PC:ノクテュルヌ・ウィンデッシュウグレーツ 狛楼櫻華 スイ
場所:ヴァルメスト山・廃鉱
NPC:ダヴィードとその一味
―――――――――――――――――――――――――――――――――
櫻華が両手に握る小太刀が普段よりも重く感じられる。これから戦う人物は
少々自分には荷が重い。知らず知らずの内に気が練られていく、数十年の修練
の賜物だ。
スイは槍の刃にかけていた皮布を器用に腕に巻き取ると槍を構える。 緊迫
した瞬間、周囲の物が少し色を失い、緊張を生み出す者だけが色を濃くしてい
く。
最初に仕掛けるのは、スイか? それともダヴィードが連れてきた連中だろ
うか……。
櫻華の予想を裏切ったのはやはりというべきだろう、ノクテュルヌだった。
しかも到底この場には似合わない緩やかで優しく、そしてほんの少しの悲しみ
を込めた、そんな旋律をノクテュルヌはハープで奏で始めた。
「椿?」
呆気にとられている櫻華をあっさり置き去りにして笑顔でノクテュルヌはハ
ープを奏で続ける。ノクテュルヌの細い指が一定のリズムでハープの弦を弾
く、光が差し込む水晶の洞窟で、ノクテュルヌは舞台に立っていた。観客の大
半が厳ついゴロツキだとしても彼女は気にしない。
それは音楽を奏でる事自体を楽しんでいるからなのか、彼女の場合はそれだ
けとは限らないが。
しばし、その場の全員がその音色に聴き惚れ、やがてダヴィード達に異変が
おきた。
「だ、ダヴィードさん。な、なんか、体が」
「ぬぅ……」
体から力が抜けていく、まるで強制的に生気を抜き取られているような。そ
んな錯覚を覚える。
「とりあえず、その他大勢の人は邪魔だからちょーっと寝ててね」
ぞっとするような笑顔で、ノクテュルヌはハープを奏でる。それは船乗りを
死の眠りへと誘うローレライのような笑顔だった。
「くっ、スイ!」
ダヴィードが叫ぶ。もう足にも力がはいらず立っていられないその姿は酷く
滑稽だった。
ダヴィードに言われて、いや、早く戦いたいという願望が渦巻いていたスイ
は嬉々としてノクテュルの背後から突きかかる。
「させんっ!」
櫻華は槍の柄を二本の小太刀で挟むと、スイの勢いを体をぶつけて止める。
その細いからだのどこに? そう思いたくなるほどスイの力は強かった。
「ははっ、お前からやるのか!」
「くっ」
スイは槍を大きく振り上げ拘束していた小太刀を櫻華ごと振り払い、そのま
まの勢いで体を回転させ櫻華を薙ぎ払う。
スイの槍は櫻華の体めがけ、唸りを上げる。慌てて櫻華は後に飛ぶ、文字通
り空中を滑るように下がった。穂先が櫻華の眼前を掠めるようにすぎていく。
槍の重さに振り回される形になったスイめがけ、櫻華は地面を蹴って斬りか
かる。動きを止めるという言葉は存在しないといわんばかりに櫻華の剣先が届
くよりもスイが槍を振り下ろす。
軽く舌打ちをして櫻華は左手の小太刀で滑らすように槍を受け流し、右手の
小太刀をスイに突き出す、が、もうそこにはスイの姿はなかった。
振り下ろした槍を地面に突き刺してそのまま飛び上がり、櫻華の背後に降り
立つと槍で再び櫻華をなぎ払う。避けられずに櫻華は殴り飛ばされる。
刃ではなく柄で殴られたのが幸いして即死はしなかったが、それでも大分ダ
メージを受けた。地面に叩きつけられる前に櫻華は大勢を建て直し、なんとか
着地する。
立ち上がる間もなくスイが突っ込んでくる。これは避けられない。櫻華は歯
を食いしばりなんとか防御の体制をとろうとするが、間に合いそうにない。
突如、スイと櫻華の間に風吹き抜ける。初めて動きを止めたスイがノクテュ
ルヌの方を見据える。演奏を終えたノクテュルヌの後にはダヴィード達――死
体でないことを櫻華は切に願う――が倒れている。
「ずるいなぁ、二人だけで。私もまぜてよ」
