PC: フェイ、コズン
NPC: レベッカ、青年、召喚獣のみなさん、リズ、少女
場所:町はずれの墓地
「アカデミーの意地もあるが、俺にはたどり着かねばならないところがあるのを忘れていた。お前は強いが、それでもお前程度に勝てないようでは到底そこにはいけるはずもなかった」
フェイという男。浮かべた笑いの裏には狼が潜んでいるような気がした。
一度だけ戦ったことのある気配だった。憎らしさと悔しさを感じる。それが、男の心に波紋を立てる。あの娘の捕獲を命じられたこと自体、それに関わっているのではないか。あの忌まわしい狼どもに。
「……やはりあまりよくない仕事を受けてしまったようだな」
すっ、と一歩引き、ローブから何本もの棒を取り出し地面へと放る。同時にフェイが間合いを詰めた。
銀の風のように間にフェイに牽制を放つヤクシャ。だが、フェイはヤクシャそのものを飛び越えると、ローブの男へ剣を振り下ろす。しかし、その一撃は下から飛び出してきた赤い固まりが盾となって防いだ。赤い固まりは緑色の体液を吹き出して、倒れる。すると幻であったかのように消え去り、砕け散った棒だけが残った。
「無駄だ」
わずかな音ともに着地したフェイは、後ろから襲いかかるヤクシャを避けながら、言った。赤い盾によって一歩引く時間だけを手に入れた男は厳しい顔のまま、指を鳴らす。
ずるずる、と引きずるような音ともに2匹もの赤い大百足が地面から這い上がってくる。威嚇せんと牙をならせば、毒液がしたたる。フェイは驚いた様子もなく、下段に剣を構え、迷いなく踏み出し、飛びかかる百足の腹を断ちきる。横手から噛みついてきた百足をその勢いのままの回転するように切り払う、ともはや男は間合いの中にいた。
引き裂かれた空気が悲鳴を上げて、剣の存在を主張したが男は右腕を盾に受け流すのが精一杯だった。それでも鈍い音がして刃が肉へと食い込み、血がどろりと流れ出る。
青いローブの男は血を流す腕を意識した。迷いがなくなったのならば、戦士としての腕はあちらの方が上、あの女は取られた。これ以上長居は無用だ。依頼は放棄しよう。煩わしい服務規程は冒険者達と違って自分にはないのだから。
剣を構えた男にはその気はないだろうが。だが、怖くはない。ただ、強いだけの人間をおそれるほど、年期は短くない。
「……ふん」
男は力を抜き構えを解いて、すっと下がった。存在を希薄な存在が、それこそ薄い布がただ揺れるように。
自然すぎる動きで反応の遅れる、フェイの追撃は煙を切るように手応えがない。相手はもう三歩分は下がっていた。ヤクシャは昆虫のような素早さで間に入り込み、フェイをとどめる。
「どけっ!」
ヤクシャがフェイの動きをとどめたのは十秒に満たない。枯れ枝のような体はものの数秒でフェイの剣が閃き、横薙ぎにヤクシャを切り裂いた。それだけで、青いローブの男には十分だった。断ち切られたヤクシャごしにフェイの顔をじっとにらみつけながら、かかとで三回大地を蹴った。
「覚えておけ、狼の末裔よ。おまえも狙われるだろう」
それはフェイだけに聞こえる程度の小さな声だった。あたりが揺れ、墓石やら錆びた剣やらが倒れる。その中で青いローブの男は無理矢理笑った。
「なっ」
揺れを本能的に警戒したフェイは質問を返すべきか、踏み込むべきか一瞬悩んだ。その一瞬に大地が引き裂かれ、壁のような何かがいくつかせり出して、男をドーム状に包んだ。小屋ほどある壁の下には土色の分厚い皮が土台になっている。それには妙に丸っこい黒目がついていて、くりくりとフェイを見つめた。
「ロック・ウォーム!」
フェイにも今回ばかりはレベッカの声が、妙に耳障りだった。わざわざ、土の軟らかい所を選んだのはこの大長虫を地面に潜ませておくためだったらしい。壁のように見えたのは岩盤を削るための鈍く固い歯だ。ただの剣で切りたければ竜殺しでもよばなければならない。
ずずっと這いずる音が墓地に響き、ロックウォームの先端は地中へと消えていた。軟らかい土が穴をすぐにふさいでしまった。
「なぜ、あいつが?」
フェイは考え込むように下を見つめた。断ち切られた木の棒と盛り上がった地面だけが目に写った。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
コズンは少女の呼吸を確認した。一目見ただけで青白い顔へ、耳を近づけるとかすかに息はある。だが、胸からがかなりの量の血が滴っていて、コズンは冬でも来たように震えた。服は白を基調としている珍しい旅装束で、胸の赤が恐ろしいほど映えていた。
「けっ、人工呼吸はなしか。じゃあ、せいぜいいいもんみせてくれよ」
偽悪や粗野な振る舞いで内心をごまかすのはコズンの生まれてからの性分だった。しか、ごまかしきれるものでもなかった。棘の上を歩くような気持ちで下卑た笑いを浮かべながら、怪我の様子を見る。服が多少薄汚れているぐらいで、胸以外、異常はないようにみえた。服の上から触れる血が妙に暖かくって、コズンの寒気は止まらないのだった。腹から出すとき、粗相でもしたのか。それともあの修行者気取りは殺してから連れて行くつもりだったのか。
「勘弁してください、死神様。慈悲を」
不安を掻き立てるように、あたりが揺れた。墓石が倒れ、背中の方においておいた槍を刃ごとばらばらにした。
