場所 :断崖の国コモンウェルズ 祭壇の間
PC :イカレ帽子屋・ウピエル
NPC:女王マルガリータ・少女リーゼリット
--------------------------------------------------------------------------------
「何かいいてェ事はあるか」
少女を下ろした帽子屋を、押し殺した声が糾弾する。祭壇へと上がる階段の半ばにある
踊り場で仁王立ちする吸血鬼からは収容所に突入した時ですら纏っていた軽い空気はまっ
たくと言っていいほど感じれなくなっていた。
しばらくの間、吹き抜ける風の音だけが場を支配する。睨み合う金髪の男と三日月の笑
みを浮かべた男。一足飛びに高まっていく緊張がその場にいる全員にプレッシャーを掛け
る。
「あの、ウピエルさん……違うんです」
弱弱しく口を開いたのは二人のある意味中心にいる少女。熱にうかされ、体力を奪われ
ながらもこれは自分の意思で決めた事だと必死に語ろうとする。そんな健気な姿を見せる
少女に、吸血鬼は一瞬だけ憐れむような目を向け……その瞳が不気味な紅い光を発する。
魅入られたようにその瞳を数秒見つめた少女は、意識を失い地面に倒れ伏した。
「支配の魔眼ですか……。貴方も容赦がありませんね」
「信じてたモンに裏切られるっていうのは辛いもんさ。夢でも見せとくのが優しさっても
んだろ?」
「おや、私はただ彼女の意志を尊重しただけなのですが。裏切りとは心外ですね」
「ハン、限定した情報しか与えないでそう決意するように誘導したヤツが言う台詞じゃ
ねーな」
言葉をやり取りするたびに黒衣の男の唇は吊り上がっていく。それはたとえるならばま
るで仮面のような笑み。口がない顔に裂け目ができたような印象さえ与える笑みを浮かべ
て、情報屋は淡々と相手の急所へ言葉のナイフを突き刺していく。
「それで、それを知った貴方はどうするのですか?ここではロクに吸血鬼としての力を振
るえない貴方が」
ゆっくりと階段に向けて歩き出すマッドハッター。両手を大きく広げ、まるで舞台上の
俳優のように大仰な仕草と台詞回しで語りかける。
「気付いているのでしょう?この祭壇の間はかつて死した鳳凰の屍骸を組み合わせて造っ
たものだ。力を受け継ぐ彼女がこの場にいる以上、不死の鳥もまたかつての力を取り戻す。
……そして、貴方は他者の生命の中では力を振るえない」
コツ、コツ、コツ……
ゆっくりと階段を上る帽子屋に対して、ウピエルはただその顔を睨み付けるのみだ。二
人の距離が徐々に縮まっていく。
「……先程の魔眼で相当に力を消耗したのでしょう?いつもならすぐ回復する力も、ここ
ではそうはいかない。その状態で、この国の全てを相手にして戦い抜けますか?……いく
ら貴方といえども、無理でしょう。それともただ一人の少女への同情の為にここでその数
百年の生を散らせますか」
コツ、コツ、コツ。
そして、ついに二人は踊り場で対峙する。
「言いてぇ事は、それだけか――」
例えるならばそれは暴風。返事を待たずに繰り出された右手は逆らうもの全てを打ち砕
く風となって帽子屋へと襲いかかった。
踏み込んだ右のストレートが帽子屋の前髪をハジく。右手を引っ込めながら体全体を回
転させるようにして放たれた左フックは外套をはためかせるだけに終わった。突き込むよ
うな左肘は風圧が胸を軽く撫でる程度に止まり、体重を乗せた右のハイキックはバックス
テップで避けられ空を切った。
「この国の女王が何を企もうが知ったこっちゃねェ」
