人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン
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体が、熔けそうなくらい重い。
力が入らなくて、ズルズルとなにかに引き込まれるがままになっている。
瞼が重くて、瞼の裏にも光が射さなくて。
このまま眠ってしまうのもいいな。
ふと、そう思った。
身をよじるのも億劫で、ただそこに居るだけ。
もしかしたら、そこにも居ないのかもしれない。
そんな虚脱感。
遠くで、何かが聞こえた。多分人の声だろう。
でも、何もかもが面倒で、興味が持てない。
静かにしてくれたら、このまま安らかに眠れそうなのに。
意識を手放そうとして、何度も直前で邪魔が入る。
静かに、してもらえないかな。
その時初めて、語尾が聞き取れた。
『……さんっ!』
なんだか透明の幕越しに話を聞いているような、奇妙な距離感を感じる。
誰かを呼んでいるのかしら。
ちょっと切羽詰まったカンジが、僅かに興味をくすぐる。
『セラフィナさんっ!』
ああ、セラフィナって人を呼んでいるのか。
どこかで聞いたような気がするけど、思い出せないな。
意識がまどろむのが、ただひたすらに心地よい。
セラフィナって誰だっけ……?
……ああ、私のことだ。
ぼんやりと目を開けるとそこは天井が低くて狭い部屋。部屋の中には一人きりだっ
た。
体がとても重くて、体を動かそうにもミシミシと音が鳴りそうで、何となく天井を
見上げる。
知らない部屋。
なんだか揺れているような気がするから船室なのかしら。
それにしても何でこんな所にいるのだろう。ワケが分からない。
「カイ……?」
呼んでみても反応はなく、なんだか心細く感じる。
一人で遠出をしているの? でも、それも変な話だ。
今まで一度も許可されたことがないのに。
コン コン
ドアが二度ノックされる。
体を起こせないので顔だけ向けて「誰?」と呟いた。
声を出すのが辛い。肺を傷つけてはいないようだが、どうも右の脇腹当たりが酷く
痛む。
「目が覚めたの?」
こちらの返事を待たずに入ってきたのは、同じくらいの歳の女の子。
手には洗面器とタオルを持っていて、どうも看病をしていてくれたらしいことが分
かる。
「ええ、ついさきほど」
知らない顔に動揺し、僅かに身構える。
誰なのだろう、全く思い出せない。
「まったく、魔法で治療もできないんだったら、あんな無茶しないでよね」
口調は厳しいが、心配していたことが伝わってきた。
一体何をしたんだろう、私。
気怠さと傷の痛みで思考が中断する。どうも考えがまとまらない。
「あの、私の連れは……?」
一人旅というのは想像が付かないから、カイか誰か、護衛がいるはずだ。
「あんまり心配かけると可哀想よ。取り乱して、どうしてイイか分からなかったんだ
から」
一体何があったのだろう。
体の傷から考えても、ただ事ではなさそうだけれど。
「話がしたいんですが、呼んでいただけますか?」
苦しいながらも何とか笑顔を作って、話しかける。
やはり話をするのは苦しい。顔を一瞬しかめて、もう一度笑顔を作り直す。
笑顔を絶やさないこと、幼い頃から叩き込まれた「むやみに敵を作らない知恵」だ
った。
「……いいけど、大丈夫なの?」
彼女が服を引っ張ってみせる。
意味が分からなくて僅かに首を傾げると「服、今干してるのよね」と補足が入っ
た。
「どうせ、体を起こしたり出来ませんから」
心配ないでしょうと、笑う。
自分の連れなら、そういう心配がない人であるはずだから。
……そうでなければ困る。
「じゃあ、呼びに行く前にコレ」
差し出されたのは鏡と、櫛。……さすが女性だなと思う。
手を伸ばそうにも手が上がらないのを見て「仕方がないなぁ」と、髪を梳[くしけ
ず]ってくれた。
シュッ シュッ シュッ
微かな音が、部屋を支配する。
その音が心地よくて、またまどろみそうになって。
見知らぬ人の前だと言うことを思い出さなかったら、本当に眠ってしまっていただ
ろう。
体を起こせないので不完全にではあるけれど「こんなもんかな?」と彼女は笑って
櫛を置いた。
「どう?」
差し出されたのは鏡。
そして映し出されるのは私の顔……のはずだった。
「……誰、コレ……」
封魔布は私のもので、髪も、目も、面影がないとは云わないけど。
見知らぬ女性が映っているのだ。
少なくとも、見慣れた自分の顔はもっと幼く、髪も短いのだから。
頭が混乱して、二の句が継げない。
「何?何か問題あるの?」
さっきの呟きは聞き取れなかったらしく、鏡を向けたまま彼女は首を傾げる。
「え……と、あの、私の名前は……?」
「セラフィナさん」
即答。
鏡に映る女の人が、どうも私であるらしい。
「何よ、キオクソーシツごっこ?」
記憶喪失?
