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人物:ライ セラフィナ
場所:港町デルクリフ
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岬の先にあったのは、想像していたよりもこじんまりとした町だった。小さな入り江
に、港そのものだけではなく町全体までも寄り添って、活気がないとはいかないが、あ
まり賑わっているというわけでもなく。
ソフィニアをこの周辺の中心として考えれば、大陸の西側との交流に使う港町はイノ
スで事足りてしまうのだ。
そして西にも東にも、陸路も続いている。だから、どこか半端な発展を遂げ、それが
そのまま、このデルクリフという港町全体の雰囲気となっているのだろう。
馬車は速度を落とさず町の中へ入り、「もうすぐ到着します」と顔を覗かせた男によ
れば、目指す先は丘の上の館のようだった。町を睨め下ろすように聳える豪邸。一目で、
この町でどれだけの力を誇っているかが理解できた。権力なのか財力なのか、或いは両
方を兼ね備えているのかまでは、わからないが。
目を覚ましていたセラフィナが少し顔を曇らせる。
「あの、申し訳ないですけど、急いでいますので……」
「でしたら是非ともご一緒していただけませんか。
この町の大きな船は、殆どがエッカルト家の所有ですから、ご来訪いただければ、旅
もはかどることでしょう」
セラフィナの表情が更に複雑になる。
当の相手は、ただただ得意そうに笑顔を深くした。
「……?」
何かがおかしいなと思いながらライは少しだけ目を細める。どうやらセラフィナは、
彼らにとってよっぽど大切なお嬢様らしいけれど、そうだとしたら普通、旅などやめて
留まるように勧めはしないか。
少なくとも、正規の共ではなく得体の知れないユーレーと二人(一人と一匹、と数え
られてるような気がしなくもない)だけで、乗り物も使わずのてのて歩いていたら……
普通は、もう少し違う反応をしないか?
なのにこの男は彼女の行き先さえ問いもしない。その上で、旅の手伝いを――などと
いうような内容の話を切り出した。
金持ち連中の常識なんか知らないから、意外とそういうものなのかも知れない。
縁のない世界の“アタリマエに”違和感を感じるのは、よくあることだろうが……
それでも少し気になって、口を出してみる。こちらが言葉を考える一瞬の間に即座に
嫌な顔を作った男の、反射神経だけは評価してもいいかも知れない。
それにしても、こういう風に対応を変えるから一言一言の滑稽さが増していると、こ
の男は自覚しているのだろうか。教える義理もないからどうでもいいけど。
「いえ、特別扱いしていただくわけにはいきません」
困惑の濃い笑顔を見なくとも、セラフィナが困っていることは明白だった。それに気
づかないほど、この男は鈍いのだろうか。それとも鈍いふりをしているのだろうか。
「私たちはここで失礼させていただこうと思います」
「でしたら――」
と、尚も言い募る男の声に、ようやく譲歩の色が滲んだ。
彼は御者に声をかけ、馬車の速度が遅くなり、すぐに止まった。こんな道の真ん中で
迷惑だなぁと思ったが黙っておく。口を出せばややこしいことになるのはわかっていた。
「せめて、お泊りになられる宿はこちらで用意させてください。
近頃は物騒ですから……」
物騒なのは昔からだ。
ソフィニアの事件は派手だった上に、一般に情報が秘匿されたまま“解決”してしま
ったから、記憶から薄れるにはまだ時間がかかるかも知れないが。そういえば、ひどか
ったらしいポポルの爆発事件のことも、あまり近くない土地にいるせいもあるだろうが、
すっかり話に聞かなくなった。
人の話題なんてあっという間に入れ替わっていく。このままいけば、あの手配書も、
うやむやのうちに分厚いファイルに埋もれて忘れられてくれるかも知れない。
誰も掘り起こさなければ――だが。
これ以上は無理だと思ったのか、セラフィナは「それではお願いします」と答えた。
男は「この町で一番の宿をご用意いたします」と言ってから、初めて、こちらを横目に
した。
「そちらの方は……如何いたしましょうか?」
言いにくそうにしたのは、ただ単に、いい家のお嬢様のご機嫌を損ねたくないと思っ
たからというわけなのだろう。相手の意図はどうでもよかったが、嫌悪と見下しの雰囲
気がはっきりと伝わってきていい気分はしなかった。
普通ならここで恐怖とか畏怖とか混ざってるもんなんだけどなぁ。僕って、そんなに
ナメられるような見た目だっけ? 確かにテンション高い方ではないけど。
「放っといていいです」
「そですか」
自分で答えると、今回はあっさりと頷かれた。
こういう分かりやすいところは、或いは、この馬鹿の欠点であると同時に美徳かも知
れない、と、思い直してみたりした。
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