一度連撃を止め、呟く様に言葉を吐き出す。
「あの娘が何を思って自分を犠牲にするのかも俺様には関係ねェ」
祭壇の間の入り口で倒れ伏す少女に少しだけ視線を送る。深紅を通り越して黄味を帯び
ていた眼が、ほんの少しだけ生来の青い輝きを取り戻した。
「だが、てめぇのその遣り口だけはどうにも我慢がならねェ」
瞳孔が窄まり、再び深紅に燃える熾火のような瞳を喪服色の衣に身を包む男へと向ける。
「おお怖い。私の専門は情報戦だといいますのに」
言いながら、杖の中に仕込まれていた細身の剣を抜く。剣先をウピエルに向け、構える
姿は数刻前とは違い、まったく隙がない。何も考えずにその間合いに飛び込めば秒も経た
ずに寸刻みにされるような、そんな静かな気迫が感じられる構えだった。
それを知ってなお、ウピエルは無造作に間合いを詰める。その手に何かしらの武器が握
られる事はなく、無手のままずかずかと歩を進めていく。
ここに来て、今まで余裕の表情を浮かべていた帽子屋の笑みが凍りつく事になる。
間合いに入ると同時に躊躇う事なく繰り出される突き。吸血鬼の弱点と言われる心臓部
目掛けて銀閃が疾走る。だが、帽子屋の小剣が吸血鬼の心臓を捕らえる事はなかった。タ
ンッと軽い音がしてウピエルの体が横に大きく跳ね、剣の間合いの外へと飛び出して行く。
「ッ!」
踏み込んで追撃するか否か――対応を逡巡する間にもウピエルは獣じみた動きで再び剣
の間合いへと飛び込み、低い姿勢から帽子屋の顔に目掛けて拳を突き上げた。その動きは
先ほど衛兵達をなぎ倒した動きから比べると見る影もなく、帽子屋はヒラリとステップを
踏んであっさりとその奇襲を躱す。
遠くからみると二人の動きはまるで舞いを舞っているかのようだった。お互いがお互い
の攻撃を予定調和のうちとでも言うように余裕を持って躱していく。階段の踊り場という
狭い舞台で、その舞はいつまでもいつまでも続くかのように思えた。
「ほっほっほ。やっておるのぅ」
二人の舞踏を遮る声。いつの間にか祭壇の間の入り口に現れたのは一言で言うのならば
化け物。顔こそ人間の女性だが、体から下は鳥のそれになっていて、羽根の変わりに腕が
生えている。足も鳥のそれだが、靴を履ける程度には人間らしさが残っている。何もしら
ない子供が鳥人間と言われてイメージした絵そのもののような姿がそこにはあった。
「どうした、鳩が豆鉄砲を食らわされたような顔をしおって。妾が姿を見せるなぞ過去数
百年なかった事。自分の幸運にとくと感謝せよ」
二人とも、その姿にこそ見覚えはなかったものの声には聞き覚えがあった。
一般人なら知る事もないような国に異邦の者を招いた人。神を殺しその力を我が物にせ
んと企む者。この国で起きた災いの元凶。この国を統べる存在。黒幕。
「女王……ピザ・マルガリータ!」
「フン、下等な化け物風情がみだりに妾の名を口にするでないわ……まぁ、今の妾はとて
も機嫌がいいので特別に許してやろう。重ね重ね己が幸運に感謝せよ、吸血鬼」
入り口から現れた女王は倒れる少女を抱きかかえ、一息に祭壇まで跳躍した。
「ふふふ、この日をどれだけ待ち侘びた事か……この娘の血肉を食らって妾はようやく真
の神となるのじゃ」
懐からナイフを取り出し、リーゼロッテが纏う服を切り裂きながら女王は哄う。魔眼の
力によって強制的に眠りに付かされている少女はピクリとも動かず、すぐに準備は整った。
「女王様――」
「なんじゃ、情報屋。そういえば、汝には礼を言わねばならんな。こうして妾が神になれ