ノクテュルヌがまるで一人だけ遊び仲間に入れてもらえない子供の様な顔で
声を上げる。その表情が酷くこの場所に似つかわしくない。その手にあるハー
プも弦が剣の形を模した形状になっている。
「二対一だけどスイちゃんは全然問題ないよね。さぁ、いくよ櫻華ちゃん!」
笑顔でびしっと擬音が聞こえてきそうなほどにスイを指差してノクテュルヌ
は高らかに声を上げる。そもそも、問題ない以前に、なにか緊張感に欠けてい
る感じがしないでもないが、もはやそんなことを突っ込んでも無駄だろう。
と、思いつつも櫻華は立ち上がりながらつっこんでしまう。
「椿、お前には緊張感という物は無いのか」
「あはは、細かいことは気にしない気にしない」
笑って流される。まあ、予想はしていた反応ではある。
「もう伴奏は終わりか?」
スイは槍を構え直すとノクテュルヌに向かって突進する。
「ほら、脇役よりやっぱり主役でしょ!」
ノクテュルヌはハープを大振りに振り下ろす。スイには到底届かない距離だ
が、弦が描く軌跡から衝撃波が発生し、スイに、というより周りの物全てをな
ぎ倒す。
「ちっ」
スイはなんとか槍を支えに踏みとどまるが動きが止まってしまう。スイの背
後から櫻華が袈裟斬りに小太刀を振る。槍を回転させスイは小太刀を受け止め
ると同時に足払いをかける。櫻華は少し体を浮かして足払いを避けると、スイ
の槍を足場に蹴って後に下がる。
櫻華が下がった瞬間、スイの周りを風が取り囲む。ノクテュルヌが笑顔を浮
かべて掲げた細い剣をゆっくりと降ろす。降ろす手と呼応してスイの周りの風
が包囲を狭めていく。やがてスイの体に幾筋もの切り傷が刻まれる。
「どうする、このままだと体中傷だらけになっちゃうよ?」
ちょうど剣をスイに向ける格好で動きを止めたノクテュルヌが尋ねる。その
言葉を少しだけ吟味したのか、それとも別のことを思っていたのか。スイは一
瞬だけ考えるような表情をして唇の端を上へと歪める。
両腕で顔を庇うとスイは不可視の刃が飛び交う風の中を突っ切ってノクテュ
ルヌに向かって走る。
「椿!」
スイの後を追う櫻華、だがすでにスイの射程内だった。矢の様な勢いでスイ
は槍を突き出す。ノクテュルヌは横に身をよじる、槍は服と一緒に脇腹を掠め
て通り過ぎる。そこで動きを止めるスイではない、ノクテュルヌを押し飛ばす
ように槍を振ると、そのまま追ってきた櫻華に攻撃をしかける。
「はっ」
槍が描く軌道よりも低く身を沈めると、櫻華はそのまま滑るようにスイに向
かって進むと、小太刀を振り上げる。しかし、振りきる前に皮布を巻いたスイ
の手が小太刀を掴み取る。
「櫻華ちゃんどいて!」
「無茶を!」
ノクテュルヌの声と同時に発生した風の刃は、櫻華とスイに等しくその刃で
斬りたてる。掴んでいた小太刀を話して櫻華を蹴り飛ばすとスイは三度ノクテ
ュルヌに迫る。
全身血まみれでスイはノクテュルヌに向かって槍を振るう。加速の十分につ
いた槍は傷を負ったノクテュルヌの体に容赦なく叩きつけられる。
「くぅ」
なす術もなく吹っ飛ばされるノクテュルヌ。それを追おうとしたスイの足が
もつれる。これだけの切り傷を負っていれば当然といえば当然だろう。それで
もスイはノクテュルヌにむかって歩き出す。槍を逆手に構え、振り上げる。
「椿……ッ!」
櫻華はなんとか立ち上がろうとするが、力が入らない。スイが息を吸い込
む。手にした槍に力を篭めて、振り下ろした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――ネギィイイ、ネギィイイイ。
スイの槍はノクテュルヌのから大きく左に外れた場所に突き刺さっていた。
そして廃鉱全体に響き渡るよう、間の抜けた声のように聞こえなくもない奇怪
な音が響き渡っていた。
