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人物:ライ セラフィナ
場所:港町デルクリフ
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結局、食事を続ける気は起きなかったらしく、彼女はそのまま部屋へ戻った。
ライは彼女を追いかけて扉を開けずに部屋へ入り口を開く。
「さっきの人に、随分と警戒してたね」
「……そうですか?」
タオルを取りに行っていたから話は途中からしか聞かなかったが、普段よりも彼女の
声が硬かった気がしたのだ。
でも首をかしげたセラフィナには何かを隠すような様子はない。
「……気のせいだったかな」
軽く肩を竦めて言いながら、部屋を横切ってさっきとおなじ椅子に腰を下ろす。椅子
の背に肩肘を乗せて、それに寄りかかりながら窓の外を見る。
ガラス越しに、夜の海はぼんやりと深い闇だった。
「最初に僕に話しかけてきたときなんかは、もう少し……そーだなぁ、とっつきやすか
ったかな。雰囲気がもう少しやわらかかった気がしたんだけど」
言ったのは、何も意図したところではなく、どちらかと言えば口を滑らしたに近かっ
たが――セラフィナは慌てたように両手を振った。まるで過去の失敗――か、それと似
たような恥ずかしいことを指摘されたときの反応みたいだな、と思ってライは薄く苦笑
を浮かべる。
「あっ、あれは……ライさんが、知ってる人とよく似てたから、つい……」
「そんなにそっくりだった?」
弟とは、確かにたまに“区別がつかない”と言われた。だがそれは昔の話で、今のあ
いつがどうなのかは知らないし、実のところ、鏡に写らないものだから、自分の顔さえ
しばらく見ていない。
左目のあたりの皮膚が少しおかしくなっていることも、この前、セラフィナに言われ
るまで気がつかなかった。それからは、目の邪魔にならない程度の適当さではあるが、
髪で隠すようにしている。
とりあえずそんなことは今はどうでもいいが。
問題なのは、今、弟に会っても、すぐには彼だとわからないかも知れない、というこ
とだ。会うことなどないだろうけれども。
「ライさんより年下で、もっと大人しい感じでしたけど」
懐かしがるように目を細める彼女を見上げて、ライは「ふぅん」とだけ相槌を打った。
ああいうのは、“大人しい”じゃなくて“根暗”っていうんだ、と思ったが、もちろん、
内心に留めておく。
「僕も意外と若くて十六歳なんだよ……まぁいいや。
さっきカウンターで聞いたんだけど、明日の昼前に出る船があるんだって」
「本当ですか?」
「タイミングよかったみたい。コールベルの方に向かうらしいよ」
本当だったら早朝に一人で確認しに行ければいいと思ったが、最近は一目で“人外な
人”って言われるようになったから、下手に一人でいると面倒ごとに巻き込まれそうだ。
どんな目で見られようが別に構わないが、必要な情報が得られないのでは意味がない。
ここの従業員ならば嘘は言わないだろうから信じることにしよう。
ガンつけられたくないから一人で行動しない、と言い換えると相当情けないけれど。
だけどもう少しの辛抱だから。もっと調子が悪くなって、体の中が溶けるような感覚
が強くなって、我慢できなくなれば、躊躇わずに人の命を奪えるかも知れない。
一度そうなってしまえばもう大丈夫。だって僕をとめているのは罪悪感じゃなくて、
半ば意地のように自分は人間の範疇にあると思い込もうとしてるだけなんだ。誰も認め
てくれなくなても自分だけには貫くなんて、そんなカッコいい自己陶酔に浸れるほど強
くも弱くもないよ。
「ねぇセラフィナさん」
「はい?」
ライが立ち上がって、わざと声を弾ませて呼びかけると、彼女は笑顔で振り返ってき
た。一瞬前まで彼女が見つめていた夜の海に、さっとカーテンを引く。
彼女を惹きつける闇を部屋から追い出してライは笑った。
「僕が元気になったら嬉しい?」
セラフィナは、きょとんと瞬きしてから微笑んだ。
「ええ、嬉しいですよ」
きっと彼女はその方法が一つしかないことなんて知らないし、仮に想像したことはあ
っても真に受けたことなんかないだろう。だから裏も表もなく純粋に答えてくれたとい
うことだ。それはライを喜ばせた。
「じゃあ今日は早く寝なよ。船旅は意外と疲れるから――」
翌日、青い空の下で港は賑やかだった。キラキラと白い波が光るのに飾られた海が、
どこまでも続いている。そこに浮かんだ大きな船の一隻には、出港が近いだけあってた
くさんの人が集まっている。
昨日の夜に怪我をしていた男はいないかと見渡してみたが、見つからなかった。
大きな木箱が次々と船の中に消えていく横でセラフィナが船長と思われる老人に乗船
賃を払って、二人分のチケットを受け取った。
「セラフィナさん、船出までどのくらいかかりそうって……」
――ミャア
ちょうど言いかけたとき、小さな鳴き声が聞こえた。
思わず言葉を切って目をやると、船の甲板の縁の上に小さな三毛猫が座ってこちらを
見下ろしているのと目が合う。まだ子供だろうか、大きな目が宝石みたいで綺麗だ。
そんな感想を抱いているうちに、猫はさっさと縁から飛び降りて見えなくなってしま
った。
この船には動物がいるのか。いいなぁ。
猫は可愛いから好きだ。犬の次に。
「ライさーん、先に乗ってましょう?」
セラフィナが、ひらひらとチケットを見せながら声をかけてきた。
今の彼女はいつもより少しはしゃいでいるような感じがして、ライは、船旅もいいか
も知れないなぁなんて思いながら彼女の方に歩いて行った。
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