キャスト:ジュリア リクラゼット
場所:ソフィニア近郊 -遺跡パジオ、内部
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がらがらがらがら――
手押し車か何か、そういったものの車輪が回るのを連想させる音が聞こえて、ジュリアは部屋の奥に視線を転じた。
開かれていない扉。ここに訪れたのとは逆の方向。
たった今まで、正面の壁が壁でなく扉であることにさえ気づかなかった。明かりが地面に置かれた室内用ランプ一つしかないのと、いい加減に注意力が散漫になっていたので。
「……おい」
「どしたのお姉さん?」
地図と、懐から取り出した紙切れを熱心に見ながら、クラークが上の空な返事をした。
ジュリアはその態度に舌打ちでもしたい気分になったが我慢する。その代わり、眉間に浅くしわを寄せて、馬鹿の背中を拳で叩いた。
「何か来る」
「そりゃダンジョンだからね。モンスターの一匹や二匹いるでしょ」
「車輪が――」
クラークは。
二枚の紙切れから視線を上げてゆっくりと振り返った。
「本当だ。意外と早かったなぁ」
今までになく真面目な視線で真正面から見据えられ、ジュリアは思わず睨み返す。
「心当たりが?」
「おなじ目的でここに来るライバルがいたりいなかったり」
相手の緑色の瞳は、初めて会ったときと同じで、色だけは綺麗だった。くたびれたような年齢不詳の外見――何かを勘違いしているとしか表現できない大げさな探検家ルックは色あせていて、色のあせたモノクロの中で、その緑だけが酷く場違いだ。
困ったようにクラークは唸り、「すぐに開けられるだろうな」と言った。
「さて、ここからが依頼だ西の魔女……引き受けてもらえるかな」
「今までは慈善事業?」
首をかしげ、軽く細めた目で見上げたまま口の端を吊り上げる。
実際には別に金銭にこだわるつもりはなかった。面白ければなんでもいい。馬鹿馬鹿しい呪いのナイフとやらが実在するなら一目見るのも悪くないだろうし、ただ歩き回る単調な時間が終わって変化が起こったのだから、やっと少し面白みも出てきたのだ。
「報酬は……君を無事に地上まで案内することでどうだろう」
脅迫まがいの言葉は予想していたので、ジュリアは感覚だけで時間を計った。
「……帰ったら夕方か」
「だねぃ」
「昼食とりそこねた」
「じゃあ、案内と夕飯で取引成立」
ジュリアはうなずいて続きを促した。クラークは苦笑して奥の扉を見る。
ぼんやりと、扉の表面に淡い光が浮いていた。文様のような――いや、あれは、文字。見たこともない記号だったが、何等かの意味と力を持った言葉であると知れた。
「それで、依頼の内容は?」
「やり方に何も口を出さないけど、達成条件は一つだけ」
「何?」
クラークは薄く、薄く、笑った。
「――“遺跡の宝はオレのものだ”」
くつくつという笑い声。色だけは綺麗な緑の双眸。
くすんだ男が、まだどこか誠実そうに見えたのは、それだけの根拠に過ぎなかった。だが不誠実にも見えない。彼をあらわす言葉は“馬鹿”と“無意味”である。
ゆっくりと扉が開き始めたのでジュリアはそちらを見ながら、最後に訊いた。
「世界征服、やる?」
「とりあえず弟に見せびらかして自慢してから考えやぅ」
ぎぢぎぢと軋みながら重い両扉が動く。その振動で遺跡全体が揺れているように感じた。塵が落ちる。ランプの光が奥へ続いている通路を照らしていく。
見えたのは――恐らく人間だった。何か大きな四角いものを隣に置いている。
「クラーク!」
ジュリアは悲鳴のような声を上げた。名前を呼んでしまったが、そんなことはもう、どうでもよかった。大荷物を背負った探検家は、相変わらずのほほんとしていた。恨めしさよりも憎悪に近いものをおぼえ、町に帰ったら酷い目に遭わせてやると心の中で恫喝する。
現れた人影の方も、ここに人がいることなど想像していなかったのだろう。それも、変な格好の馬鹿とワンピースの女の二人連れ。そんな組み合わせは意味不明だ。
それともいきなり悲鳴を上げられたせいかも知れないが、困ったように立ち尽くしている。
だからその隙にジュリアは雇い主に文句を突きつけた。
「なんでこんなところに半裸の男がいる!? 脈絡がナイにも程があるだろう!」
「いやぁビックリだね。ここってワンダーランドだったんだ」
驚いているようには見えない。言っている意味もまったくわからない。