……とりあえず自分のことは覚えているような気がするけど。
でも容姿は大きく変わっていて、彼女は私を知っている。
私の記憶と何年分かの隔たりがあるとでも云うのだろうか。
「連れの名前は?」
カイであれば、疑問も彼が答えてくれるだろうと淡い期待を抱きつつ訊ねる。
縋るように見上げられて、彼女は混乱したようだった。
「連れってライのことだと思うけど……え、マジで?」
……誰だ、ソレは。
偽名でもライと名乗るのは聞いたことがない。
「黒髪の剣士じゃ……ないんですか?」
何とか言葉を紡ぎつつも、傷が痛んでスムーズな会話にならないうえに、二人とも
頭の中は疑問符でいっぱいだった。
目の前の彼女は一歩後ろに引いてよろけると、鏡を置いて、頭を押さえた。
「うわぁ、大変だ……」
途方に暮れたいのは私の方……と思いつつも、言葉にならない。傷の痛みに顔をし
かめる。
「ちょ、とりあえず、彼を連れてくるから!」
そう言い残すと、慌ただしく部屋を後にする彼女。
……そういえば名前も知らない。聞いておけばよかったかな。そうぼんやり考え
る。
見上げる天井は低くて、やはり見覚えはなくて。
なんだか泣きそうになって、眉根を寄せ、目を閉じた。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
一方、船は順調に航海していた。というより、かなりハイペースで街まで向かって
いた。ウォルト航海士と巨大イカマリリンの意志の疎通により、マリリンが文字通り
後押ししているのだ。
この分なら、遅れた予定も取り返せるかもしれない。
ちなみに、食堂では「イカのあぶり焼き・バター醤油味」が大好評で、他にも「イ
カの刺身」「イカの煮物」など、イカづくしなメニューが書き加えられている。
乗員の中で幸せな気分を満喫していないのは、三人だけだったかもしれない。
場所:デルクリフ⇔ルクセン
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体が、熔けそうなくらい重い。
力が入らなくて、ズルズルとなにかに引き込まれるがままになっている。
瞼が重くて、瞼の裏にも光が射さなくて。
このまま眠ってしまうのもいいな。
ふと、そう思った。
身をよじるのも億劫で、ただそこに居るだけ。
もしかしたら、そこにも居ないのかもしれない。
そんな虚脱感。
遠くで、何かが聞こえた。多分人の声だろう。
でも、何もかもが面倒で、興味が持てない。
静かにしてくれたら、このまま安らかに眠れそうなのに。
意識を手放そうとして、何度も直前で邪魔が入る。
静かに、してもらえないかな。
その時初めて、語尾が聞き取れた。
『……さんっ!』
なんだか透明の幕越しに話を聞いているような、奇妙な距離感を感じる。
誰かを呼んでいるのかしら。
ちょっと切羽詰まったカンジが、僅かに興味をくすぐる。
『セラフィナさんっ!』
ああ、セラフィナって人を呼んでいるのか。
どこかで聞いたような気がするけど、思い出せないな。
意識がまどろむのが、ただひたすらに心地よい。
セラフィナって誰だっけ……?
