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PC:クレイ カイ
NPC:クレア ギルベルト ウルザ ルキア
場所:王都イスカーナ
―――――――――――――――――――――――――――――――――
――
日々全ては元の平穏に……とはいかないもので、一度進み始めた時間
はただ先へ先へと流れるままに。
まるで時間という形の無い獣に追い立てられているようだ。
どこかの詩人かぶれの下級貴族が言っていたのを不意に思い出し、苦
い顔で自嘲する。
(そーだよ、俺の知り合いで下級以外の貴族がいたか?)
クレイは下級であることに恥じも誇りも持っていないが、今の自分が
意図しなかった状態にあることに、いささか皮肉を感じずに入られなか
った。
「お越しいただきありがとうございます。」
数ヶ月前までは言葉を交わすことはおろか、この屋敷にいる人間は、
ハーネス公爵その人しかしらなかったような自分が、よりにもよって顔
見知りができ、なお礼を持って迎えられる。
「こちらこそお招きいただき光栄です。」
目の前にいるのは見慣れたメイド姿のウルザと、こちらは見慣れてな
いはずだが、すまし顔でたたずまれると見慣れたルザと見分けのつかな
い同じメイド姿のルキアが入口で迎えてくれた。
軽く礼を返しただけの無口な相棒のカイとともクレイは、うろ覚えの
貴族の儀礼典範を記憶の底から引きずり出しながら、可能な限り礼儀正
しく挨拶を交わし、屋敷へと招き入れられた。
ロイヤーとの一件の後、クレイとカイはクレアの護衛を解かれ、元の
隊での仕事に戻っていた。
おおよそ一月近くほったらかしにされたわけだが、突然におこったデ
ィクタでのリアナ王女の反乱にイスカーナの政治は混乱していたため、
クレイもカイもあえてこちらから接触するつもりは無かった。
ただ一度だけ見回り途中にロイヤーの屋敷を訪れてみた。
そんなに日がたっていないにもかかわらずすでに人の気配は無く、門
柱からも家紋ははがされ、静寂を残すのみとなっていた。
二人は何を話すでもなく無言のまま屋敷を後にした。
別に同情する気持ちは微塵もおきなかったが、憎しみがあったわけで
もない。
ただ、ふと、ほんとにわずか一瞬であったが、かれらがほんとに望ん
だのは何だったのか、それは、案外誰もが求めているものではなかった
か、そんなことが頭をよぎった。
その後は終わった事件のことはほとんど忘れかけながら仕事に励んで
いたところ、ある日公爵家からの招待状が届いたのだ。
『先日のお礼をしたい』
もちろん、上流階級特有の持って回った言い回しと、意味の無いお褒
めの言葉の羅列が長々と続く立派な文章が書かれていたのだが、中身を
まとめるとそういうことだった。
「よくきてくれた。」
激務といってもまだ足らないほどの公務におわれているはずのギルベ
ルトは、むしろ活力に満ち溢れ、さらに若々しい力を感じさせる様子で
二人を出迎えた。
通された部屋はギリベルトの私室でもあり、特に賓客をもてなすとき
に使われる部屋で、その内装は華美でこそ無いものの、テーブルといい
革張りのソファーといい、どれもこれも今のクレイの生涯給金でもかえ
るものではない『お宝』揃いだった。
二人は勧められるままにやたらと座り心地のいいソファーに腰を下ろ
し、同じく正面に座ったギルベルトと向かい合った。
「まずは礼を言わねばなるまい。」
そういってあたまをさげたギルベルトは、この一月のことを話そうと
したが、クレイはそれを失礼ながらとさえぎった。
「知ったところで意味の無いことは知る必要はないし、興味も無い。」
続けて相変わらず無愛想にいいきったカイにクレイも苦笑しつつ肩を
すくめて見せた。
「クレアを護りきれたことが確認できたなら、胡散臭い話はいいですよ。
」
あまりフォローになってないクレイの言葉にギルベルトも苦笑せざる
を得なかった。
「そういうことなら礼だけ受けてもらおう。こっちはまさか断るまいな?
