬を飲ませたのだろうか。
「カフールか」
知っているような気がするけど、思い出せない。
少し前にどこかで国名を聞いた気がするが。何かの噂話――それも、あまり印象のい
い話ではなかった気がする。
「……名前は聞いたことがあるけど、行ったことないな」
「そうですか……」
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
「どうだった?」
ベアトリスはライにあてがわれた部屋で、当たり前のように寝台に腰掛けて待ってい
た。暇つぶしに読んでいたらしい分厚い本をぱたんと閉じリュックにしまう。
ライは、その手つきを見て「本は大切にした方がいいよ」と呟く。勝手に入り込んで
いたことについては、なんだか言っても無駄だという予感がしたので言わないことにし
ておく。
おかしいなあ、同じ船に乗り合わせただけの子だったと思うんだけど、いつからお部
屋に遊びにくるようなお友達になったんだろう。
「まぁ、意思疎通はできるかな」
「当たり前でしょ、人間なんだから」
「……僕とマトモにお話してくれる人間は少ないんだよ」
海賊船の件がなければ、今ごろ船員たちにもどう扱われているかわかったものではな
い。人間のように振舞うには限界がある。話が通じるのは魔物だとバレるまでだ。
「そうなの?」
「ソフィニア出る頃からかなぁ。
どーも調子がおかしくてね、そろそろ今後の身の振り方を考えないと」
手を見下ろしてみる。革手袋の輪郭が霞んで、はっきりしない。
この状態で自分を人だと言い張るのは難しいだろう。少し意識して実体を思い描くと、
少しは霞みがおさまった。
「あの人と一緒にコールベルに行くんでしょう?」
「セラフィナさんが行きたくないって行ったら予定が変わるね」
ベアトリスは少しだけ沈黙した。
「別れるの?」
「どうだろう」
船を下りてからの話だ。港に着くまでもう何日もない。
その間にどう状況が変わるか……
「彼女には説明したんでしょ?」
「記憶喪失の間の話を他人から聞かされたって、信じられるはずがないんだよ」
ベアトリスが「ふぅん」と言ったきり黙ってしまったので、ライは自分の部屋の入り
口に立ち尽くしたままになった。
「あ、ティリー。
カフールってどんな国だったかな」
「クーロンからずっと東の山の方にある小さな国よ。
少し前に皇女さまが隣の国に嫁いで、そこの属国みたいになったって聞いたけど。
……それがどうしたの?」
「船員さんたちの話に出てきたからね」
「なんだ」と、ベアトリスはつまらなそうにため息をついた。
「あ!」
そしていきなり声を上げる。彼女は寝台から飛び降りて近寄ってきた。
「ねぇ、私がどこに行くか知ってる?」
「え? 聞いてないけど……」
ライが答えると、ベアトリスはとてもとても楽しそうに笑った。
何を企んでいるのかとライは少し身を引いた。
「コールベルまで行くのよ。今、決めた。
探し物のために旅をしてるからどこへも行けるの」
「探しもの?」
「ソフィニアの魔法では捕まえられなかったけど、次は手に入れるわ。
とても大変な儀式が必要なんだけどね」
なんだかわからないが、彼女には彼女なりに色々あるらしい。
旅の連れが増えるのは悪いことではないし、セラフィナがこのまま一緒にコールベル
へ行くのだとしたら、二人きりというのも少し不安だった。
「まぁ、がんばってね」
場所:デルクリフ⇔ルクセン 海上
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「……私のこと、見捨てたりしませんよね?」
「――」
ライが思わず押し黙ったのは、その言葉のうちに何か淀みのようなものを嗅ぎ取った
からだった。ナメるな、そんなんで僕は騙されたりしない……散々、彼女の自然な表情
を見てきたのだから。
だがたとえ何か後ろ暗い策略のようなものを感じても、首を横に振ることができるは
ずもなかった。
記憶喪失とは、即ち。
周囲の時間が自分を残して進んでしまうことである。
なにしろ、自分が一緒に進んだ分がまるごと、なかったことになってしまうのだ。だ
けど時間は戻らないものだから、取り残された感じになってしまうのだ。実際には何年
前のことであろうと、主観的には昨日のことかもしれないし、或いは一秒前のことであ
る。過去がどこかで捻じ曲がって、昔と今が繋がってしまったと言ってもいい。
……だから、だ。
なかったことになった時間の話は通じないし、そもそも相手は時間の経過さえ信じら
れない。時間は一人のために巻き戻ったりしてくれないのだから、どう接しても齟齬が
生じることになる。
少し話してみて、今のセラフィナの態度には少し幼いものを感じていた。
ライは笑って答える。今までなら察してくれた皮肉とか冗談も通じなさそうだから、
すごくシンプルに。
「いいこにしていたらね」
セラフィナは少し頬をふくらませた。
まるで子供そのものの様子にライは苦笑した。
「じゃあ、大丈夫ですね。私、いいこですから」
言って彼女はにこりと笑う。
ライは「なら安心だ」と返事をして目を逸らした。
今までと反応が違いすぎて、どうも話しにくい。いっそ初対面だと思った方がいいの
だろうか? だが、いちど知り合いとして振舞ってしまった以上、それでは突き放すよ
うに感じられかねない。
子供の扱いは難しいのだ。
「セラフィナさん、何歳だっけ?」
「十四のはず……なんですけど」
脈絡のない切り出しにしてはできるだけさりげなく聞いてみたが、セラフィナはこち