……ああ、私のことだ。
ぼんやりと目を開けるとそこは天井が低くて狭い部屋。部屋の中には一人きりだっ
た。
体がとても重くて、体を動かそうにもミシミシと音が鳴りそうで、何となく天井を
見上げる。
知らない部屋。
なんだか揺れているような気がするから船室なのかしら。
それにしても何でこんな所にいるのだろう。ワケが分からない。
「カイ……?」
呼んでみても反応はなく、なんだか心細く感じる。
一人で遠出をしているの? でも、それも変な話だ。
今まで一度も許可されたことがないのに。
コン コン
ドアが二度ノックされる。
体を起こせないので顔だけ向けて「誰?」と呟いた。
声を出すのが辛い。肺を傷つけてはいないようだが、どうも右の脇腹当たりが酷く
痛む。
「目が覚めたの?」
こちらの返事を待たずに入ってきたのは、同じくらいの歳の女の子。
手には洗面器とタオルを持っていて、どうも看病をしていてくれたらしいことが分
かる。
「ええ、ついさきほど」
知らない顔に動揺し、僅かに身構える。
誰なのだろう、全く思い出せない。
「まったく、魔法で治療もできないんだったら、あんな無茶しないでよね」
口調は厳しいが、心配していたことが伝わってきた。
一体何をしたんだろう、私。
気怠さと傷の痛みで思考が中断する。どうも考えがまとまらない。
「あの、私の連れは……?」
一人旅というのは想像が付かないから、カイか誰か、護衛がいるはずだ。
「あんまり心配かけると可哀想よ。取り乱して、どうしてイイか分からなかったんだ
から」
一体何があったのだろう。
体の傷から考えても、ただ事ではなさそうだけれど。
「話がしたいんですが、呼んでいただけますか?」
苦しいながらも何とか笑顔を作って、話しかける。
やはり話をするのは苦しい。顔を一瞬しかめて、もう一度笑顔を作り直す。
笑顔を絶やさないこと、幼い頃から叩き込まれた「むやみに敵を作らない知恵」だ
った。
「……いいけど、大丈夫なの?」
彼女が服を引っ張ってみせる。
意味が分からなくて僅かに首を傾げると「服、今干してるのよね」と補足が入っ
た。
「どうせ、体を起こしたり出来ませんから」
心配ないでしょうと、笑う。
自分の連れなら、そういう心配がない人であるはずだから。
……そうでなければ困る。
「じゃあ、呼びに行く前にコレ」
差し出されたのは鏡と、櫛。……さすが女性だなと思う。
手を伸ばそうにも手が上がらないのを見て「仕方がないなぁ」と、髪を梳[くしけ
ず]ってくれた。
シュッ シュッ シュッ
微かな音が、部屋を支配する。
その音が心地よくて、またまどろみそうになって。
見知らぬ人の前だと言うことを思い出さなかったら、本当に眠ってしまっていただ
ろう。
体を起こせないので不完全にではあるけれど「こんなもんかな?」と彼女は笑って
櫛を置いた。
「どう?」
差し出されたのは鏡。
そして映し出されるのは私の顔……のはずだった。
「……誰、コレ……」
封魔布は私のもので、髪も、目も、面影がないとは云わないけど。
見知らぬ女性が映っているのだ。
少なくとも、見慣れた自分の顔はもっと幼く、髪も短いのだから。
頭が混乱して、二の句が継げない。
「何?何か問題あるの?」
さっきの呟きは聞き取れなかったらしく、鏡を向けたまま彼女は首を傾げる。
「え……と、あの、私の名前は……?」
「セラフィナさん」
即答。
鏡に映る女の人が、どうも私であるらしい。
「何よ、キオクソーシツごっこ?」
記憶喪失?
……とりあえず自分のことは覚えているような気がするけど。
でも容姿は大きく変わっていて、彼女は私を知っている。
私の記憶と何年分かの隔たりがあるとでも云うのだろうか。
「連れの名前は?」
カイであれば、疑問も彼が答えてくれるだろうと淡い期待を抱きつつ訊ねる。
縋るように見上げられて、彼女は混乱したようだった。
「連れってライのことだと思うけど……え、マジで?」
……誰だ、ソレは。
偽名でもライと名乗るのは聞いたことがない。
「黒髪の剣士じゃ……ないんですか?」
何とか言葉を紡ぎつつも、傷が痛んでスムーズな会話にならないうえに、二人とも
頭の中は疑問符でいっぱいだった。
目の前の彼女は一歩後ろに引いてよろけると、鏡を置いて、頭を押さえた。
「うわぁ、大変だ……」
途方に暮れたいのは私の方……と思いつつも、言葉にならない。傷の痛みに顔をし
かめる。
「ちょ、とりあえず、彼を連れてくるから!」
そう言い残すと、慌ただしく部屋を後にする彼女。
……そういえば名前も知らない。聞いておけばよかったかな。そうぼんやり考え
る。
見上げる天井は低くて、やはり見覚えはなくて。
なんだか泣きそうになって、眉根を寄せ、目を閉じた。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
一方、船は順調に航海していた。というより、かなりハイペースで街まで向かって
いた。ウォルト航海士と巨大イカマリリンの意志の疎通により、マリリンが文字通り
後押ししているのだ。
この分なら、遅れた予定も取り返せるかもしれない。
ちなみに、食堂では「イカのあぶり焼き・バター醤油味」が大好評で、他にも「イ
カの刺身」「イカの煮物」など、イカづくしなメニューが書き加えられている。
乗員の中で幸せな気分を満喫していないのは、三人だけだったかもしれない。
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