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人物:ライ セラフィナ
場所:デルクリフ⇔ルクセン ―港町
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ばさりと派手な音さえ立てて、上着の裾がひるがえる。
急に目の前に現れた襲撃者に驚いて逃げ出した猫を虫取り網で華麗に掬い上げ、ライ
は振り向いた。
「じゃ、これも檻[ケージ]に入れといて……あと、どのくらいかなぁ」
ぱちぱちとぞんざいな拍手をするクルトに網から出した猫を押し付ける。
どこまでも蒼い海辺の空の下、少年は少しだけ憮然としているように見えたが、気に
しない。出港までに三十匹の猫を集めないと、あとあと問題になる。
その中の一匹だけを船に連れて行って誤魔化すという手もないことはないのだが……
一匹一匹に、元の情報がそっくりコピーされて分身しているという保証はない。下手を
したら奇妙な後遺症が出るかも知れない――それはさすがに後々気分が悪くないか。
「さっき、リーザの方が五匹、ヤンが八匹って言ってた」
「僕たちは?」
聞くとクルトは吐き捨てるように答えた。
「まだ七!」
「ああ、それで機嫌悪かったんだ」
「うるさいな! ヤンにまた負けたら、リーザが……!」
「っはは――」
ライは思わず笑声を上げる。クルトが睨むように見上げてきた。
その様子に弟を思い出し嗜虐的な気分が湧き上がってるのを抑えながら、網を振って、
ひっかかったゴミを払う。
「負けたら妹に悪い虫がつくのか……なるほどね。そりゃ負けられない」
見上げた空の太陽は、さっきよりも傾いている。どうやら船長はまだ町の偉いさんと
話をしているようだったが、出港まで時間があるとは言えないだろう。
今まで探し回ったのと同じだけの時間は、ない。
子供たちは五つくらいのグループに分かれて動いているが、いくら町の地理に詳しく
ても逃げ回る小動物を捕まえるのは難しかった。最初のうちはよかったが、敵方も徐々
に警戒を強めてきている。
近づくだけで襲われるなんてことにもなりかねない。
相手は子猫だから大怪我を負うことはないだろうが。
「あと十匹……いや、もう何匹か捕まってるかも」
ぶつぶつと呟くクルトの声を聞き流しながら、ライは人通りの少ない通りを見渡した。
子供たちはともかく、虫取り網を持った異邦人は目立つだろう。あまり派手な行動はで
きない。或いは、派手な行動しかできない。
「せめてヘルガと一緒だったらなー」
「ごめんねー、僕が相方で。
この町の地理とかさっぱりわかんないんだよ」
虫取り網の柄でトントンと地面を突きながら応えると、クルトは「拗ねんなよ」と嘆
息した。そこだけ妙に大人びた仕草に見えた。猫を抱えてるから相殺されてるけど。
「拗ねてるの?」
「ライだろ、拗ねてんの!」
なんとなく聞き返すと強く言い返される。困ったなこれは相当イライラしてる。
っていうか今気がついたけど、猫が町から出たりしたら、とても探せないじゃないか。
そのときはどうしたらいいんだろう。
「あのさ、クルト君。
年上を呼び捨てにするのはよくないと思うよ」
「細かいこと気にするのはガキだと思ったり」
「あー……じゃあ、いいや」
「なんなんだよ」
一応、仲間として認識されているらしい。そもそも年上ではなさそう、ということは
どっかに置いておくことにする。十六歳から自分の時間は動いているのだろうか。
何もなくなることが死だとしたら、少なくとも、今の自分は、死んでいない。成長す
る体がないからといって、中身もそのままということはないだろう。
「僕はガキだから意味不明なことばっかり言うんだよ」
「拗ねないでってば、素敵なオニーサン」
「はいはい、とりあえずその猫おいてきてね。逃げちゃうよ」
「わかってる……って、うわわ」
クルトの腕の中で、そろそろ抱き締められることが嫌になってきたのか、もがき始め
る猫。少年は「うわわわわ」などと慌てた声を上げながら猫を逃さないように格闘して
いたが、猫はするりと身をよじって地面に降りた。
「わああああああ逃げられたっ!」
「だから言ったのに!」
叫び返しながら虫取り網を地面に沿わせて低く振るう。猫はたやすくヒラリと避けて、
それに覆いかぶせるようにひるがえした第二撃も躱された。ライは舌打ち。
「クソ! こうなったら多少キズがついても――」
「何ムキになってんだよキズ付けるな刃物しまえっ!!」
具現した剣を握ったライにクルトが怒鳴る。虫取り網で触れられもしなかった相手を
剣一本でどうにかできるとはライも思っていなかったが、多少キズがついても、という
あたりはそれなりに本気だった。数を揃えるのが第一優先だ。
でも、怒られたので諦めて立ち止まる。
猫はすぐに見えなくなった。
「逃げちゃったじゃないか」
「足くらい切り落とす気だっただろ!? っていうかソレどこに持ってた」
「あー、これねぇ、ここで折りたたむとコンパクトな持ち運びサイズに。便利でしょ」
「どうでもいいから」
「聞かれたから答えたのに」
言いながら、実際に金具を操作して剣を折り、ベルトのホルスターに差す。拳銃を収
めるための道具を細工したものだ。使えれば本来の使用法など関係ない。銃なんて、撃
ち方は知っているけど持ってないし。
「あっ、猫いた!」
「え?」
クルトが指差した先を見ると、横の道から小さな三毛猫が飛び出してきたところだっ
た。「貸して」とクルトはこちらの手から虫取り網を奪い取って駆けていく。
彼が素人くさい動きで(玄人らしい猫の獲り方ってなんだ)網を振りおろした。もち
ろん猫はなんなくすり抜け、ニャアと鳴いた。
猫に続いて誰かが走りこんでくる――その目の前に飛び出したかたちになったクルト
が目を見開いたが、その“誰か”の方は、彼の前で足を止める。
「大丈夫ですか?」
「あ…うん。ごめんなさい」
「あなたも猫を探してるの?」
にこりとクルトに笑いかけて。
セラフィナは言った。
――誰にも知られてはいけないことを指摘されて、クルトの顔が、ひきつった。
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