なぜかその音を聞くとねぎを崇めたくなりそうで、もしここでねぎを食べよ
うものならすぐさま呪われそうな。そんな音だ。
「時間、切れか……」
残念そうな顔をしてスイは懐から自身の血でまみれた人形を取り出した。ど
うやら奇怪な音はその人形から発せられていたようだ。
――ネギィイイイイイ、ネギィイイイイイイイイイイイ。
その微妙にデフォルメされた奇怪な人形の股間をスイは無造作に押すと、余
韻を残しながら発せられていた音は消えていった。
――ネ、ネギィィィ……。
「とりあえず、ダヴィードとの契約は切れた」
そういって、スイは腕に巻いていた皮布をほどいて槍に巻こうとして顔をし
かめる。ノクテュルヌの攻撃のおかげで服も、皮布もボロボロだ。
「あー、なにからどう言えばいいか、わからないんだが」
よろよろと立ち上がった櫻華が口を開く。両手にはしっかりと小太刀が握ら
れている。
「とりあえずその奇怪な人形はなんだ!」
小太刀でスイの持っている人形を指して、櫻華は思わず大声をあげてしまっ
た。
「ん? ……ぼふぉーず様人形」
スイは血まみれのぼふぉーず様人形を櫻華に向ける。貧血気味でいつもより
もぼーっとした感じが強いが、先程までの獣じみたギラギラした目つきではな
くなっていた。
「いや、そうではなくてだ」
「ああ、時間を設定するとその時間ぴったりにありがたい声で鳴く。便利だか
ら契約時にはいつも切れる時間に設定するんだ」
「あー、ぼふぉーず様だ! いいないいな、スイちゃんそれどーしたの?」
いつの間にかスイの横で飛び跳ねている――一応ケガをしている。一番軽傷
だが――ノクテュルヌが羨ましそうな声で騒ぐ。
「ね? 櫻華ちゃんもそう思うよね!」
ああ、と、だけ短く返事をした櫻華はがっくりと肩を落とす。どっと疲れが
出た気がして。いや、もう何にツッコンでいいかわからない。
「それで、ダヴィードとの契約が切れたということはもう戦わないということ
か?」
未だノクテュルヌの演奏で地に伏しているダヴィードをみやって櫻華は言
う。眠そうな顔でスイはコクコクと頷いた。
「つまり、今スイちゃんと契約すればこっちの味方になってくれるの?」
やっぱり眠そうな顔で、スイはコクコクと首を縦に振る。
「じゃあ、契約しよう!」
血まみれのぼふぉーず様人形を抱えて、右手をぶんぶん振りながらノクテュ
ルヌは声を上げる。どうでもいいが血まみれの人形を抱えて気持ち悪くないの
だろうかと櫻華はふと思う。
「そんな金があるのか?」
至極まっとうな質問に、ノクテュルヌは笑顔を向ける。なんというか、血ま
みれのぼふぉーず様人形はとりあえず置いておかないのかと、櫻華が言う前
に、ノクテュルヌはダヴィードの顔に蹴りを入れる。
「へぁああ、目がぁあ、目がぁあああ」
ちょうど蹴りが眼鏡でも割ったのか、ダヴィードは顔押さえて転げまわる。
とりあえず生きていたことに櫻華はため息をつく。
「ダヴィードさん、ダヴィードさん」
「な、おい、スイ。始末しろといったはずだ」
顔を押さえながら立ち上がったダヴィードはスイに食って掛かるが、眠そう
なスイはいっこうに気にする様子はない。
「お前との契約は切れたらしい」
「な! ば、馬鹿なことを! ならば再契約だ、この二人を殺せ!」
ヒステリックな声を出して、ダヴィードはスイに命令するが大あくびをして
いるスイには聞こえていないようだった。
「ざーんねん。もうスイちゃんと契約しちゃったもんね」
極上の笑顔でノクテュルヌはダヴィードに死刑宣告とも取れる言葉をさらり
と言う。むしろ、いつまで血まみれのぼふぉーず様人形を持っているんだろ
う。
「それでね。私達お金いるの。だ、か、らぁ。この本買って」
ノクテュルヌはいつの間に拾ったのか、水晶の中に封印されていた古書をに