」
そういって戸口にひかえるウルザとルキアをうながした。
「実はクレアが二人をもてなしたいというのでな。まだ社交界にもだせ
てない娘だが、うけてはもらえぬか?」
たしかに社交界で何の実績も無い小娘が主人としてもてなすなど、無
礼といわれてもしかたないことだが、事が公爵、それも大公、いまとな
っては二大公爵家の一人娘となれば話は変わってくる。
だが、ふと目を合わせたメイドがおかしそうに目だけで笑ったところ
をみると、娘のわがままに親ばかで乗せられたのが真実なのかもしれな
いのだが、どちらにしろ、クレイ程度の身分で受けられるものではない
のは確か。
この手の栄誉だのなんだのに一切の価値を認めていない二人だったが、
形だけのものとはいえ公爵家で振舞われるもてなしといえば、安月給で
ありつけないものであることは確実だったので、断る理由は無かった。
「あれ? カイは?」
ウルザのあとについて通された部屋は、護衛中は一度も入ったことの
無い豪華な部屋だった。
部屋の大きさを見ると大勢で会食をするというよりも、内々のより親
しい客を招くところであるらしかった。
そのテーブルに先に着いていたクレアがあれ?不思議そうな顔をして
いた。
席に案内し、退出するウルザを横目に着席したクレイは肩をすくめた。
「トイレじゃねえの?」
そういうとカイを待つのも惜しいとばかりに早速食事にとりかかろう
とする。
「ちょっと! なにか忘れてない?」
クレアはおもわず一撃をくらわすつもりで立ち上がりかけたが、思い
直してすわりなおす。
それもそのはずで、きょうのクレアは令嬢らしくシンプルながら上質
の絹に金銀を溶かし込んだ糸を素人目にも目を引かれる複雑で見事な柄
へと織り込み、はっきりと『お姫様』の装いなのだった。
「ん? カイならいちいち待たなくてもおこりゃしねーよ。それともお
前も長ったらしい口上を披露したいのか?」
そんなクレアを前にしてもいつもと変わらない様子のクレイに、あき
らめたような安堵したような、クレア自身にもよくわからない気持ちに
ため息をついた。
「もう、いいわよ。それより、その肉に喰らいつく前にそっちのスープ
から飲んでってウルザがいってたわよ。」
「ふーん、なんのスープだろ?」
「さあ?」
「お姫様に聞いてもむだでございましたな……。」
「むー。なんでよ!」
食事をしながら普段どおりの会話を交わす二人を、隣室から様子を伺
っていた一組のメイドは、同じ顔を見合わせて首をかしげた。
「あっれー?」
「おかしいですねぇ。」
この二人にしては実にめずらしいことだったが、気をとられすぎて油
断していたのか……。
「なにが、だ?」
ひっそりと足音はおろか気配のかけらも感じさせずに後ろに現れたカ
イの静かな声におどろき、声を上げそうになって、慌てて口を押さえな
がらふりかえった。
「あ、らー。」
「こ、これはお早いお戻りで……。」
実はこの部屋に向かう途中、こっそりとクレアにクレイと二人になれ
る時間をあげてほしい、とうちあけられたカイは、先に小用を足してく
ると断りをいれて、クレイとわかれ、わざわざはずれの警備の者達が使
うような便所のほうへと向かったのだった。
とはいえ、いきたくて言ったわけでもないので、クレイにわからない
程度に離れるとすぐに引き返し、廊下ででも時間をつぶしたら怪しまれ
ない程度の頃合に合流しようとしていたところ、近くでこそこそしてい
る二人に気づき、こうして声をかけたのだった。
「いやー、そのぉ。」
いつも自信たっぷりのルキアは言いにくそうにウルザを見、ウルザも
困ったようにカイを見た。
「あのー、ほら先日はいっぱいくらわされたしさ……。」
「……はい、ほんの少しですけど、その桃色キノコを……。」
さすがにカイも眉をしかめたが、向こうの二人の様子をうかがうと、
二人を怒ることも無く、それどころか笑みさえ浮かべていた。
「どうやら無駄だったらしいな。」
これは企んだ二人には嫌味に聞こえたが、さすがに言い返せる立場で
もないのでさらに申し訳なさそうに首すくめた。
「でも、ちゃんとスープにはかって入れたんだから、今頃クレアさまに
メロメロのはずなんだけどなー。」
「はい、席の位置・効果ちゃんと計算したんですけど……。」
カイを遠ざけることも含め全て計算づく立ったのだが、なぜしくじっ