るのも汝のお陰。褒美なら後で望むほど取らせようぞ。……なんじゃ、それとも妾が嘘を
ついたと憤っているのかや?巫女を祭壇の間へ連れてくれば彼女は神となり救われる、そ
う申した妾の言葉が嘘だったと」
目的を八割達成した余裕の成せる業か、女王は熱にうかされたように饒舌だった。
「だとすればそれは言い掛かりもいいところじゃ。事実、巫女は妾の血肉となる事で神の
一部となるのじゃからな!これを救いと呼ばずしてなんと呼ぼうぞ」
目深に被ったシルクハットの下でイカレ帽子屋がどういう表情をしているのか、高い位
置にいる女王は見る事ができない。だが、そこにあるであろう苦渋の表情を想像するだけ
でもマルガリータは十分な快感を味わう事ができた。Aランクの情報屋といえど所詮は自
分の掌の上と思うだけで自分の偉大さがわかろうというものだ。ひたすら自己陶酔に浸る
女王は、だからシルクハットの縁からわずかに見える三日月の笑みについぞ気づく事がな
かった。
「汝らはそこで指を銜えて見ているがよい!これで妾は永久を生きる神となるのじゃ!」
言うが早いか、女王は手馴れた手つきで少女の生命の源、心臓を抉りだし齧り付く。生
肉を咀嚼し、飲み込む嫌な音が祭壇の間に響き渡った。いつの間にか風もやみ、まるで女
王以外の者の時が止まってしまったかのような錯覚すら与える。
「ふふふ、はははははは、ふははははははははははは!!」
ボッと音を立ててリーゼロッテの体が炎に包まれる。
「力が、力が妾に流れこんできよるわ!これが神の力か!ははははっ」
力を得た自分を確かめるかのように自分の姿を検める女王。そして、その目は次に踊り
場へたつ二人へと向けられた。
「……そういえば、褒美をくれてやる約束じゃったな。この度のそなたらの働き、見事で
あった。褒美として妾が得た神の力を思う存分味あわせてやろう。全身全霊で受け止める
がよいわ!」
言いながらかざす女王の手に炎が球状になって集まっていく。それは全てを焼き尽くし
浄化する鳳凰の炎。直撃すれば例え火山の溶岩の中に棲む火トカゲであろうとも消し炭に
なるだろう。
「どうせなら、どうしてわざわざ俺様を呼び出したのかを教えて貰いたいね」
諦めたように肩を竦めながら言うウピエル。今にも火球を放とうとしていた女王は、少
し考えてからその願いを聞き届ける事にした。
「……冥途の土産がほしいと申すか、よかろう。汝をわざわざこの国に呼び出した理由は
ただ一つ。不浄なる化け物の分際で永世を生きているのが許せなかったからじゃ。不死は
神にのみ与えられた特権、汝如きが享受してよいものではない。ならば、妾が神の力を持
ってその思い上がりを糺してやらねばなるまい?妾直々に断罪してやろうと言うのじゃ、
感謝するがよい」
余裕の表情を浮かべて吸血鬼の罪についてとくとくと語るマルガリータ。だが、次の瞬
間その余裕は凍りつく事になる。
「……なるほど、つまり、アンタは、俺様が羨ましかったんだな?」
「……な、んじゃと」
「神だのなんだのなんて全部意味はねェんだろ?アンタは長生きがしたかった。そのため
にそんな醜い姿にもなったし、それを磐石にするために長い間を掛けて準備をしてきたん
だ。なのに俺様はあっさりとその不死を得ている。アンタはそれが悔しいんだろう?やれ
やれ、ババァの嫉妬はその外見以上に醜いねぇ」
図星。心の奥底にある感情をダイレクトに指摘された女王の思考はただただ赤黒い怒り
に染まっていく。
――お前なぞに何が分かる。偉そうに妾を語るな、化け物風情が!