こやかにダヴィードの前に出す。
「な、ば。……かっ!」
あまりの事にダヴィードは言葉にならない声を発する。同じく櫻華も言葉を
失う。スイはというと相変わらず眠そうな顔でぼーっと遠くを見つめている。
「あー、嫌ならいいよ? ほら。どーなるかはすぐわかでしょ」
やっぱり笑顔で血まみれのぼふぉーず様を抱いてノクテュルヌはダヴィード
に尋ねる。
「……くっ、わかった。幾らだ」
「うーん、そうだなぁ。じゃあ金貨百枚ぐらいで」
「なっ……」
「ダメ?」
「……金貨百枚で買おう」
がっくりと肩を落としてダヴィードはノクテュルヌの条件を飲んだ。その
後、続々と目を覚ます取り巻き達を伴い、ダヴィードは憎憎しげな表情で逃げ
るように廃鉱から出て行った。
「……しかし、今のは完全に脅迫だったぞ」
苦笑いをしながら櫻華は気を練る。そうしないと出血多量で倒れそうだ。
「そういえば、櫻華ちゃんもスイちゃんも傷だらけだねぇ」
「お前のせいだろ」
「あー、あはは。まあ、あんまり細かいことは気にしない気にしない」
「どこが細かいことだ、まったく」
大きくため息をついて櫻華は小太刀を鞘に納めた。疲れた。一刻も早く宿に
帰って寝たい。
「それじゃあ。帰ろうか。あれ?」
ノクテュルヌが後を振り返るとスイが仰向けになって眠っていた。普通なら
痛くて眠れないと思うのだが、やはりどこかしら抜けているのだろうか。
「はぁ、やれやれ、仕方ないな。椿、お前は槍を持ってきてくれ」
「りょーかぁい」
槍と血まみれのぼふぉーず様人形を抱えたノクテュルヌを横に、櫻華はスイ
を背負って廃坑を後にした。今日はよく眠れそうだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
con fuoco〔伊〕(コン フォーコ) 熱烈に、火のように
場所:ヴァルメスト山・廃鉱
NPC:ダヴィードとその一味
―――――――――――――――――――――――――――――――――
櫻華が両手に握る小太刀が普段よりも重く感じられる。これから戦う人物は
少々自分には荷が重い。知らず知らずの内に気が練られていく、数十年の修練
の賜物だ。
スイは槍の刃にかけていた皮布を器用に腕に巻き取ると槍を構える。 緊迫
した瞬間、周囲の物が少し色を失い、緊張を生み出す者だけが色を濃くしてい
く。
最初に仕掛けるのは、スイか? それともダヴィードが連れてきた連中だろ
うか……。
櫻華の予想を裏切ったのはやはりというべきだろう、ノクテュルヌだった。
しかも到底この場には似合わない緩やかで優しく、そしてほんの少しの悲しみ
を込めた、そんな旋律をノクテュルヌはハープで奏で始めた。
「椿?」
呆気にとられている櫻華をあっさり置き去りにして笑顔でノクテュルヌはハ
ープを奏で続ける。ノクテュルヌの細い指が一定のリズムでハープの弦を弾
く、光が差し込む水晶の洞窟で、ノクテュルヌは舞台に立っていた。観客の大
半が厳ついゴロツキだとしても彼女は気にしない。
それは音楽を奏でる事自体を楽しんでいるからなのか、彼女の場合はそれだ
けとは限らないが。
しばし、その場の全員がその音色に聴き惚れ、やがてダヴィード達に異変が
おきた。
「だ、ダヴィードさん。な、なんか、体が」
「ぬぅ……」
体から力が抜けていく、まるで強制的に生気を抜き取られているような。そ
んな錯覚を覚える。
「とりあえず、その他大勢の人は邪魔だからちょーっと寝ててね」
ぞっとするような笑顔で、ノクテュルヌはハープを奏でる。それは船乗りを
死の眠りへと誘うローレライのような笑顔だった。
「くっ、スイ!」
ダヴィードが叫ぶ。もう足にも力がはいらず立っていられないその姿は酷く
滑稽だった。
