キャスト:イェルヒ
シーン:ソフィニア近郊 -遺跡パジオ、内部、最下層
-------------------------------------------------------
「……に半裸の男がいる!?」
「……ぅとっ!? ……も馬鹿なの!!?」
「……兄弟だから!」
「へブォしッ!!!!」
「……ぉしたぞおおおおおお!」
「……ゥク様!」
耳を澄ますまでも無い。
阿鼻叫喚が反響効果を得て、不気味に響き渡った。
女の絶叫のようなものも混じっているようだが、それは更なる不気味さを煽るだけのものにしかならなかった。
……ここはどこなんだ。
別次元に来たのか。
別次元世界であれば、それはそれで問題であるが。
この音が、自分が今まで生活していた世界と繋がっているのであれば、それはそれ以上に問題が山積みになる。
人が、いるのだろう。少なくとも、人に近いものがいるのだろう。あれが何かの鳴き声であるには、発音の種類が多様すぎる。
希望的予測として、別次元としてみよう。別次元であれば……研究意欲に逃げることが出来る。
絶望的予測として、同次元としてみよう。自分の存在する世界と同一であれば……先ほどの言語は、私の認識している言語と一致している可能性が著しく高くなるということであり。「半裸」などという言葉も、自分の思っている通りの意味として受け取らなければならないだろう。
さて。
今、自分がなぜこうも全力疾走をしているのかの答えを考えよう。
聞き覚えのある声があったからだ。紛れもない、あの入り口で見た二人の声だ。
通常ならば、異空間に飛ばされたのであればきっと駆け寄ったに違いない。だが、あんな奇妙な音……「へブォしッ!!!!」などという人間が発生し得ないような音……が聞こえた後では、別次元だろうが関係ない。
本能の取る行動は、時として理性を超える。
そして、イェルヒはその生物の持つ生存本能に感謝しながら、走っていた。
足音など気にしない。というか、あの騒ぎで聞き取れるはずが無い。……その結論も、先行く本能を追いかける理性によるものだ。
あぁ、とイェルヒはそこで気づいた。
これは、本能の働きが理性を越しているのではない。理性の働きがいつもより遅れているのだ。
恐怖は、思考能力を低下させているのだ。
イェルヒは更に恐怖した。考える能力を奪われるのは、自分の積み重ねの崩壊だ。
だが、すぐに、自覚した恐怖をなだめるように努める。大抵のストレスは、自覚し、把握してしまえば効果は半減する。
恐怖を自覚したイェルヒは、少しだけ泣きそうになっている自分に気づいた。
あぁ、いっそ無力であれば、全てを現状に身を任してしまい、楽になれるのかもしれない。などと、自身ではできもしないと分かっている夢想を、少しだけした。
と、自分に対しての思考をし、どうやらまともな把握能力が戻ってきたらしいイェルヒは、あることに気づいた。
緩やかではあるが、傾斜がある。そして、どうやら螺旋を描いており、ゆっくりと螺旋の中心部分にあたる場所へと続いているようだ。
パジオの、唯一の特徴。
「種」に対する信仰。
地中深くには「死」があり、それが時とともに浮上し「生」になる。
いわば、これは……。
死に続く螺旋スロープ
息が上がってきたこともあるが、それ以上の理由でイェルヒは緩やかになる。
体温が上がっているというのに、先ほどよりも空気が冷えているように感じた。
しかし、歩みは止まらない。
興味が勝った……部分もあるが、現実はそう美しいものばかりで出来ている訳では無い。実際のところの理由は、背後からおどろおどろしく響く音が、イェルヒを追いやっていたというのが大きい。
どちらにしろ、関わりあいたくないことが分かりきっている方向へ行くのと、知的好奇心を騒がせる可能性を持ったものへ近づくのとでは、後者を選ぶに決まっている。
意を決し、緩やかになっていた歩調を、通常の速さに戻す。
と、イェルヒは気づいた。
