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人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―港町
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見上げた空は薄闇の紅に染まりつつあった。
風がかすかな冷たさを帯びたように感じるのは錯覚に違いなかったが。
(もう時間がないな……)
猫探しなんていうくだらないことに、まるで命のやりとりでもしているときのように
焦っている自分を認める。胸の奥の方で吐き気のようなものが身じろぎするのを感じて
ライは低くうなり声を上げた。
ゴミ捨て場の影の小屋――例の秘密基地である。その前に十人近くの少年少女が集っ
ている。年上なのはクルトと同年代、最年少は……明らかにリーザだ。とにかく、まだ
幼い、という形容詞の範囲の上ギリギリか、そこから少しはみだした子供たちが、ぐる
りと半円を描くように立っている。
彼らは真剣な表情で、小屋の中に置かれた巨大な檻[ケージ]を睨んでいた。もちろ
ん、ゴミの山から発掘してきたシロモノだ。中には大量の三毛猫がいる。一匹一匹が何
をしているのかを確認するような気力はとっくになくなっていたが、とりあえず、動き
回っている。鳴き声はうるさいくらいだ。
中にいる猫は三十四匹。明らかにおかしかった。
あの後、頭のネジの角度でも変わったのか、人間じゃなくて一種の肉食獣のような勢
いで猫を狩って――もとい、捕まえてまわったクルト少年は、捕獲数では一等の座を手
に入れた。妹を悪い男に渡さずに済んだようで、「おめでとう」とは言ってやった。
問題はそんなことではない。猫が三十四匹いるのだ。
最初に聞いていた数より多いというのは全くの予想外だった。
集まらないならともかく、その逆など普通はあり得ない。地元の猫が紛れ込んでいる
のだろうが、檻の外から眺めてみても、とりあえず全部が三毛猫だということを理解し
た瞬間に思考が停止してしまう。それ以上のことは考えられない。
――無理だろコレ。
心の中に響いた冷静すぎる指摘に反論する材料もなく、ライは無気力に頷いた。その
不審な行動に、誰も何も言ってこなかった。彼らは議論を交わすので忙しい。さっきか
ら、聞こえているはずなのに誰が何を言っているのかわからない。そうか、僕が皆の言
うことを聞いていないから、皆も僕を見ていないのか。
ライは少しだけ寂しいような気分になった。ゆっくりと、意識して、音という情報を
かき集める。大量に流れていくそれが、理解できる言葉であることを確認する。それら
の組み合わせが、意味を持つ法則で並んでいることを認識する――普段は無意識で行っ
ているそれらの工程を、十近くにまで分割して一つ一つを丁寧に踏んでいくと、ようや
く世界に音が戻った。
「――だからさぁ、とりあえず全部あの箱に入れてみればいいだろ。新しい生き物がで
きるかも」
いきなり聴覚を閉ざしたくなった。恐らくは数秒に渡ったさっきの手順を無駄にしな
いためだけに、ライはなんとかその衝動を押し殺す。そのことにまた気力を削る。子供
たちはわいわいと騒ぎ続けている。その全てを拾うのは無意味この上なかったが、待っ
ていても有意義な意見が出そうな気配もなかった。自分にも無理だ。
だから全てを聞くことにしたが――
「でも猫さんがかわいそうだし、違うのは放してあげようよ」
「見分けつかないし」
「一匹一匹見れば……」
「さっき、ヤンが手ェ入れて噛みつかれただろ!」
そのヤンは仲間に説得されて家に帰っていた。傷は深くないだろうが、痛くないとい
うこともないはずだ。親にどう言い訳しようと悩んでいる姿を微笑ましく感じるのは、
感性が歪んでいるだろうか。試練を乗り越えて少年は成長するものだ。しぶとくあざと
く悪賢く。
――猫を元に戻さなければならない。船が出るのは夕方だ。空はもう光を失おうとし
ている。吐き気が強くなった。緊張に弱いということはないはずだったが。
そもそも、これはそんなにも深刻な事件だっただろうか。
猫が増えて街に溢れて……概要を纏めれば笑いごととしか思えないのに、当事者にな
ってみれば全く笑えない。巻き込んでくれた少年少女を恨んでみようか。
まさか。そんなことが何になる? うらみつらみなど、それらだけでは無力でしかな
い。復讐心の生まれようもないのだから。
めまいさえ、感じそうだ。不可能な事態にぶち当たると、こうなることがあるのだ。
逃避願望から来る不調なのかも知れないという自己分析。的を射ているか否か。
(どっちでもいいよ、もう)
不毛なのは子供たちの議論だけではなく、自分の思考もだった。そんなことはわかっ
ている。いっそ止まってしまえ。誰か止めてくれ。
「――あっ」
声が聞こえた。ライは直前の望み通りに思考を遮られ、少しの間を置いてから振り返
る。そのときには子供たちは既に全員が反応してゴミ捨て場の山の方を見ていた。
セラフィナは、きょとんと立っている。黒髪が風に揺れて、空の色を淡く淡く帯びて
いた。村はずれからゴミの山を迂回してここまで来たのだろう。まさかこんなところに
人がいるとは思わなかったと、その目が言っている。
「ライさん?」
「や、やあ、セラフィナさん……」
ライは辛うじて笑みを浮かべた。歪めた口の端がひきつったのは仕方のないことだっ
た。本当は歓声でも上げながら飛びつきたいくらいだったのだ。そうしないように自制
した結果が、微妙な薄笑いであったに過ぎない。
彼女に知られないように動いていたことなど、もうどうでもいい。
このどうしようもない状況の犠牲者が一人増えた。喜ぶべきことだ。苦しみが等分に
分けられるのならば、一人ひとりの上に圧し掛かるそれが、少しは軽くなるのだから。
「え? あの、どうしたんですか……?」
彼女は動揺しているように訊いてきた。視線はセラフィナから外さないまま周囲を観
察すれば、子供たちもじっと彼女を注視していた。
この場において、彼女の登場は“奇跡”に相当するのだ。
ライはふらりと一歩を踏み出した。
そして冥界の門へ姫君を引きずり込む亡霊のような甘い声で、言った。
「いや、ちょうどいいところに来てくれたなって。
手伝って欲しいことがあるんだけど、大丈夫かな?」
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