たのか。
不思議がる二人をカイもさすがにおかしそうに見ながら、再びクレイ
とクレアに温かい目を向けた。
「あの二人には余計なお世話はいらんということだろう。」
「えっ?」
「それってどううことです?」
カイの言葉の意味を図りかねて、なぜか勢い込んで聞き返す二人に今
度はカイが不思議そうな顔になる。
二人がお互いを好意的に想っているのは確かだ。
確かにクレアの想いとクレイの想いが、まったく同じ種類のものとは
限らないが、ほれ薬が効かないのだから、脈が無いわけでもないだろ。
そんなことはこの二人にもわかりそうなものなのに、なぜここまで気
にするのか。
ふいに、天啓のごとくカイに閃く事があった。
「これは大公も承知のことなのか?」
その閃いたまま、感情を感じさせない冷静な声で問いかけた。
ルキアもウルザもなにか起こられるとでも思ったのか、ふたたび口を
閉ざし首をすくめた。
その態度から肯定と知ったカイは、なぜか少し黙った後、
「そうか……。」
だけ言い残して部屋へと入っていった。
「おう、先にやってるぜ。」
「ああ、カイ、聞いてよ、クレイがねー。」
「おい、そいつはおれのだろうが。」
「ちょっとは遠慮しなさいよ。」
「なにってやがる、今日は客できてんだ。」
後には賑やかな歓声だけが部屋からもれていた。
あくる朝、まだ日が昇りかけている明け方。
朝市のため一日の中でも最も早く人が込む一般用の門へと続く道を、
この都に現れたときのような軽装のまま歩くカイの姿があった。
「まったく、無愛想のくせにわかりやすすぎるぜ。」
ふいに声をかけられて足を止めたカイの視線の先に、門に向かう途中
で待ち伏せるように立つクレイがいた。
「……クレイ。」
カイは何も言わないまま分かれるつもりだった相棒の名を呼んだまま、
後を続けられずに黙ってしまった。
先日の晩餐、はからずもギルベルトがクレイに目をつけたことを確信
したカイは再び旅にでることを決めた。
元々長居する気は無かったが、事が急変しつつあること知ったからに
は、下手にしがらみができる前に退散すべきと先を急ぐことにしたのだ。
それはクレイがこの先、イスカーナで上へとむかうのに自分の存在は
足かせになりかねず、かといってかつてのように影となる気も無かった。
二君を選ぶ気が無い以上、自分のような後ろぐらい友人はプラスには
ならない。
そうした政治の厳しさを、カイは下手をしたらクレイよりもよく知っ
ているだけに、ここにはいられないと思ったのだ。
「クレイ……。」
再び苦しい弁明を絞り出そうとする相棒に、クレイは中身の詰まった
革の小袋を投げ手よこした。
うけとったカイはその重さに驚き中身を見ると、イスカーナ硬貨がつ
められていた。
「給料と報酬だよ。そもそも旅費を稼いでたんだろ?」
そういって笑うクレイは全てを承知していることを伝えていた。
「そうか……。 とっくに覚悟を決めていたのだな。」
「ああ、ちょっとがんばってみることにしたよ。」
相変わらず軽い口調ながら、その中に真摯なものを感じてカイは笑み
を浮かべた。
「クレアのためにか?」
「はっ! いうじゃねぇか。」
クレイも笑顔で返すと、ゆっくりと歩き出し、カイを通り過ぎていく。
すれ違いざまに軽く手を上げると、カイも同じように手を上げて軽く
打ち合わせる。
「また金がなくなったら、今度は俺が仕事世話してやるよ。」
「おぼえておこう。」
クレイの生きる場所はここにあり、カイは旅のなかに生きている。
ならばカイの気持ち次第でいつでも合えるということだ。
そうであればさよならは必要ない。
「またな。」
「ああ、またな。」
二人は振り返らないままそれぞれの道へと進んでいった。
カイは再び自由の空の下に、クレイは再び権謀渦巻く都のなかへと。
PC:クレイ カイ
NPC:クレア ギルベルト ウルザ ルキア
場所:王都イスカーナ
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日々全ては元の平穏に……とはいかないもので、一度進み始めた時間
はただ先へ先へと流れるままに。
まるで時間という形の無い獣に追い立てられているようだ。
どこかの詩人かぶれの下級貴族が言っていたのを不意に思い出し、苦
い顔で自嘲する。
(そーだよ、俺の知り合いで下級以外の貴族がいたか?)