……背後から、奇妙な音の発生源が、近づいてきているような気がしたのだ。(……音がだんだん大きくなっているという、それまた恐ろしいことで無ければの話だが)
『気がした』という表現をしたのは、いい加減自分が狂ってしまって恐ろしい幻聴が聞こえてきたのかなぁ、などという冷静に考えての判断を含んでいたからだ。……その可能性にすがりたいという欲望もあったが。
イェルヒは、走った。
そんな冷静に判断できる自分が『狂っている』とは思えなかったからだ。
自らによって、残された希望を打ち砕いたイェルヒは、またひとつ大人になった。
だんだんと、壁のカーブが急になってゆく。円の中心に近づいているのだ。
そこで初めて、イェルヒはこのまま行き止まりという可能性もあることに気づいた。
『袋の鼠』という不吉な言葉が頭をよぎる。
胃の中が不安に満ちて吐きそうになった時、突き当たりが見えた。そこには、鉄の扉があった。
飛びつくように、扉に手をかける。が、ガコンという音を立てるだけで、扉は開かない。背後の音声はおぞましい響きを帯びつつ近づく(ような気がした、とまだあがいてみせる)。
パニックに陥りそうな脳を駆使して、急いで開錠の呪文を唱えるイェルヒ。
息切れと焦りで呪文の発音がうまくいかなかったので、失敗したのではないかと思ったが、祈るように扉を押すと、すんなり開いた。
内側に充満していた湿り気を含んだ熱気が、開けられた扉の隙間から逃げてゆく。
円形の部屋には炎に対峙している一人の男がいた。
時折見える男の目は、この部屋の暑さ以上に熱いものがある。誰もが慄くその情熱の強さがその眼の内側にあった。
じっとりとした空気に高温。当然、男の顔には汗が玉になって浮かんでいる。が、男はそれに気にも留めず、黙々と自分の行為に集中している。
男は、一心不乱に鉄鍋を振って、米を躍らせていた。
それは、ある種の芸術性を放ちながら。
イェルヒは、静かに扉を閉め、そして、静かにその場に打ち崩れた。
シーン:ソフィニア近郊 -遺跡パジオ、内部、最下層
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「……に半裸の男がいる!?」
「……ぅとっ!? ……も馬鹿なの!!?」
「……兄弟だから!」
「へブォしッ!!!!」
「……ぉしたぞおおおおおお!」
「……ゥク様!」
耳を澄ますまでも無い。
阿鼻叫喚が反響効果を得て、不気味に響き渡った。
女の絶叫のようなものも混じっているようだが、それは更なる不気味さを煽るだけのものにしかならなかった。
……ここはどこなんだ。
別次元に来たのか。
別次元世界であれば、それはそれで問題であるが。
この音が、自分が今まで生活していた世界と繋がっているのであれば、それはそれ以上に問題が山積みになる。
人が、いるのだろう。少なくとも、人に近いものがいるのだろう。あれが何かの鳴き声であるには、発音の種類が多様すぎる。
希望的予測として、別次元としてみよう。別次元であれば……研究意欲に逃げることが出来る。
絶望的予測として、同次元としてみよう。自分の存在する世界と同一であれば……先ほどの言語は、私の認識している言語と一致している可能性が著しく高くなるということであり。「半裸」などという言葉も、自分の思っている通りの意味として受け取らなければならないだろう。
さて。
今、自分がなぜこうも全力疾走をしているのかの答えを考えよう。
聞き覚えのある声があったからだ。紛れもない、あの入り口で見た二人の声だ。
通常ならば、異空間に飛ばされたのであればきっと駆け寄ったに違いない。だが、あんな奇妙な音……「へブォしッ!!!!」などという人間が発生し得ないような音……が聞こえた後では、別次元だろうが関係ない。
本能の取る行動は、時として理性を超える。
そして、イェルヒはその生物の持つ生存本能に感謝しながら、走っていた。
足音など気にしない。というか、あの騒ぎで聞き取れるはずが無い。……その結論も、先行く本能を追いかける理性によるものだ。
