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人物:ライ セラフィナ
場所:ソフィニア ―夜の市街地
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低い姿勢のまま無言で踏み出し、足を払う。
当たるとは思っていなかった。そんなに楽観視は出来なかった。所詮、他の行動を
とらせないための時間稼ぎに過ぎないことも知っていた。
立て続けに放つ蹴りも、拳も、やはり相手を捉えるまでには至らない。
シュッ シュッ シュッ
空を切る音だけがこだまする。老人は面白そうにセラフィナを見下ろし、そしてラ
イは肩を押さえ苦痛に顔が歪ませている。
いつまで続いただろう。
受け流し、よけ続けるのにも飽きた目の前の敵は、おもむろに掌を差し出す。
その掌には光が集まり、そして。
避けられないタイミングではなかった。だが、完全に避けるには体勢を崩してしま
い、致命的な隙が出来る。セラフィナはギリギリまで体を反らし、踏み止まった。
「セラフィナさん?!」
ライの声が聞こえる。光が右の脇腹を浅く抉[えぐ]る。
きっと見ている方が痛いのだろう。ライの声の方が辛そうだ。
しかしセラフィナは痛みを感じていなかった。後で酷い痛みに襲われることは分か
っていたが、こんな所で死ぬわけにはいかなかった。
「破っ!」
至近距離で気弾を打ち出す。老人の片眉がぴくりと上がる。
一か八か、やっと見つけた僅かな隙。
「ライさん!」
叫びにも似た声と共に針を構え、投射する。ライは声に答えるようにダートを具現
化しようとするが上手くいかない。苦々しげに顔を歪める。
嬉しくない予想通り、敵は無数のカラスへと変化した。
一度に投げられる針は両手で八本、全部を当ててもまだ足りない!
一斉にからすが飛び上がる。撃ち落としたカラスは……半数に満たない。
セラフィナはキッと空を見上げた。カラスは何度か旋回して、急降下してくる!
もう一度針を構えるが、こちらが打つよりもカラスの動きは早かった。とっさに後
方へ飛び退き、左へ前回りに受け身を取る。
体を転がして避けるにも限界があった。鋭い鋼のような嘴[くちばし]が傷を狙っ
て襲いかかる。服を裂き、肌に無数の血が滲[にじ]む。
傷を庇うように体を丸めたセラフィナの上に、ライが覆い被さった。
無理をしたのだろう、肩から滴る血が地に落ちて、色を失い、消えていく。
このまま、朽ちてしまうのだろうか。
優しい彼を巻き込んで、何もできないまま。
目前に数羽のカラスが集う。体を復元するのには数が足りないのか、老人の頭だけ
が空中に浮かびあがる。
「時間切れだ」
ニィィィィッと不気味に笑った。口の中に光が集まる。
セラフィナは、思わず目を瞑った。ライがセラフィナから体を離し、飛びかかろう
としたが、間に合うはずもなく…………閃光が走った。
駆け寄ってくる足音が聞こえて、セラフィナは顔を上げた。何故か死の淵に立って
いたはずの自分が無事で、老人のガイコツがひび割れ無惨な姿で転がっている。
途端に、セラフィナは顔をしかめた。右の脇腹が焼け付くように痛む。頬や腕に幾
筋も残る切り傷も、まだ血が止まっていない。
「無事か?!」
駆け寄ってくるのはヘルマン。急行した先で無惨な死体を発見した後、慌てて戻っ
てきたのだろう。あれだけ大騒ぎで宿を飛び出したのだ。逃げた方角を覚えていた人
がいてもおかしくない。一人、先に飛び出してきたのだろうか?遠くから部下の靴音
が聞こえるような気もする。
「……彼は?!」
声を出すのも辛い。しかし、視界の何処にもライがいない。
セラフィナは必死に辺りを見回した。撃ち落とされたカラスの群と、無数の羽根。
ライの姿はやはり見あたらなかった。
「すまない、魔法銃には当たらなかったハズなんだが、閃光がおさまった後どこにも
見あたらないんだ」
ヘルマンが眉間に皺[しわ]を寄せ、深刻な顔をする。
セラフィナは座り込んで動けなくなってしまった。体の無理が、自由を奪う。
「とにかく、回復魔法を使えるモノを手配させる」
近くなった足音に、ヘルマンは駆け戻っていった。ヘルマンの背中がまだ見える。
が、いまなら彼の注意はセラフィナに向いていない。
「ライさん……意地悪しないで。本当はいるんでしょう?」
囁くようにセラフィナが語りかける。本当にいるのか、分かるわけはなかったのだ
が、いないことはもっと信じられなかった。
「……ほんと、セラフィナさんには敵わないよね」
目の前が揺らいだかと思うと、傷を負った姿のままのライが現れる。
「こういうの、あんまり見せたくなかったんだけどなぁ」
ちょっと疲れた笑顔。心なしか透けているような気さえする。
セラフィナのほうはというと、彼が来てくれたことに安心して、力が抜けてしまっ
た。
「ちょっ、無理するんだから……」
前方に倒れ込むセラフィナを支え、ゆっくりと地面に横たわらせたライは、セラフ
ィナの髪を少しだけ撫でつけるように触ると、再び姿を消した。
途中から目を閉じていたから、もしかしたら気のせいなのかもしれない。すぐ後に
ヘルマンが駆け寄る足音を聞いたような気もしたが、それも良く覚えてはいない。
ただ、ライが「またあとでね」と言ったのが気のせいじゃないといいのに、と、沈
みゆく意識の中でセラフィナは強く思った。
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