クレイは下級であることに恥じも誇りも持っていないが、今の自分が
意図しなかった状態にあることに、いささか皮肉を感じずに入られなか
った。
「お越しいただきありがとうございます。」
数ヶ月前までは言葉を交わすことはおろか、この屋敷にいる人間は、
ハーネス公爵その人しかしらなかったような自分が、よりにもよって顔
見知りができ、なお礼を持って迎えられる。
「こちらこそお招きいただき光栄です。」
目の前にいるのは見慣れたメイド姿のウルザと、こちらは見慣れてな
いはずだが、すまし顔でたたずまれると見慣れたルザと見分けのつかな
い同じメイド姿のルキアが入口で迎えてくれた。
軽く礼を返しただけの無口な相棒のカイとともクレイは、うろ覚えの
貴族の儀礼典範を記憶の底から引きずり出しながら、可能な限り礼儀正
しく挨拶を交わし、屋敷へと招き入れられた。
ロイヤーとの一件の後、クレイとカイはクレアの護衛を解かれ、元の
隊での仕事に戻っていた。
おおよそ一月近くほったらかしにされたわけだが、突然におこったデ
ィクタでのリアナ王女の反乱にイスカーナの政治は混乱していたため、
クレイもカイもあえてこちらから接触するつもりは無かった。
ただ一度だけ見回り途中にロイヤーの屋敷を訪れてみた。
そんなに日がたっていないにもかかわらずすでに人の気配は無く、門
柱からも家紋ははがされ、静寂を残すのみとなっていた。
二人は何を話すでもなく無言のまま屋敷を後にした。
別に同情する気持ちは微塵もおきなかったが、憎しみがあったわけで
もない。
ただ、ふと、ほんとにわずか一瞬であったが、かれらがほんとに望ん
だのは何だったのか、それは、案外誰もが求めているものではなかった
か、そんなことが頭をよぎった。
その後は終わった事件のことはほとんど忘れかけながら仕事に励んで
いたところ、ある日公爵家からの招待状が届いたのだ。
『先日のお礼をしたい』
もちろん、上流階級特有の持って回った言い回しと、意味の無いお褒
めの言葉の羅列が長々と続く立派な文章が書かれていたのだが、中身を
まとめるとそういうことだった。
「よくきてくれた。」
激務といってもまだ足らないほどの公務におわれているはずのギルベ
ルトは、むしろ活力に満ち溢れ、さらに若々しい力を感じさせる様子で
二人を出迎えた。
通された部屋はギリベルトの私室でもあり、特に賓客をもてなすとき
に使われる部屋で、その内装は華美でこそ無いものの、テーブルといい
革張りのソファーといい、どれもこれも今のクレイの生涯給金でもかえ
るものではない『お宝』揃いだった。
二人は勧められるままにやたらと座り心地のいいソファーに腰を下ろ
し、同じく正面に座ったギルベルトと向かい合った。
「まずは礼を言わねばなるまい。」
そういってあたまをさげたギルベルトは、この一月のことを話そうと
したが、クレイはそれを失礼ながらとさえぎった。
「知ったところで意味の無いことは知る必要はないし、興味も無い。」
続けて相変わらず無愛想にいいきったカイにクレイも苦笑しつつ肩を
すくめて見せた。
「クレアを護りきれたことが確認できたなら、胡散臭い話はいいですよ。
」
あまりフォローになってないクレイの言葉にギルベルトも苦笑せざる
を得なかった。
「そういうことなら礼だけ受けてもらおう。こっちはまさか断るまいな?