あぁ、とイェルヒはそこで気づいた。
これは、本能の働きが理性を越しているのではない。理性の働きがいつもより遅れているのだ。
恐怖は、思考能力を低下させているのだ。
イェルヒは更に恐怖した。考える能力を奪われるのは、自分の積み重ねの崩壊だ。
だが、すぐに、自覚した恐怖をなだめるように努める。大抵のストレスは、自覚し、把握してしまえば効果は半減する。
恐怖を自覚したイェルヒは、少しだけ泣きそうになっている自分に気づいた。
あぁ、いっそ無力であれば、全てを現状に身を任してしまい、楽になれるのかもしれない。などと、自身ではできもしないと分かっている夢想を、少しだけした。
と、自分に対しての思考をし、どうやらまともな把握能力が戻ってきたらしいイェルヒは、あることに気づいた。
緩やかではあるが、傾斜がある。そして、どうやら螺旋を描いており、ゆっくりと螺旋の中心部分にあたる場所へと続いているようだ。
パジオの、唯一の特徴。
「種」に対する信仰。
地中深くには「死」があり、それが時とともに浮上し「生」になる。
いわば、これは……。
死に続く螺旋スロープ
息が上がってきたこともあるが、それ以上の理由でイェルヒは緩やかになる。
体温が上がっているというのに、先ほどよりも空気が冷えているように感じた。
しかし、歩みは止まらない。
興味が勝った……部分もあるが、現実はそう美しいものばかりで出来ている訳では無い。実際のところの理由は、背後からおどろおどろしく響く音が、イェルヒを追いやっていたというのが大きい。
どちらにしろ、関わりあいたくないことが分かりきっている方向へ行くのと、知的好奇心を騒がせる可能性を持ったものへ近づくのとでは、後者を選ぶに決まっている。
意を決し、緩やかになっていた歩調を、通常の速さに戻す。
と、イェルヒは気づいた。
……背後から、奇妙な音の発生源が、近づいてきているような気がしたのだ。(……音がだんだん大きくなっているという、それまた恐ろしいことで無ければの話だが)
『気がした』という表現をしたのは、いい加減自分が狂ってしまって恐ろしい幻聴が聞こえてきたのかなぁ、などという冷静に考えての判断を含んでいたからだ。……その可能性にすがりたいという欲望もあったが。
イェルヒは、走った。
そんな冷静に判断できる自分が『狂っている』とは思えなかったからだ。
自らによって、残された希望を打ち砕いたイェルヒは、またひとつ大人になった。
だんだんと、壁のカーブが急になってゆく。円の中心に近づいているのだ。
そこで初めて、イェルヒはこのまま行き止まりという可能性もあることに気づいた。
『袋の鼠』という不吉な言葉が頭をよぎる。
胃の中が不安に満ちて吐きそうになった時、突き当たりが見えた。そこには、鉄の扉があった。
飛びつくように、扉に手をかける。が、ガコンという音を立てるだけで、扉は開かない。背後の音声はおぞましい響きを帯びつつ近づく(ような気がした、とまだあがいてみせる)。
パニックに陥りそうな脳を駆使して、急いで開錠の呪文を唱えるイェルヒ。
息切れと焦りで呪文の発音がうまくいかなかったので、失敗したのではないかと思ったが、祈るように扉を押すと、すんなり開いた。
内側に充満していた湿り気を含んだ熱気が、開けられた扉の隙間から逃げてゆく。
円形の部屋には炎に対峙している一人の男がいた。
時折見える男の目は、この部屋の暑さ以上に熱いものがある。誰もが慄くその情熱の強さがその眼の内側にあった。
じっとりとした空気に高温。当然、男の顔には汗が玉になって浮かんでいる。が、男はそれに気にも留めず、黙々と自分の行為に集中している。
男は、一心不乱に鉄鍋を振って、米を躍らせていた。
それは、ある種の芸術性を放ちながら。
イェルヒは、静かに扉を閉め、そして、静かにその場に打ち崩れた。
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