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人物:ライ セラフィナ
場所:ソフィニア ―宿屋『クラウンクロウ』
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扉がノックされたような気がしてセラフィナは目が覚めた。
見えるのは天井で、薄明かりから夜が明けたことが推測されて、ようやくココが宿
であることを思い出す。
昨日は、ああそう、あの後宿まで運ばれて、それで、応急手当をしてもらったんだ
った。治癒魔法を使える人をヘルマンさんが連れてきてくれたけど、封魔布を捲いて
いたせいかあまり効果がなくて。体を動かそうとすると引きつったように傷が疼[う
ず]くのは多分そのせい。宿の女将さんに手伝いを頼んで、持参の薬を傷に貼って、
サラシを巻いて。ボロボロになった服の代わりを捜してくれるとも言っていた様な気
がする。でも……。
「ライさん……」
彼には会わなかったはずだ。何処で何をして時間を過ごしたのだろう。
なんとか体を起こそうとしてようやくあられもない姿に気付き、慌てて毛布を掻き
寄せ、体に巻き付ける。人が入ってきた後に気付かなくて良かった。さすがに頬が火
照る。サラシ一枚で異性に会うわけにもいくまい。
「ちょっとあんたたち!怪我人の部屋の前で何やってんだい!」
威勢のいい声が部屋の中まで響く。ノックで起きたと思ったのは夢ではなかったの
だ。待たせた誰かに申し訳ないと思う反面、うっかり入ってもらわなくて良かった、
と胸を撫で下ろさずにはいられない。毛布を急いで巻き直し、髪を撫でつけ、枕を背
もたれにしてようやく上体を起こす。
「レディの着替えを覗く気じゃないだろうね?」
そう言いながらドアが軋んだ。入ってきたのは女将一人。
「ああ、まだ無理して起きちゃいけないよ」
そう言って、持ってきた紙袋から着替えを取り出す。青いシルク地に小さな龍の紋
様が銀糸で刺繍された東洋風の服。白い木綿のズボンが付いていてホッとした。東洋
風のデザインというのは動きが制限されることが多く、スリットが深く入っている場
合でも普段晒さない肌を露出させるようになっている。それは出来れば避けたかっ
た。
「ありがとうございます」
素直に感謝の言葉が漏れる。濡らしたタオルで一通り体を拭き、薬を張り替え、手
伝って貰いながらサラシを巻き直す。ようやく袖を通した新しい服は、なんだか少し
くすぐったかった。
「本当に災難だったねぇ」
タオルや洗面器を片づけながら女将がこぼす。ヘルマンの配慮で今回のことは伏せ
られていた。女将にも正確な情報は伝わっていないだろう。少し申し訳なく思いなが
らも、困ったような笑顔を向けることしかできなかった。
「ところで」
「はい?」
「昨日のお兄さんが扉の前でお待ちかねだよ、部屋に入れてもイイかい?」
昨日の、お兄さん……?ライの顔が浮かぶが、期待がはずれると寂しいので頭から
追い出すことにした。ヘルマンは様子を見に来ると言っていたから、彼であった場合
に残念そうな表情になるのも失礼だろう。まあ、ヘルマンが「お兄さん」と呼ばれる
年齢かは微妙なところではあるのだが。
「私は大丈夫です、お通しして下さい」
ベッドで枕を背もたれにしたまま、髪に少し櫛を通して答える。女将は持ってきた
荷物を片づけると、心配そうな顔を向けて囁いた。
「早めに休みなよ?」
女将の心遣いがありがたかった。セラフィナが頷くと、女将が部屋を後にする。扉
の前で「怪我が酷いんだから長居はダメ」とか「静かにしなさいよ」とか、客に注意
する声が聞こえたので、セラフィナはくすくすと笑った。が、やはり傷に響いてすぐ
に顔をしかめる。もう少し、そう、もう少し痛みが引けば回復も早いだろう。練気は
自己再生機能も促進させることが出来るはずだから。一度深呼吸して、意識を痛みか
ら引き離す。大丈夫、呼吸法に気をつければ、動かない分はそう痛まない。
「セラフィナさん、入るよ?」
扉の隙間から顔を出したのはライだった。セラフィナは驚きと喜びに身を乗り出し
そうになって苦痛に顔を歪める。心配そうに表情を曇らせるライの目に映ったのは、
苦笑するセラフィナの姿だった。
「ライさん、心配したんですよ?」
「それはコッチのセリフだから」
セラフィナの苦笑にライも苦笑で返す。ラ後ろから居心地悪そうにヘルマンが現れ
た。
「具合はどうだね、お嬢さん」
「おかげさまで予想よりは早く動けそうです」
「そうか。一応事件のことで言っておきたいことがあるんだが、イイかな?」
「……伺いましょう」
セラフィナがもたれていた枕から体を起こし、姿勢を正す。一瞬眉をひそめたが、
何事もなかったように笑顔を浮かべてみせた。
ライは何も言わずにベッド脇に立ち、セラフィナ側からヘルマンを見る。
「今回の事件は解決した、ということで、これ以上の詮索はやめていただく」
ヘルマンは事務的な口調で淡々と続ける。
「そのかわりコチラも君たちのことは詮索しない。治安維持隊に引き渡しもしない」
「……それだけですか?」
「勿論口外は厳禁だ。そう悪い話ではないだろう」
ヘルマンはあからさまな態度でライに視線を振った。ライが不快な表情を浮かべる
も、ヘルマンに敵意や殺意は見られなかった。
「そうそう、この街に入る前に助けられたお礼がまだだったからね」
ベッドの隅に小さな布袋が置かれる。
「傷が癒えてしばらく位は生活できるだろう」
「そんなつもりでは……」
「受け取っておきなさいお嬢さん。今回のお詫びも表立っては出来ないのだから」
事務的な表情を崩してヘルマンが笑う。では、と軽く会釈をして、ヘルマンは部屋
を後にした。残されたのはライとセラフィナの二人だけ。
「ええと、結果オーライ?」
肩を竦[すくめ]めるように振り返ったライの姿がなんだか微笑ましくて、セラフ
ィナは満面の笑みを浮かべた。
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