ダヴィードに言われて、いや、早く戦いたいという願望が渦巻いていたスイ
は嬉々としてノクテュルの背後から突きかかる。
「させんっ!」
櫻華は槍の柄を二本の小太刀で挟むと、スイの勢いを体をぶつけて止める。
その細いからだのどこに? そう思いたくなるほどスイの力は強かった。
「ははっ、お前からやるのか!」
「くっ」
スイは槍を大きく振り上げ拘束していた小太刀を櫻華ごと振り払い、そのま
まの勢いで体を回転させ櫻華を薙ぎ払う。
スイの槍は櫻華の体めがけ、唸りを上げる。慌てて櫻華は後に飛ぶ、文字通
り空中を滑るように下がった。穂先が櫻華の眼前を掠めるようにすぎていく。
槍の重さに振り回される形になったスイめがけ、櫻華は地面を蹴って斬りか
かる。動きを止めるという言葉は存在しないといわんばかりに櫻華の剣先が届
くよりもスイが槍を振り下ろす。
軽く舌打ちをして櫻華は左手の小太刀で滑らすように槍を受け流し、右手の
小太刀をスイに突き出す、が、もうそこにはスイの姿はなかった。
振り下ろした槍を地面に突き刺してそのまま飛び上がり、櫻華の背後に降り
立つと槍で再び櫻華をなぎ払う。避けられずに櫻華は殴り飛ばされる。
刃ではなく柄で殴られたのが幸いして即死はしなかったが、それでも大分ダ
メージを受けた。地面に叩きつけられる前に櫻華は大勢を建て直し、なんとか
着地する。
立ち上がる間もなくスイが突っ込んでくる。これは避けられない。櫻華は歯
を食いしばりなんとか防御の体制をとろうとするが、間に合いそうにない。
突如、スイと櫻華の間に風吹き抜ける。初めて動きを止めたスイがノクテュ
ルヌの方を見据える。演奏を終えたノクテュルヌの後にはダヴィード達――死
体でないことを櫻華は切に願う――が倒れている。
「ずるいなぁ、二人だけで。私もまぜてよ」
ノクテュルヌがまるで一人だけ遊び仲間に入れてもらえない子供の様な顔で
声を上げる。その表情が酷くこの場所に似つかわしくない。その手にあるハー
プも弦が剣の形を模した形状になっている。
「二対一だけどスイちゃんは全然問題ないよね。さぁ、いくよ櫻華ちゃん!」
笑顔でびしっと擬音が聞こえてきそうなほどにスイを指差してノクテュルヌ
は高らかに声を上げる。そもそも、問題ない以前に、なにか緊張感に欠けてい
る感じがしないでもないが、もはやそんなことを突っ込んでも無駄だろう。
と、思いつつも櫻華は立ち上がりながらつっこんでしまう。
「椿、お前には緊張感という物は無いのか」
「あはは、細かいことは気にしない気にしない」
笑って流される。まあ、予想はしていた反応ではある。
「もう伴奏は終わりか?」
スイは槍を構え直すとノクテュルヌに向かって突進する。
「ほら、脇役よりやっぱり主役でしょ!」
ノクテュルヌはハープを大振りに振り下ろす。スイには到底届かない距離だ
が、弦が描く軌跡から衝撃波が発生し、スイに、というより周りの物全てをな
ぎ倒す。
「ちっ」
スイはなんとか槍を支えに踏みとどまるが動きが止まってしまう。スイの背
後から櫻華が袈裟斬りに小太刀を振る。槍を回転させスイは小太刀を受け止め
ると同時に足払いをかける。櫻華は少し体を浮かして足払いを避けると、スイ
の槍を足場に蹴って後に下がる。
櫻華が下がった瞬間、スイの周りを風が取り囲む。ノクテュルヌが笑顔を浮
かべて掲げた細い剣をゆっくりと降ろす。降ろす手と呼応してスイの周りの風
が包囲を狭めていく。やがてスイの体に幾筋もの切り傷が刻まれる。
「どうする、このままだと体中傷だらけになっちゃうよ?」
ちょうど剣をスイに向ける格好で動きを止めたノクテュルヌが尋ねる。その
言葉を少しだけ吟味したのか、それとも別のことを思っていたのか。スイは一
瞬だけ考えるような表情をして唇の端を上へと歪める。