女王の怒りに呼応するかのように祭壇に灯された火は勢いを増し、また女王自身から凄
まじい怒気が放たれる。物理的な衝撃すら伴った怒りの波動。だが、それでもウピエルは
余裕を崩す事なく淡々と言葉を紡ぐ。
「なぁ、そろそろ頃合だよな?」
「ええ、そうですね」
まるで世間話でもしているかのような気軽さ。怒りに震える女王は、そこでようやくな
にかがおかしいという事に気がつく。……だが、全てはもう後の祭りだった。
・・・・
「目覚めろ」
低い声でウピエルが宣言するのと同時にリーゼロッテを包んでいた炎が大きさを増した。
女王が生み出した火球も取り込み、大きい大きい火柱となって燃え上がる。
「な、何をしたっ!?」
燃え上がる炎に命を吸い取られたかのように、先ほどまでの力に溢れた堂々たる女王の
姿は既にそこにはなかった。時間がたつ毎に体を守っていた羽毛は抜け落ち、若々しく張
っていた肌には皺が刻まれていく。
「力が……妾の力が吸い取られるじゃとっ!?」
火柱は一度燃え上がった後はまた小さくなっていくが、女王の変化はとまらない。今ま
で無理やり時をとめていたツケを払わされるように、秒単位で老いて行く。後に残ったの
は、まるで即身仏になる直前の僧のように干からびきって小さくなった老婆が一人。
「力はより大きな力に飲み込まれる、という事ですよ」
帽子を被りなおしながら喪服色を身にまとう男が口を開く。
「貴女が何人欠片を持つ子供をその身の内に取り入れようと、覚醒した本物には敵わなか
った……それだけの話です」
「馬鹿な……妾は、妾は神の力を手にしたハズじゃ。それがっ!」
かつては鈴を転がすようだった美声をも失い、失われていく力に縋るかのように祭壇へ
とよろめいていった。その手には、先程少女の心臓を抉るのに使った短刀が鈍い光を放っ
ている。
「認めん、妾は認めんぞっ!」
今度こそ間違いなく息の根を止めてやろうと、手にした短刀を両手でしっかりと握り、
振り上げる。そして、今まさに炎の中から生まれんとしている鳳凰の雛に向けて刃を突き
落とす――
瞬間、全てを包み込み癒すかのような軟らかい炎が祭壇の間を覆いつくした。
PC :イカレ帽子屋・ウピエル
NPC:女王マルガリータ・少女リーゼリット
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「何かいいてェ事はあるか」
少女を下ろした帽子屋を、押し殺した声が糾弾する。祭壇へと上がる階段の半ばにある
踊り場で仁王立ちする吸血鬼からは収容所に突入した時ですら纏っていた軽い空気はまっ
たくと言っていいほど感じれなくなっていた。
しばらくの間、吹き抜ける風の音だけが場を支配する。睨み合う金髪の男と三日月の笑
みを浮かべた男。一足飛びに高まっていく緊張がその場にいる全員にプレッシャーを掛け
る。
「あの、ウピエルさん……違うんです」
弱弱しく口を開いたのは二人のある意味中心にいる少女。熱にうかされ、体力を奪われ
ながらもこれは自分の意思で決めた事だと必死に語ろうとする。そんな健気な姿を見せる
少女に、吸血鬼は一瞬だけ憐れむような目を向け……その瞳が不気味な紅い光を発する。
魅入られたようにその瞳を数秒見つめた少女は、意識を失い地面に倒れ伏した。
「支配の魔眼ですか……。貴方も容赦がありませんね」
「信じてたモンに裏切られるっていうのは辛いもんさ。夢でも見せとくのが優しさっても
んだろ?」
「おや、私はただ彼女の意志を尊重しただけなのですが。裏切りとは心外ですね」
「ハン、限定した情報しか与えないでそう決意するように誘導したヤツが言う台詞じゃ
ねーな」
言葉をやり取りするたびに黒衣の男の唇は吊り上がっていく。それはたとえるならばま