」
そういって戸口にひかえるウルザとルキアをうながした。
「実はクレアが二人をもてなしたいというのでな。まだ社交界にもだせ
てない娘だが、うけてはもらえぬか?」
たしかに社交界で何の実績も無い小娘が主人としてもてなすなど、無
礼といわれてもしかたないことだが、事が公爵、それも大公、いまとな
っては二大公爵家の一人娘となれば話は変わってくる。
だが、ふと目を合わせたメイドがおかしそうに目だけで笑ったところ
をみると、娘のわがままに親ばかで乗せられたのが真実なのかもしれな
いのだが、どちらにしろ、クレイ程度の身分で受けられるものではない
のは確か。
この手の栄誉だのなんだのに一切の価値を認めていない二人だったが、
形だけのものとはいえ公爵家で振舞われるもてなしといえば、安月給で
ありつけないものであることは確実だったので、断る理由は無かった。
「あれ? カイは?」
ウルザのあとについて通された部屋は、護衛中は一度も入ったことの
無い豪華な部屋だった。
部屋の大きさを見ると大勢で会食をするというよりも、内々のより親
しい客を招くところであるらしかった。
そのテーブルに先に着いていたクレアがあれ?不思議そうな顔をして
いた。
席に案内し、退出するウルザを横目に着席したクレイは肩をすくめた。
「トイレじゃねえの?」
そういうとカイを待つのも惜しいとばかりに早速食事にとりかかろう
とする。
「ちょっと! なにか忘れてない?」
クレアはおもわず一撃をくらわすつもりで立ち上がりかけたが、思い
直してすわりなおす。
それもそのはずで、きょうのクレアは令嬢らしくシンプルながら上質
の絹に金銀を溶かし込んだ糸を素人目にも目を引かれる複雑で見事な柄
へと織り込み、はっきりと『お姫様』の装いなのだった。
「ん? カイならいちいち待たなくてもおこりゃしねーよ。それともお
前も長ったらしい口上を披露したいのか?」
そんなクレアを前にしてもいつもと変わらない様子のクレイに、あき
らめたような安堵したような、クレア自身にもよくわからない気持ちに
ため息をついた。
「もう、いいわよ。それより、その肉に喰らいつく前にそっちのスープ
から飲んでってウルザがいってたわよ。」
「ふーん、なんのスープだろ?」
「さあ?」
「お姫様に聞いてもむだでございましたな……。」
「むー。なんでよ!」
食事をしながら普段どおりの会話を交わす二人を、隣室から様子を伺
っていた一組のメイドは、同じ顔を見合わせて首をかしげた。
「あっれー?」
「おかしいですねぇ。」
この二人にしては実にめずらしいことだったが、気をとられすぎて油
断していたのか……。
「なにが、だ?」
ひっそりと足音はおろか気配のかけらも感じさせずに後ろに現れたカ
イの静かな声におどろき、声を上げそうになって、慌てて口を押さえな
がらふりかえった。
「あ、らー。」
「こ、これはお早いお戻りで……。」
実はこの部屋に向かう途中、こっそりとクレアにクレイと二人になれ
る時間をあげてほしい、とうちあけられたカイは、先に小用を足してく
ると断りをいれて、クレイとわかれ、わざわざはずれの警備の者達が使
うような便所のほうへと向かったのだった。
とはいえ、いきたくて言ったわけでもないので、クレイにわからない
程度に離れるとすぐに引き返し、廊下ででも時間をつぶしたら怪しまれ
ない程度の頃合に合流しようとしていたところ、近くでこそこそしてい
る二人に気づき、こうして声をかけたのだった。
「いやー、そのぉ。」
いつも自信たっぷりのルキアは言いにくそうにウルザを見、ウルザも
困ったようにカイを見た。
「あのー、ほら先日はいっぱいくらわされたしさ……。」
「……はい、ほんの少しですけど、その桃色キノコを……。」
さすがにカイも眉をしかめたが、向こうの二人の様子をうかがうと、
二人を怒ることも無く、それどころか笑みさえ浮かべていた。
「どうやら無駄だったらしいな。」
これは企んだ二人には嫌味に聞こえたが、さすがに言い返せる立場で
もないのでさらに申し訳なさそうに首すくめた。
「でも、ちゃんとスープにはかって入れたんだから、今頃クレアさまに