両腕で顔を庇うとスイは不可視の刃が飛び交う風の中を突っ切ってノクテュ
ルヌに向かって走る。
「椿!」
スイの後を追う櫻華、だがすでにスイの射程内だった。矢の様な勢いでスイ
は槍を突き出す。ノクテュルヌは横に身をよじる、槍は服と一緒に脇腹を掠め
て通り過ぎる。そこで動きを止めるスイではない、ノクテュルヌを押し飛ばす
ように槍を振ると、そのまま追ってきた櫻華に攻撃をしかける。
「はっ」
槍が描く軌道よりも低く身を沈めると、櫻華はそのまま滑るようにスイに向
かって進むと、小太刀を振り上げる。しかし、振りきる前に皮布を巻いたスイ
の手が小太刀を掴み取る。
「櫻華ちゃんどいて!」
「無茶を!」
ノクテュルヌの声と同時に発生した風の刃は、櫻華とスイに等しくその刃で
斬りたてる。掴んでいた小太刀を話して櫻華を蹴り飛ばすとスイは三度ノクテ
ュルヌに迫る。
全身血まみれでスイはノクテュルヌに向かって槍を振るう。加速の十分につ
いた槍は傷を負ったノクテュルヌの体に容赦なく叩きつけられる。
「くぅ」
なす術もなく吹っ飛ばされるノクテュルヌ。それを追おうとしたスイの足が
もつれる。これだけの切り傷を負っていれば当然といえば当然だろう。それで
もスイはノクテュルヌにむかって歩き出す。槍を逆手に構え、振り上げる。
「椿……ッ!」
櫻華はなんとか立ち上がろうとするが、力が入らない。スイが息を吸い込
む。手にした槍に力を篭めて、振り下ろした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――ネギィイイ、ネギィイイイ。
スイの槍はノクテュルヌのから大きく左に外れた場所に突き刺さっていた。
そして廃鉱全体に響き渡るよう、間の抜けた声のように聞こえなくもない奇怪
な音が響き渡っていた。
なぜかその音を聞くとねぎを崇めたくなりそうで、もしここでねぎを食べよ
うものならすぐさま呪われそうな。そんな音だ。
「時間、切れか……」
残念そうな顔をしてスイは懐から自身の血でまみれた人形を取り出した。ど
うやら奇怪な音はその人形から発せられていたようだ。
――ネギィイイイイイ、ネギィイイイイイイイイイイイ。
その微妙にデフォルメされた奇怪な人形の股間をスイは無造作に押すと、余
韻を残しながら発せられていた音は消えていった。
――ネ、ネギィィィ……。
「とりあえず、ダヴィードとの契約は切れた」
そういって、スイは腕に巻いていた皮布をほどいて槍に巻こうとして顔をし
かめる。ノクテュルヌの攻撃のおかげで服も、皮布もボロボロだ。
「あー、なにからどう言えばいいか、わからないんだが」
よろよろと立ち上がった櫻華が口を開く。両手にはしっかりと小太刀が握ら
れている。
「とりあえずその奇怪な人形はなんだ!」
小太刀でスイの持っている人形を指して、櫻華は思わず大声をあげてしまっ
た。
「ん? ……ぼふぉーず様人形」
スイは血まみれのぼふぉーず様人形を櫻華に向ける。貧血気味でいつもより
もぼーっとした感じが強いが、先程までの獣じみたギラギラした目つきではな
くなっていた。
「いや、そうではなくてだ」
「ああ、時間を設定するとその時間ぴったりにありがたい声で鳴く。便利だか
ら契約時にはいつも切れる時間に設定するんだ」
「あー、ぼふぉーず様だ! いいないいな、スイちゃんそれどーしたの?」
いつの間にかスイの横で飛び跳ねている――一応ケガをしている。一番軽傷
だが――ノクテュルヌが羨ましそうな声で騒ぐ。
「ね? 櫻華ちゃんもそう思うよね!」
ああ、と、だけ短く返事をした櫻華はがっくりと肩を落とす。どっと疲れが
出た気がして。いや、もう何にツッコンでいいかわからない。
「それで、ダヴィードとの契約が切れたということはもう戦わないということ
か?」