ジュリアは復讐――あるいは八つ当たり――の内容を直前に考えていたよりもえげつないものに変更することを決めながら、現れた男を観察した。
なんていうか半裸だ。だからといって人様に見せびらかすほどの肉体美ではない。むしろ逆で……虚弱、という言葉の定義そのものが人間の形をしているようだ。インドア派なんて印象は生ぬるい。風が吹かなくても倒れそうだ。
どうやってここまで辿り着いたものか、まったく想像がつかなかった。
髪はたぶん黄色っぽい色で、それに隠れて顔はよく見えないが、少なくともクラークよりは老けているように見えた。ひどい猫背。でもたぶん長身だろう。痩せすぎていてそう見えるという可能性もあるが、決して短躯ではないことは間違いない。
大きな羽ペンのようなものも持っているが、あんな大きな羽ペンは見たことないので、きっと何か違う用途に使うものなのだろう。
「追いついたぞぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
ばたばたと足音が聞こえた。
振り返るとジュリアたちが来た方の開いていた扉から、すごい剣幕で男が走りこんできた。少し面長の顔が、悪鬼のように歪められている。その後ろにもう一人いるようだがそんなものは目に入らない。
ジュリアがぎょっとして部屋の隅に逃れるのには目もくれず、クラークは晴れやかな笑顔で両腕を広げた。
「久しいな我が弟、ルークよ!」
「弟っ!? 弟も馬鹿なの!!?」
「だって兄弟だから!」
何故か自信満々にクラークは頷いて、突進してくる弟の前に出る。
そして彼は全力疾走の勢いを十分に乗せた一撃を顔面にもらって吹っ飛んだ。
「へブォしッ!!!!」
「倒したぞおおおおおお!」
「やりましたねルーク様!」
叫んだのは、走ってきた二人目だった。だがそんなことはもうどうでもいい。ここは本当にワンダーランドとかそういうところなのかも知れない。
ここにはマトモな人は一人もいない。馬鹿兄弟とかその仲間とか半裸とかしかいない世界に迷い込んでしまったのなら。
――早く現実に帰らなければならない!!
ジュリアは静かに深呼吸して戦闘態勢を整えた。
場所:ソフィニア近郊 -遺跡パジオ、内部
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がらがらがらがら――
手押し車か何か、そういったものの車輪が回るのを連想させる音が聞こえて、ジュリアは部屋の奥に視線を転じた。
開かれていない扉。ここに訪れたのとは逆の方向。
たった今まで、正面の壁が壁でなく扉であることにさえ気づかなかった。明かりが地面に置かれた室内用ランプ一つしかないのと、いい加減に注意力が散漫になっていたので。
「……おい」
「どしたのお姉さん?」
地図と、懐から取り出した紙切れを熱心に見ながら、クラークが上の空な返事をした。
ジュリアはその態度に舌打ちでもしたい気分になったが我慢する。その代わり、眉間に浅くしわを寄せて、馬鹿の背中を拳で叩いた。
「何か来る」
「そりゃダンジョンだからね。モンスターの一匹や二匹いるでしょ」
「車輪が――」
クラークは。
二枚の紙切れから視線を上げてゆっくりと振り返った。
「本当だ。意外と早かったなぁ」
今までになく真面目な視線で真正面から見据えられ、ジュリアは思わず睨み返す。
「心当たりが?」
「おなじ目的でここに来るライバルがいたりいなかったり」
相手の緑色の瞳は、初めて会ったときと同じで、色だけは綺麗だった。くたびれたような年齢不詳の外見――何かを勘違いしているとしか表現できない大げさな探検家ルックは色あせていて、色のあせたモノクロの中で、その緑だけが酷く場違いだ。
困ったようにクラークは唸り、「すぐに開けられるだろうな」と言った。
「さて、ここからが依頼だ西の魔女……引き受けてもらえるかな」
「今までは慈善事業?」
首をかしげ、軽く細めた目で見上げたまま口の端を吊り上げる。
実際には別に金銭にこだわるつもりはなかった。面白ければなんでもいい。馬鹿馬鹿しい呪いのナイフとやらが実在するなら一目見るのも悪くないだろうし、ただ歩き回る単調な時間が終わって変化が起こったのだから、やっと少し面白みも出てきたのだ。
「報酬は……君を無事に地上まで案内することでどうだろう」
脅迫まがいの言葉は予想していたので、ジュリアは感覚だけで時間を計った。