るで仮面のような笑み。口がない顔に裂け目ができたような印象さえ与える笑みを浮かべ
て、情報屋は淡々と相手の急所へ言葉のナイフを突き刺していく。
「それで、それを知った貴方はどうするのですか?ここではロクに吸血鬼としての力を振
るえない貴方が」
ゆっくりと階段に向けて歩き出すマッドハッター。両手を大きく広げ、まるで舞台上の
俳優のように大仰な仕草と台詞回しで語りかける。
「気付いているのでしょう?この祭壇の間はかつて死した鳳凰の屍骸を組み合わせて造っ
たものだ。力を受け継ぐ彼女がこの場にいる以上、不死の鳥もまたかつての力を取り戻す。
……そして、貴方は他者の生命の中では力を振るえない」
コツ、コツ、コツ……
ゆっくりと階段を上る帽子屋に対して、ウピエルはただその顔を睨み付けるのみだ。二
人の距離が徐々に縮まっていく。
「……先程の魔眼で相当に力を消耗したのでしょう?いつもならすぐ回復する力も、ここ
ではそうはいかない。その状態で、この国の全てを相手にして戦い抜けますか?……いく
ら貴方といえども、無理でしょう。それともただ一人の少女への同情の為にここでその数
百年の生を散らせますか」
コツ、コツ、コツ。
そして、ついに二人は踊り場で対峙する。
「言いてぇ事は、それだけか――」
例えるならばそれは暴風。返事を待たずに繰り出された右手は逆らうもの全てを打ち砕
く風となって帽子屋へと襲いかかった。
踏み込んだ右のストレートが帽子屋の前髪をハジく。右手を引っ込めながら体全体を回
転させるようにして放たれた左フックは外套をはためかせるだけに終わった。突き込むよ
うな左肘は風圧が胸を軽く撫でる程度に止まり、体重を乗せた右のハイキックはバックス
テップで避けられ空を切った。
「この国の女王が何を企もうが知ったこっちゃねェ」
一度連撃を止め、呟く様に言葉を吐き出す。
「あの娘が何を思って自分を犠牲にするのかも俺様には関係ねェ」
祭壇の間の入り口で倒れ伏す少女に少しだけ視線を送る。深紅を通り越して黄味を帯び
ていた眼が、ほんの少しだけ生来の青い輝きを取り戻した。
「だが、てめぇのその遣り口だけはどうにも我慢がならねェ」
瞳孔が窄まり、再び深紅に燃える熾火のような瞳を喪服色の衣に身を包む男へと向ける。
「おお怖い。私の専門は情報戦だといいますのに」
言いながら、杖の中に仕込まれていた細身の剣を抜く。剣先をウピエルに向け、構える
姿は数刻前とは違い、まったく隙がない。何も考えずにその間合いに飛び込めば秒も経た
ずに寸刻みにされるような、そんな静かな気迫が感じられる構えだった。
それを知ってなお、ウピエルは無造作に間合いを詰める。その手に何かしらの武器が握
られる事はなく、無手のままずかずかと歩を進めていく。
ここに来て、今まで余裕の表情を浮かべていた帽子屋の笑みが凍りつく事になる。
間合いに入ると同時に躊躇う事なく繰り出される突き。吸血鬼の弱点と言われる心臓部
目掛けて銀閃が疾走る。だが、帽子屋の小剣が吸血鬼の心臓を捕らえる事はなかった。タ
ンッと軽い音がしてウピエルの体が横に大きく跳ね、剣の間合いの外へと飛び出して行く。
「ッ!」
踏み込んで追撃するか否か――対応を逡巡する間にもウピエルは獣じみた動きで再び剣
の間合いへと飛び込み、低い姿勢から帽子屋の顔に目掛けて拳を突き上げた。その動きは
先ほど衛兵達をなぎ倒した動きから比べると見る影もなく、帽子屋はヒラリとステップを
踏んであっさりとその奇襲を躱す。
遠くからみると二人の動きはまるで舞いを舞っているかのようだった。お互いがお互い
の攻撃を予定調和のうちとでも言うように余裕を持って躱していく。階段の踊り場という