未だノクテュルヌの演奏で地に伏しているダヴィードをみやって櫻華は言
う。眠そうな顔でスイはコクコクと頷いた。
「つまり、今スイちゃんと契約すればこっちの味方になってくれるの?」
やっぱり眠そうな顔で、スイはコクコクと首を縦に振る。
「じゃあ、契約しよう!」
血まみれのぼふぉーず様人形を抱えて、右手をぶんぶん振りながらノクテュ
ルヌは声を上げる。どうでもいいが血まみれの人形を抱えて気持ち悪くないの
だろうかと櫻華はふと思う。
「そんな金があるのか?」
至極まっとうな質問に、ノクテュルヌは笑顔を向ける。なんというか、血ま
みれのぼふぉーず様人形はとりあえず置いておかないのかと、櫻華が言う前
に、ノクテュルヌはダヴィードの顔に蹴りを入れる。
「へぁああ、目がぁあ、目がぁあああ」
ちょうど蹴りが眼鏡でも割ったのか、ダヴィードは顔押さえて転げまわる。
とりあえず生きていたことに櫻華はため息をつく。
「ダヴィードさん、ダヴィードさん」
「な、おい、スイ。始末しろといったはずだ」
顔を押さえながら立ち上がったダヴィードはスイに食って掛かるが、眠そう
なスイはいっこうに気にする様子はない。
「お前との契約は切れたらしい」
「な! ば、馬鹿なことを! ならば再契約だ、この二人を殺せ!」
ヒステリックな声を出して、ダヴィードはスイに命令するが大あくびをして
いるスイには聞こえていないようだった。
「ざーんねん。もうスイちゃんと契約しちゃったもんね」
極上の笑顔でノクテュルヌはダヴィードに死刑宣告とも取れる言葉をさらり
と言う。むしろ、いつまで血まみれのぼふぉーず様人形を持っているんだろ
う。
「それでね。私達お金いるの。だ、か、らぁ。この本買って」
ノクテュルヌはいつの間に拾ったのか、水晶の中に封印されていた古書をに
こやかにダヴィードの前に出す。
「な、ば。……かっ!」
あまりの事にダヴィードは言葉にならない声を発する。同じく櫻華も言葉を
失う。スイはというと相変わらず眠そうな顔でぼーっと遠くを見つめている。
「あー、嫌ならいいよ? ほら。どーなるかはすぐわかでしょ」
やっぱり笑顔で血まみれのぼふぉーず様を抱いてノクテュルヌはダヴィード
に尋ねる。
「……くっ、わかった。幾らだ」
「うーん、そうだなぁ。じゃあ金貨百枚ぐらいで」
「なっ……」
「ダメ?」
「……金貨百枚で買おう」
がっくりと肩を落としてダヴィードはノクテュルヌの条件を飲んだ。その
後、続々と目を覚ます取り巻き達を伴い、ダヴィードは憎憎しげな表情で逃げ
るように廃鉱から出て行った。
「……しかし、今のは完全に脅迫だったぞ」
苦笑いをしながら櫻華は気を練る。そうしないと出血多量で倒れそうだ。
「そういえば、櫻華ちゃんもスイちゃんも傷だらけだねぇ」
「お前のせいだろ」
「あー、あはは。まあ、あんまり細かいことは気にしない気にしない」
「どこが細かいことだ、まったく」
大きくため息をついて櫻華は小太刀を鞘に納めた。疲れた。一刻も早く宿に
帰って寝たい。
「それじゃあ。帰ろうか。あれ?」
ノクテュルヌが後を振り返るとスイが仰向けになって眠っていた。普通なら
痛くて眠れないと思うのだが、やはりどこかしら抜けているのだろうか。
「はぁ、やれやれ、仕方ないな。椿、お前は槍を持ってきてくれ」
「りょーかぁい」
槍と血まみれのぼふぉーず様人形を抱えたノクテュルヌを横に、櫻華はスイ
を背負って廃坑を後にした。今日はよく眠れそうだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
con fuoco〔伊〕(コン フォーコ) 熱烈に、火のように
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