メロメロのはずなんだけどなー。」
「はい、席の位置・効果ちゃんと計算したんですけど……。」
カイを遠ざけることも含め全て計算づく立ったのだが、なぜしくじっ
たのか。
不思議がる二人をカイもさすがにおかしそうに見ながら、再びクレイ
とクレアに温かい目を向けた。
「あの二人には余計なお世話はいらんということだろう。」
「えっ?」
「それってどううことです?」
カイの言葉の意味を図りかねて、なぜか勢い込んで聞き返す二人に今
度はカイが不思議そうな顔になる。
二人がお互いを好意的に想っているのは確かだ。
確かにクレアの想いとクレイの想いが、まったく同じ種類のものとは
限らないが、ほれ薬が効かないのだから、脈が無いわけでもないだろ。
そんなことはこの二人にもわかりそうなものなのに、なぜここまで気
にするのか。
ふいに、天啓のごとくカイに閃く事があった。
「これは大公も承知のことなのか?」
その閃いたまま、感情を感じさせない冷静な声で問いかけた。
ルキアもウルザもなにか起こられるとでも思ったのか、ふたたび口を
閉ざし首をすくめた。
その態度から肯定と知ったカイは、なぜか少し黙った後、
「そうか……。」
だけ言い残して部屋へと入っていった。
「おう、先にやってるぜ。」
「ああ、カイ、聞いてよ、クレイがねー。」
「おい、そいつはおれのだろうが。」
「ちょっとは遠慮しなさいよ。」
「なにってやがる、今日は客できてんだ。」
後には賑やかな歓声だけが部屋からもれていた。
あくる朝、まだ日が昇りかけている明け方。
朝市のため一日の中でも最も早く人が込む一般用の門へと続く道を、
この都に現れたときのような軽装のまま歩くカイの姿があった。
「まったく、無愛想のくせにわかりやすすぎるぜ。」
ふいに声をかけられて足を止めたカイの視線の先に、門に向かう途中
で待ち伏せるように立つクレイがいた。
「……クレイ。」
カイは何も言わないまま分かれるつもりだった相棒の名を呼んだまま、
後を続けられずに黙ってしまった。
先日の晩餐、はからずもギルベルトがクレイに目をつけたことを確信
したカイは再び旅にでることを決めた。
元々長居する気は無かったが、事が急変しつつあること知ったからに
は、下手にしがらみができる前に退散すべきと先を急ぐことにしたのだ。
それはクレイがこの先、イスカーナで上へとむかうのに自分の存在は
足かせになりかねず、かといってかつてのように影となる気も無かった。
二君を選ぶ気が無い以上、自分のような後ろぐらい友人はプラスには
ならない。
そうした政治の厳しさを、カイは下手をしたらクレイよりもよく知っ
ているだけに、ここにはいられないと思ったのだ。
「クレイ……。」
再び苦しい弁明を絞り出そうとする相棒に、クレイは中身の詰まった
革の小袋を投げ手よこした。
うけとったカイはその重さに驚き中身を見ると、イスカーナ硬貨がつ
められていた。
「給料と報酬だよ。そもそも旅費を稼いでたんだろ?」
そういって笑うクレイは全てを承知していることを伝えていた。
「そうか……。 とっくに覚悟を決めていたのだな。」
「ああ、ちょっとがんばってみることにしたよ。」
相変わらず軽い口調ながら、その中に真摯なものを感じてカイは笑み
を浮かべた。
「クレアのためにか?」
「はっ! いうじゃねぇか。」
クレイも笑顔で返すと、ゆっくりと歩き出し、カイを通り過ぎていく。
すれ違いざまに軽く手を上げると、カイも同じように手を上げて軽く
打ち合わせる。
「また金がなくなったら、今度は俺が仕事世話してやるよ。」
「おぼえておこう。」
クレイの生きる場所はここにあり、カイは旅のなかに生きている。
ならばカイの気持ち次第でいつでも合えるということだ。
そうであればさよならは必要ない。
「またな。」
「ああ、またな。」
二人は振り返らないままそれぞれの道へと進んでいった。
カイは再び自由の空の下に、クレイは再び権謀渦巻く都のなかへと。
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