狭い舞台で、その舞はいつまでもいつまでも続くかのように思えた。
「ほっほっほ。やっておるのぅ」
二人の舞踏を遮る声。いつの間にか祭壇の間の入り口に現れたのは一言で言うのならば
化け物。顔こそ人間の女性だが、体から下は鳥のそれになっていて、羽根の変わりに腕が
生えている。足も鳥のそれだが、靴を履ける程度には人間らしさが残っている。何もしら
ない子供が鳥人間と言われてイメージした絵そのもののような姿がそこにはあった。
「どうした、鳩が豆鉄砲を食らわされたような顔をしおって。妾が姿を見せるなぞ過去数
百年なかった事。自分の幸運にとくと感謝せよ」
二人とも、その姿にこそ見覚えはなかったものの声には聞き覚えがあった。
一般人なら知る事もないような国に異邦の者を招いた人。神を殺しその力を我が物にせ
んと企む者。この国で起きた災いの元凶。この国を統べる存在。黒幕。
「女王……ピザ・マルガリータ!」
「フン、下等な化け物風情がみだりに妾の名を口にするでないわ……まぁ、今の妾はとて
も機嫌がいいので特別に許してやろう。重ね重ね己が幸運に感謝せよ、吸血鬼」
入り口から現れた女王は倒れる少女を抱きかかえ、一息に祭壇まで跳躍した。
「ふふふ、この日をどれだけ待ち侘びた事か……この娘の血肉を食らって妾はようやく真
の神となるのじゃ」
懐からナイフを取り出し、リーゼロッテが纏う服を切り裂きながら女王は哄う。魔眼の
力によって強制的に眠りに付かされている少女はピクリとも動かず、すぐに準備は整った。
「女王様――」
「なんじゃ、情報屋。そういえば、汝には礼を言わねばならんな。こうして妾が神になれ
るのも汝のお陰。褒美なら後で望むほど取らせようぞ。……なんじゃ、それとも妾が嘘を
ついたと憤っているのかや?巫女を祭壇の間へ連れてくれば彼女は神となり救われる、そ
う申した妾の言葉が嘘だったと」
目的を八割達成した余裕の成せる業か、女王は熱にうかされたように饒舌だった。
「だとすればそれは言い掛かりもいいところじゃ。事実、巫女は妾の血肉となる事で神の
一部となるのじゃからな!これを救いと呼ばずしてなんと呼ぼうぞ」
目深に被ったシルクハットの下でイカレ帽子屋がどういう表情をしているのか、高い位
置にいる女王は見る事ができない。だが、そこにあるであろう苦渋の表情を想像するだけ
でもマルガリータは十分な快感を味わう事ができた。Aランクの情報屋といえど所詮は自
分の掌の上と思うだけで自分の偉大さがわかろうというものだ。ひたすら自己陶酔に浸る
女王は、だからシルクハットの縁からわずかに見える三日月の笑みについぞ気づく事がな
かった。
「汝らはそこで指を銜えて見ているがよい!これで妾は永久を生きる神となるのじゃ!」
言うが早いか、女王は手馴れた手つきで少女の生命の源、心臓を抉りだし齧り付く。生
肉を咀嚼し、飲み込む嫌な音が祭壇の間に響き渡った。いつの間にか風もやみ、まるで女
王以外の者の時が止まってしまったかのような錯覚すら与える。
「ふふふ、はははははは、ふははははははははははは!!」
ボッと音を立ててリーゼロッテの体が炎に包まれる。
「力が、力が妾に流れこんできよるわ!これが神の力か!ははははっ」
力を得た自分を確かめるかのように自分の姿を検める女王。そして、その目は次に踊り
場へたつ二人へと向けられた。
「……そういえば、褒美をくれてやる約束じゃったな。この度のそなたらの働き、見事で
あった。褒美として妾が得た神の力を思う存分味あわせてやろう。全身全霊で受け止める
がよいわ!」
言いながらかざす女王の手に炎が球状になって集まっていく。それは全てを焼き尽くし
浄化する鳳凰の炎。直撃すれば例え火山の溶岩の中に棲む火トカゲであろうとも消し炭に
