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人物:ライ セラフィナ
場所:海上(デルクリフ⇔ルクセン)
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闇の中に氷が落ちていくような――そんな綺麗な比喩はある種の自惚れなのかも知れ
ないが、じんわりと痺れたように意識が醒めていく。温度と反比例する殺意が叫んだ。
こいつだけはブチ殺す!
思い出せと口の中だけで唱え、切っ先を前に剣を引く。
柄を握った手を、腰の高さで自分の体よりもやや後ろに構える。
独特というか無意味と評されたことはあったが、ちゃんとした剣技なんて習ったこと
もないからどうでもいい。他人の命を奪うことに何の抵抗もなかった昔の――つまりは
自分が人間だった頃の戦い方を、まるで他人の振る舞いを真似するように再現する。
「反則技でも勝てないって思い知らせてやるから、早く来いよ」
誘われると同時に踏み込む。切り上げた剣の向こうで端正な顔が酷薄に笑うのが見え
た。初めて刃の交錯し、小さな火花が刹那に溶ける。絡めた剣をすべらかな音と共に疾
走させる海賊に、ライは舌打ちして姿を消した。その直前に体に突き立った切っ先が抉
った傷はごく浅い。
「……死ぬまで何度でも殺せばいいんだろ?」
どうしたらそういった結論に至ることができるのかは知らないが――その通りだ。物
理的に与えられた傷の何割かはそのまま響くから、蓄積していけばいつかは力尽きて消
えるしかなくなるだろう。ただ消えるだけではない気もするが、実際にそうなったこと
はないのでわからない。
すぐ真横に姿を現すが、この戦法が明らかに無駄だということはわかっていた。刃を
薙ぐ予備動作は実体で行わなければ意味がない。相手はそれを余裕で認識して体を反転
させ、反撃の一撃を放ってくる。
ライは左手の中に具現させた警棒で刃を強引に逸らし、予想外の衝撃に相手の動きが
止まった一瞬に剣を突き出した。ロクに狙いを付けてもいない一撃は相手のコートを裂
いただけに留まる。そのまま追撃をかけようと剣の柄を軽く握り直し。
「――っ!?」
ぞくりと背筋を伝わった悪寒。ライは反射的に振り向いた。
目の前の男ではない。この船の上ではない。だけど近くから見えない力が広がって、
その波動が意識を小刻みに揺るがす。人の形の幻が現実から切り離されそうになる。今
までこういった感じがあったのは……
「なんだ……魔法?」
「イイネェ、余所見する余裕があるんだ?」
突き出された剣を身を、身を捻り辛うじて躱す。
もう一回くらいは斬り倒されるかも知れないと覚悟して剣を構え直す。睨みつけた先
で海賊が意外そうに片眉を跳ね上げた。
「あれ、もう消えないの?」
「……うるさい」
切り裂かれた左肩が激痛を訴えるのは無視。近くで魔力が妙な流れをしているせいで、
実体化の度合いを上手くコントロールできない。一度消えてしまえば、この魔力の波が
収まるまで姿を現すことはできなさそう。
それじゃ困る。僕は今すぐこいつを切り刻みたいんだから。
敵わないとか、相打つ覚悟だとか、そういう馬鹿馬鹿しいことはどうでもいい。
結果どうなろうが知るものか。今はこいつをブッ殺す!
――――刹那に瞬いた轟音と閃光が夜闇を蹂躙した。
ひどい衝撃が船を揺るがした。
大波に晒されたかのように甲板が大きく揺れ、上にいる全員を薙ぎ倒そうとする。
魔力の津波と物理的な揺れと、それらを同時に叩きつけられた。
咄嗟に伸ばした手がマストの支柱に届いたお陰で転倒はしなかったが、手放した剣が
甲板の上を少し滑って掻き消える。実体を保ち続けることに意識の八割方をやりながら
周囲を見渡した。
相変わらず周囲を照らすのは月光と遠い灯り。
不自然な炎の気配はないことに安堵。
「何が起こった!!」
「爆発が!」
船長の怒鳴り声に、船のあちこちから聞こえた悲鳴の一つが、答えにもならない答え
を返す。「無能め」という歯軋り。
「密航者です! あの貨物船の……ぐぅっ!」
叫びかけたその声が、妙な具合に途切れた。
再び爆発が起こる。何が起こっているのかわからない。
っていうか本当にいたのか密航者なんて。
海賊の誰かに見つけられて行動を起こしたのだろうが、いい迷惑だ。
敵の注意が逸れはしたがこちらも動けない。
更に爆発音が連なる。
一回目ほど強くはないが、その爆発を引き起こしている魔力が弾け、体の奥に染みて
軽い違和感を残す。
ちらりとこちらを見た船長が「もう少し生かしといてあげるよ」と言って踵を返す。
その目に含まれているのが鮮やかな嘲りだと汲み取って、ライは無言でその背中を睨み
つけた。誰だか知らないけど邪魔しやがって――
「……あ…」
そして、ふと思いつく。
冷静を通り越して血の気が引くまで意識が冷めた。
密航者らしい誰かがこの船の上に移動して暴れ始める前に、セラフィナを枷か
ら解放しなければならない。状況を知らない馬鹿の暴挙に巻き込まれないとも限らない。
さっきの海賊の悲鳴はすぐ近くだったから、もうこちらの船の上にいるのだろう。
強くはなさそうな爆発というのは船にとっての話だ。
人間にとっては強すぎる威力ではないとは限らないのだから。
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