人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
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町を歩いていると、子供に石を投げられている男を見つけた。
彼はとても貧相な男だった。白衣は灰色に変色している。そのうえ猫背でうつむき気
味になるものだから、髪の薄い頭を人に向けるようになっていて、顔は見えない。
そのくせ、上目遣いに周囲を窺うその目ばかりは、ギョロギョロと不気味なまでに強
く光っていた。
だから、貧相で、不気味な男だった。
すぐに子供の親らしき女性が駆け寄って石を奪い取り、子供の頭を叩いてから男に詫
びた。詫びたとはいえ、女性が男に向けた目にも嫌悪の色があったのを見た。
興味を覚えてその母子に声をかけたが、すげなく追い払われてしまった。
仕方がなく、周囲にいた数人に事情を乞う。彼らは最初、余所者には関係のないこと
だと言っていたが、少し食い下がると、すぐに話を聞かせてくれた。きっと喋りたかっ
たのだろう。彼らは互いの言葉を補完し合いながら、ほんのわずかな時間で、彼らが知
る事態の、その全容を知ることができた。
男はつい最近になってこの町に現れるようになったらしい。
丘の上にある廃屋に棲み付いて、得体の知れない実験を繰り返している。その廃屋と
いうのは数年前まである商人の持ち物だった屋敷だそうだが、強盗に襲われて、護衛ご
と殺されてしまってからは、ずっとそのまま放置されてきただそうだ。
雨露から逃れようと、空き家を見つけてはしめたとばかりに忍び込む浮浪者さえ、ほ
とんど寄り付かなかったらしい。
強盗のくだりを話すとき、人々は饒舌だった。
それは酷かったものさ、と言った一人に、他の人々も同調した。あれは冬の、この地
域では珍しく、激しい吹雪になった日のことだった――
まるで見ていたかのように詳しい話を聞かされた。これでは、噂に尾ひれがつくのも
頷けるというものだ。屋敷の持ち主だったという商人は、とても誠実な人柄だったらし
い。気が弱くて、いつもおどおどしているようで、余所者を家に招くことなどできなか
ったそうだ。
どうしてあの人が商売で成功したのかしら、と一人が笑った。
つられて笑い始めた人々に礼を言ってその場から離れることにした。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
――まぁ、ようするに、ただの好奇心だということだ。
船員には好みではないと笑い飛ばしつつ、彼が語った怪談を信じているわけでもなく、
しかしライがここにいることに変わりはない。
ため息をついて見上げると、色濃い木々のシルエットの向こうに青空が広がっていた。
まるで形の悪い落とし穴のように見え、そこから溢れる光に照らされた廃屋は、綺麗に
気味が悪かった。
廃屋、とはつまり廃棄され取り壊されないまま放置された建物のことであるが、その
言葉にはもっとおどろおどろしいイメージが伴うように感じる。窓は割れ、壁は崩れ、
腐った床板が落ちた上に、日陰を好む、湿った苔が繁茂する――と、いったような。
この屋敷は原形をとどめている。それどころか、原型を留めすぎていた。
町から少し距離があるこの丘に無人の建物を放置しておけば、獣が入り込んで無惨な
ことになるだろう。そうでなくとも、窓ガラスが無事だというのはおかしかった。
(なるほど……住み着いてるね、これは)
ここは廃屋の裏手であるが、勝手口か何からしい扉の近くに薪が重ねられている。腐
葉土をかぶっていて当然の場所も、乱雑にだが土をどけた形跡がある。
それらの作業は、ここを使用するため最低限の手間をかけただけのように見え、その
様はさっきの男を連想させた。
湿った土を踏んで足跡を残さぬように、ライはいちど姿を消した。勝手口前のレンガ
で固められた足場に己の幻を具現しなおしてノブを握る。鍵はかかっていなかった。
「…………お邪魔します」
そうっと囁いて、音を立てぬように扉を開く。人様の家に忍び込むのはあまりいいこ
とではないが、この場合、住人も不法侵入になるのだからお相子だ。
ついでに、今、挨拶もした。聞いていなかった方が悪い。
開けた扉の隙間から、暗闇の中へ滑り込む。
ひんやりと湿った空気に包まれて――
不思議と心が安らいだ。
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―それなりに大きな港町ベリンザ