なるだろう。
「どうせなら、どうしてわざわざ俺様を呼び出したのかを教えて貰いたいね」
諦めたように肩を竦めながら言うウピエル。今にも火球を放とうとしていた女王は、少
し考えてからその願いを聞き届ける事にした。
「……冥途の土産がほしいと申すか、よかろう。汝をわざわざこの国に呼び出した理由は
ただ一つ。不浄なる化け物の分際で永世を生きているのが許せなかったからじゃ。不死は
神にのみ与えられた特権、汝如きが享受してよいものではない。ならば、妾が神の力を持
ってその思い上がりを糺してやらねばなるまい?妾直々に断罪してやろうと言うのじゃ、
感謝するがよい」
余裕の表情を浮かべて吸血鬼の罪についてとくとくと語るマルガリータ。だが、次の瞬
間その余裕は凍りつく事になる。
「……なるほど、つまり、アンタは、俺様が羨ましかったんだな?」
「……な、んじゃと」
「神だのなんだのなんて全部意味はねェんだろ?アンタは長生きがしたかった。そのため
にそんな醜い姿にもなったし、それを磐石にするために長い間を掛けて準備をしてきたん
だ。なのに俺様はあっさりとその不死を得ている。アンタはそれが悔しいんだろう?やれ
やれ、ババァの嫉妬はその外見以上に醜いねぇ」
図星。心の奥底にある感情をダイレクトに指摘された女王の思考はただただ赤黒い怒り
に染まっていく。
――お前なぞに何が分かる。偉そうに妾を語るな、化け物風情が!
女王の怒りに呼応するかのように祭壇に灯された火は勢いを増し、また女王自身から凄
まじい怒気が放たれる。物理的な衝撃すら伴った怒りの波動。だが、それでもウピエルは
余裕を崩す事なく淡々と言葉を紡ぐ。
「なぁ、そろそろ頃合だよな?」
「ええ、そうですね」
まるで世間話でもしているかのような気軽さ。怒りに震える女王は、そこでようやくな
にかがおかしいという事に気がつく。……だが、全てはもう後の祭りだった。
・・・・
「目覚めろ」
低い声でウピエルが宣言するのと同時にリーゼロッテを包んでいた炎が大きさを増した。
女王が生み出した火球も取り込み、大きい大きい火柱となって燃え上がる。
「な、何をしたっ!?」
燃え上がる炎に命を吸い取られたかのように、先ほどまでの力に溢れた堂々たる女王の
姿は既にそこにはなかった。時間がたつ毎に体を守っていた羽毛は抜け落ち、若々しく張
っていた肌には皺が刻まれていく。
「力が……妾の力が吸い取られるじゃとっ!?」
火柱は一度燃え上がった後はまた小さくなっていくが、女王の変化はとまらない。今ま
で無理やり時をとめていたツケを払わされるように、秒単位で老いて行く。後に残ったの
は、まるで即身仏になる直前の僧のように干からびきって小さくなった老婆が一人。
「力はより大きな力に飲み込まれる、という事ですよ」
帽子を被りなおしながら喪服色を身にまとう男が口を開く。
「貴女が何人欠片を持つ子供をその身の内に取り入れようと、覚醒した本物には敵わなか
った……それだけの話です」
「馬鹿な……妾は、妾は神の力を手にしたハズじゃ。それがっ!」
かつては鈴を転がすようだった美声をも失い、失われていく力に縋るかのように祭壇へ
とよろめいていった。その手には、先程少女の心臓を抉るのに使った短刀が鈍い光を放っ
ている。
「認めん、妾は認めんぞっ!」
今度こそ間違いなく息の根を止めてやろうと、手にした短刀を両手でしっかりと握り、
振り上げる。そして、今まさに炎の中から生まれんとしている鳳凰の雛に向けて刃を突き
落とす――
瞬間、全てを包み込み癒すかのような軟らかい炎が祭壇の間を覆いつくした。
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