らの意図を汲み取ったようだった。形のいい眉がわずかにしかめられて苦悩を表現する。
なぐさめる方法とかそういったものはまったく思いつかなかったので、ライは表情を
やわらげるだけにして目を逸らした。
「……どこから来たの?」
聞いては駄目かな、と思った。
今までセラフィナと一緒にいて、その間守られ続けてきた暗黙のルールというものが
ある。或いはそれは当たり前すぎて、ルールなどという大仰な言葉には不釣合いかも知
れない。
踏み込まないこと。過去を尋ねないこと。未来を約束しないこと。
また明日、と言ったことがない――いや一度だけあったか。「また後でね」と言って
しまったことが一度だけ。ソフィニアで彼女と出合った次の日だった。
だから、思えば約束はとっくに破られていたのだ。
「覚えていない間の私は……あなたにそれを言いましたか?」
「聞いたことないから、言われてない」
賢いな。
思えば十四のときの自分は愚かだった。ライはガーゼを当てられていない方だけの目
を閉じて瞑目している風を気取った。両目を閉じているのと変わらなかった。視界の全
体が黒いか、半分だけ白いか。
「目、怪我をしたの……?」
「女の子には見せられない状態だから、気にしない方がいいよ」
目に見える損傷が増えるたびにセラフィナが悲しそうな顔をしていた。
多少の怪我なら気功で癒すことができてしまう彼女はきっと、それが不可能であると
いう状況を知らなかったのではあるまいか。
心配だけど何もできないんです――そういった表情を見せられるのがどうも嫌で、お
ままごとみたいに手当てをしてもらった。何の意味もないことだとはわかっていたが。
「……話せないなら別にいいけどね」
セラフィナがたぶんわざと逸らそうとした話の筋を元に戻す。
苦笑すると、セラフィナは少しむっとしたような声で言った。
「カフールという国を知っていますか?」
拒否の返事以外のことを言われたのに驚いてライは目を開いた。
寝台の上にちょこんと座り込んで毛布に包まっているセラフィナの顔色はだいぶよく
なっている。医者が薬を飲ませたのだろうか。
「カフールか」
知っているような気がするけど、思い出せない。
少し前にどこかで国名を聞いた気がするが。何かの噂話――それも、あまり印象のい
い話ではなかった気がする。
「……名前は聞いたことがあるけど、行ったことないな」
「そうですか……」
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
「どうだった?」
ベアトリスはライにあてがわれた部屋で、当たり前のように寝台に腰掛けて待ってい
た。暇つぶしに読んでいたらしい分厚い本をぱたんと閉じリュックにしまう。
ライは、その手つきを見て「本は大切にした方がいいよ」と呟く。勝手に入り込んで
いたことについては、なんだか言っても無駄だという予感がしたので言わないことにし
ておく。
おかしいなあ、同じ船に乗り合わせただけの子だったと思うんだけど、いつからお部
屋に遊びにくるようなお友達になったんだろう。
「まぁ、意思疎通はできるかな」
「当たり前でしょ、人間なんだから」
「……僕とマトモにお話してくれる人間は少ないんだよ」
海賊船の件がなければ、今ごろ船員たちにもどう扱われているかわかったものではな
い。人間のように振舞うには限界がある。話が通じるのは魔物だとバレるまでだ。
「そうなの?」
「ソフィニア出る頃からかなぁ。
どーも調子がおかしくてね、そろそろ今後の身の振り方を考えないと」
手を見下ろしてみる。革手袋の輪郭が霞んで、はっきりしない。
この状態で自分を人だと言い張るのは難しいだろう。少し意識して実体を思い描くと、
少しは霞みがおさまった。
「あの人と一緒にコールベルに行くんでしょう?」
「セラフィナさんが行きたくないって行ったら予定が変わるね」
ベアトリスは少しだけ沈黙した。
「別れるの?」
「どうだろう」
船を下りてからの話だ。港に着くまでもう何日もない。
その間にどう状況が変わるか……
「彼女には説明したんでしょ?」
「記憶喪失の間の話を他人から聞かされたって、信じられるはずがないんだよ」
ベアトリスが「ふぅん」と言ったきり黙ってしまったので、ライは自分の部屋の入り
口に立ち尽くしたままになった。
「あ、ティリー。
カフールってどんな国だったかな」
「クーロンからずっと東の山の方にある小さな国よ。
少し前に皇女さまが隣の国に嫁いで、そこの属国みたいになったって聞いたけど。
……それがどうしたの?」
「船員さんたちの話に出てきたからね」
「なんだ」と、ベアトリスはつまらなそうにため息をついた。
「あ!」
そしていきなり声を上げる。彼女は寝台から飛び降りて近寄ってきた。
「ねぇ、私がどこに行くか知ってる?」
「え? 聞いてないけど……」
ライが答えると、ベアトリスはとてもとても楽しそうに笑った。
何を企んでいるのかとライは少し身を引いた。
「コールベルまで行くのよ。今、決めた。
探し物のために旅をしてるからどこへも行けるの」
「探しもの?」
「ソフィニアの魔法では捕まえられなかったけど、次は手に入れるわ。
とても大変な儀式が必要なんだけどね」
なんだかわからないが、彼女には彼女なりに色々あるらしい。
旅の連れが増えるのは悪いことではないし、セラフィナがこのまま一緒にコールベル
へ行くのだとしたら、二人きりというのも少し不安だった。
「まぁ、がんばってね」
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