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町を歩いていると、子供に石を投げられている男を見つけた。
彼はとても貧相な男だった。白衣は灰色に変色している。そのうえ猫背でうつむき気
味になるものだから、髪の薄い頭を人に向けるようになっていて、顔は見えない。
そのくせ、上目遣いに周囲を窺うその目ばかりは、ギョロギョロと不気味なまでに強
く光っていた。
だから、貧相で、不気味な男だった。
すぐに子供の親らしき女性が駆け寄って石を奪い取り、子供の頭を叩いてから男に詫
びた。詫びたとはいえ、女性が男に向けた目にも嫌悪の色があったのを見た。
興味を覚えてその母子に声をかけたが、すげなく追い払われてしまった。
仕方がなく、周囲にいた数人に事情を乞う。彼らは最初、余所者には関係のないこと
だと言っていたが、少し食い下がると、すぐに話を聞かせてくれた。きっと喋りたかっ
たのだろう。彼らは互いの言葉を補完し合いながら、ほんのわずかな時間で、彼らが知
る事態の、その全容を知ることができた。
男はつい最近になってこの町に現れるようになったらしい。
丘の上にある廃屋に棲み付いて、得体の知れない実験を繰り返している。その廃屋と
いうのは数年前まである商人の持ち物だった屋敷だそうだが、強盗に襲われて、護衛ご
と殺されてしまってからは、ずっとそのまま放置されてきただそうだ。
雨露から逃れようと、空き家を見つけてはしめたとばかりに忍び込む浮浪者さえ、ほ
とんど寄り付かなかったらしい。
強盗のくだりを話すとき、人々は饒舌だった。
それは酷かったものさ、と言った一人に、他の人々も同調した。あれは冬の、この地
域では珍しく、激しい吹雪になった日のことだった――
まるで見ていたかのように詳しい話を聞かされた。これでは、噂に尾ひれがつくのも
頷けるというものだ。屋敷の持ち主だったという商人は、とても誠実な人柄だったらし
い。気が弱くて、いつもおどおどしているようで、余所者を家に招くことなどできなか
ったそうだ。
どうしてあの人が商売で成功したのかしら、と一人が笑った。
つられて笑い始めた人々に礼を言ってその場から離れることにした。
☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆
――まぁ、ようするに、ただの好奇心だということだ。
船員には好みではないと笑い飛ばしつつ、彼が語った怪談を信じているわけでもなく、
しかしライがここにいることに変わりはない。
ため息をついて見上げると、色濃い木々のシルエットの向こうに青空が広がっていた。
まるで形の悪い落とし穴のように見え、そこから溢れる光に照らされた廃屋は、綺麗に
気味が悪かった。
廃屋、とはつまり廃棄され取り壊されないまま放置された建物のことであるが、その
言葉にはもっとおどろおどろしいイメージが伴うように感じる。窓は割れ、壁は崩れ、
腐った床板が落ちた上に、日陰を好む、湿った苔が繁茂する――と、いったような。
この屋敷は原形をとどめている。それどころか、原型を留めすぎていた。
町から少し距離があるこの丘に無人の建物を放置しておけば、獣が入り込んで無惨な
ことになるだろう。そうでなくとも、窓ガラスが無事だというのはおかしかった。
(なるほど……住み着いてるね、これは)
ここは廃屋の裏手であるが、勝手口か何からしい扉の近くに薪が重ねられている。腐
葉土をかぶっていて当然の場所も、乱雑にだが土をどけた形跡がある。
それらの作業は、ここを使用するため最低限の手間をかけただけのように見え、その
様はさっきの男を連想させた。
湿った土を踏んで足跡を残さぬように、ライはいちど姿を消した。勝手口前のレンガ
で固められた足場に己の幻を具現しなおしてノブを握る。鍵はかかっていなかった。
「…………お邪魔します」
そうっと囁いて、音を立てぬように扉を開く。人様の家に忍び込むのはあまりいいこ
とではないが、この場合、住人も不法侵入になるのだからお相子だ。
ついでに、今、挨拶もした。聞いていなかった方が悪い。
開けた扉の隙間から、暗闇の中へ滑り込む。
ひんやりと湿った空気に包まれて――
不思議と心が安らいだ。
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