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人物:ライ セラフィナ
場所:街道(ソフィニア⇔バイコーク)
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馬車に揺られながら――という表現は、この場合には間違いだろう。殆ど、揺れがな
い。クッションが効いているだけでなく車輪の種類やら何やらに、細かな工夫がなされ
ているらしい。しかし、専門の知識のないライには判別つかなかった。
「セラフィナさん、いいところのお嬢様だったんだね」
窓の外を眺めながらライがそう言うと、セラフィナは複雑そうな微笑を浮かべた。
詮索して欲しくなさそうだと一目でわかるその様子に、どうしたものかとライは目を
伏せる。
そしてさっきのことを思い出す。
馬車から飛び降りてきた若い男はトリステン家の使いだと名乗った。
確か、ここ数年で幾つかの大都市に勢力を伸ばしてきた地方商家。ポポルにも進出し
ていたと思う。何の分野を扱っているのかは覚えていないが。
男はセラフィナの前に跪いて時代錯誤な――今時、どこかの王族にしかやらないよう
な大仰なご機嫌伺いの言葉を並べ立て、ついでに、セラフィナの横で事態についていけ
ずに突っ立っていたこちらに明らかな不審の目を向けてきたりした。
「なんで魔物なんか連れていらっしゃるのですか」とズケズケ言ってきたのには、ちょ
っとカチンときて何か言い返そうとしたが、その前にセラフィナに制止されて、そのま
ま彼女が男を強引に説得して、しぶしぶ納得させた。
その後で男は「どうして従者もなくこんなところにいらっしゃるのですか」なんて言
い出して「道中は危険ですから」と続いて、なんだか、気がついたら二人して馬車に乗
せてもらうことになっていた。
北の岬にある港町に、分家の屋敷があるそうで、この馬車はそこへ向かっているらし
い。このままでは恐らく立ち寄ることになるのだろうが……セラフィナはあまりそうし
たくないみたいだ。
流れていく景色は、いくつかの町や村を通り過ぎた。かなりの急ぎなのか、この付近
では大きな町であるバイコークにも寄らないという。男は、狭い場所に座り続けること
で体に負担をかけることを、セラフィナに詫びていた。
本当だったら徒歩のはずだった行程を歩かなくて済むというわけで、その面に関して
はありがたい話だ。セラフィナは、自分が病み上がりであることなど男には言わなかっ
たし、男もまったく気づいていないようだったが。
ライの都合で言えば、勘弁して欲しかった。
ことあるごとにセラフィナの機嫌を伺って彼女を困らせる男と向かい合って長時間を
過ごすのは、いい加減に殴りたくなるのを我慢しなくちゃいけなくて精神的に悪い。
男の方は、やっぱり、すごい気に入らなそうな視線をたまに向けてくるし。
セラフィナとトリステン家の関係がどうなのかは知らない。だがきっと、この男も、
同じようなものだろう。ただ、顔と名前と身分を知っているから、無闇に敬っている。
そんなところ。
だから、男が口を開くとライが無言で睨む。ライが口を開くと男が「この方に無礼な
口を利くな」と睨む。でも、そろそろ諦めたらしく相手も無言になってきたから、判定
勝ちだろうか。勝ち負けがあるかはともかく。
寝たふりを決め込むことにして、ライは体勢を変えて目を閉じた。何言われても反応
するもんか。
昔、何かで寝たふりしていたら本当に寝てしまって相方に怒られたことがあるが、今
回は大丈夫だ。だって睡眠をとることはできないから。
便利といえば便利だが、この際、いっそ本当に寝てしまった方が心の平穏は保てるよ
うな気がする。夢の中にいれば、目の前の馬鹿が何を言っても聞こえないで済む。
下手したら死んだふりだよなぁとか、あんまり趣味のよくないことを思いついた。
位置的に移動しないで一箇所に留まっているのならば遠慮せず姿を消すが、馬車が移
動しているから、実体は保たなければならない。
ああ、そういえば、船の上でもそうか。疲れること、この上ない。
――少しだけ開いた窓からの風も、あまり和やかではない空気を薄めることはできな
いでいる。そのまま、馬車は走っていく。
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