「……帰ったら夕方か」
「だねぃ」
「昼食とりそこねた」
「じゃあ、案内と夕飯で取引成立」
ジュリアはうなずいて続きを促した。クラークは苦笑して奥の扉を見る。
ぼんやりと、扉の表面に淡い光が浮いていた。文様のような――いや、あれは、文字。見たこともない記号だったが、何等かの意味と力を持った言葉であると知れた。
「それで、依頼の内容は?」
「やり方に何も口を出さないけど、達成条件は一つだけ」
「何?」
クラークは薄く、薄く、笑った。
「――“遺跡の宝はオレのものだ”」
くつくつという笑い声。色だけは綺麗な緑の双眸。
くすんだ男が、まだどこか誠実そうに見えたのは、それだけの根拠に過ぎなかった。だが不誠実にも見えない。彼をあらわす言葉は“馬鹿”と“無意味”である。
ゆっくりと扉が開き始めたのでジュリアはそちらを見ながら、最後に訊いた。
「世界征服、やる?」
「とりあえず弟に見せびらかして自慢してから考えやぅ」
ぎぢぎぢと軋みながら重い両扉が動く。その振動で遺跡全体が揺れているように感じた。塵が落ちる。ランプの光が奥へ続いている通路を照らしていく。
見えたのは――恐らく人間だった。何か大きな四角いものを隣に置いている。
「クラーク!」
ジュリアは悲鳴のような声を上げた。名前を呼んでしまったが、そんなことはもう、どうでもよかった。大荷物を背負った探検家は、相変わらずのほほんとしていた。恨めしさよりも憎悪に近いものをおぼえ、町に帰ったら酷い目に遭わせてやると心の中で恫喝する。
現れた人影の方も、ここに人がいることなど想像していなかったのだろう。それも、変な格好の馬鹿とワンピースの女の二人連れ。そんな組み合わせは意味不明だ。
それともいきなり悲鳴を上げられたせいかも知れないが、困ったように立ち尽くしている。
だからその隙にジュリアは雇い主に文句を突きつけた。
「なんでこんなところに半裸の男がいる!? 脈絡がナイにも程があるだろう!」
「いやぁビックリだね。ここってワンダーランドだったんだ」
驚いているようには見えない。言っている意味もまったくわからない。
ジュリアは復讐――あるいは八つ当たり――の内容を直前に考えていたよりもえげつないものに変更することを決めながら、現れた男を観察した。
なんていうか半裸だ。だからといって人様に見せびらかすほどの肉体美ではない。むしろ逆で……虚弱、という言葉の定義そのものが人間の形をしているようだ。インドア派なんて印象は生ぬるい。風が吹かなくても倒れそうだ。
どうやってここまで辿り着いたものか、まったく想像がつかなかった。
髪はたぶん黄色っぽい色で、それに隠れて顔はよく見えないが、少なくともクラークよりは老けているように見えた。ひどい猫背。でもたぶん長身だろう。痩せすぎていてそう見えるという可能性もあるが、決して短躯ではないことは間違いない。
大きな羽ペンのようなものも持っているが、あんな大きな羽ペンは見たことないので、きっと何か違う用途に使うものなのだろう。
「追いついたぞぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
ばたばたと足音が聞こえた。
振り返るとジュリアたちが来た方の開いていた扉から、すごい剣幕で男が走りこんできた。少し面長の顔が、悪鬼のように歪められている。その後ろにもう一人いるようだがそんなものは目に入らない。
ジュリアがぎょっとして部屋の隅に逃れるのには目もくれず、クラークは晴れやかな笑顔で両腕を広げた。
「久しいな我が弟、ルークよ!」
「弟っ!? 弟も馬鹿なの!!?」
「だって兄弟だから!」
何故か自信満々にクラークは頷いて、突進してくる弟の前に出る。
そして彼は全力疾走の勢いを十分に乗せた一撃を顔面にもらって吹っ飛んだ。
「へブォしッ!!!!」
「倒したぞおおおおおお!」
「やりましたねルーク様!」
叫んだのは、走ってきた二人目だった。だがそんなことはもうどうでもいい。ここは本当にワンダーランドとかそういうところなのかも知れない。
ここにはマトモな人は一人もいない。馬鹿兄弟とかその仲間とか半裸とかしかいない世界に迷い込んでしまったのなら。
――早く現実に帰らなければならない!!
ジュリアは静かに深呼吸して戦闘態勢を整えた。
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