情けない面で、胸をはだけ傷を確認すると、丁度胸の中心に妙な刻印があった。血はそこから定期的ににじんでいるだけのようだ。刻印はオオカミ避けの刻印に魔法陣を混ぜたような形をしていた。傷といえば傷だが、この手のきちんと彫り込みには時間がかかる。たぶん騒ぎ途中に彫り込みが終わったのだろう。それにこんな刺青で死にはしない。血の量はおかしいような気もしたが、だからといってこれ以外傷という傷もない。
「慈悲を、感謝します」
ため息のように祈りの言葉を漏らす。そして、娘をひとにらみして、男ならぶん殴ってやるとこなのに、と呟いた。
むすっとしながら、簡単に血止めの草を貼り付けて布で固定してやる。慣れた様子で、ささっとすませ、服を戻す。
「コズン、あっちは終わったわ」
レベッカがそわそわとした様子で、言った。
「あの青いローブは?」
「逃げられたよ、頭が小屋ぐらいある大長虫なんて伏せていたの。もっとも逃亡用の切り札みたいだったけど」
コズンはちらりとフェイを見た。疲れたように、下を見ているフェイの背中はなんだか張り合いがなかった。
「役にたたねぇ奴」
淡々とした様子のコズンは言葉を考えて、口を開いた。
「奴には、気にするな、って言っといてくれ」
レベッカは澄ました様子でコズンをよく見た。やっとこの馬鹿も、本調子を取り戻したようだった。
「ご自分でどうぞ」
「なら、訂正だ。このトンマ、ってな」
にやっとしたレベッカは肩を大仰にすくめた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
宿にもどった四人は、少女を宿の2階にある個室に寝かせた。彼女と共に旅をしていたらしい女性も気を失っていたらしく、同じ部屋に運び込まれていた。雑魚寝の大部屋ではなく、個室を貸してくれたのは宿の主人達に礼をいうべきかもしれない。込み入った話はこういうところの方がいい。それに、コズンでもオークやトロルと雑魚寝はごめんだった。いつ、腕や指が奴らのおやつになるか分かったものではない。
コズンはそんなことを考えながら、手慣れた様子で水桶から取り出した布を絞り、女性の頭にのせてやった。
そしてまったく動かず、虚空を見つめるフェイに向かって口を開く。
「フェイ、ぼーっとしてんだったら、主人に発破かけて来てくれ、女手と厚い湯、身体を拭く清潔な布を。間違っても雑巾みたいな奴じゃダメだ。女の柔肌にヤスリはかけたくないだろう」
フェイは内容をあまり吟味せず、頷くと下の階へおりていった。
「あーいう、いらつき方する奴はなぁ、めんどくせぇ」
レベッカは首を振った。
「違うんじゃない? 確かにあんたみたいに仕事の失敗をものに当たったり、人を殴ったりするタイプじゃないけど」
「だったらなんだ、この嬢ちゃんに惚れちまったのか」
引きつりながら言った冗談は我ながら駄作だった。やはり、付け焼き刃ではだめだ。
「あんた、似合わないから、その手のこというのやめなさい。不自然。何あんたこそ焦っているの?」
「っせぇ。で、なんだ。フェイの野郎は」
「あの青いローブの男に何か言われたんじゃない? それで考え込んでるんだわ」
むぅ、と唸るコズン。やはりあの仙人然した男の方が一枚二枚上手で何か揺さぶりがあったのだろうか。
娘の呼吸がまた荒くなった。話しは打ち切りとばかり二人は彼女へと寄っていく。
「こいつは、喘息か何かか? それにしちゃ、おかしい」
呼吸を楽にするため、胸をはだけさせ、血止めの葉を剥がすついでに、この娘の刻印をもう一度見た。
刻印からは相変わらず血がにじみ、血止めの葉はまったく効果がないようだった。呪いかなにかなのかもしれない。
どたどたという音共に後ろのドアが開き、恰幅のいい、桶を抱えた中年女と熱湯の入った瓶を持たされたフェイだった。
「ほら、とっとと出て行きな、女の子はデリケートなんだ」
コズンとレベッカは顔を見合わせた。聞き覚えのある声だった。
「コズンじゃないか、あんた、いつまでフラフラしてんだい」
「リズ、後で聞かせてくれ。それより頼んだぜ。飛び大口の腹んなかにさっきまでいたんだ、よく拭いてやってくれ」
フェイから桶を取りあげて、リズは神妙に頷いた。
「行くぞ、フェイ」
コズンがとっと下がろうとした時、引き留める高い声がした。
「待ってください、オオカミの末裔」
フェイは無言で振り返った。こう呼ばれるのは今日で2回目だった。
少女は上体を起こし、胸の間の刻印をこちらに向けている。フェイが彼女に近づくとそこからじわじわと血が広がった。
「あとにしな!」
リズは体重に比した声量で二人の間に入った。
「あんたは体調を整えるのが先、あんたはその陰気な顔を洗ってくるのが先!」
顎でコズンに指示してから、リズは少女を無理矢理寝かしつけた。コズンはさっさと下の階へ降りる。フェイはまだ納得いかなそうな顔だったが、リズが湯を張り始めるとさすがに立ち去るしかなかった。
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NPC: レベッカ、青年、召喚獣のみなさん、リズ、少女
場所:町はずれの墓地
「アカデミーの意地もあるが、俺にはたどり着かねばならないところがあるのを忘れていた。お前は強いが、それでもお前程度に勝てないようでは到底そこにはいけるはずもなかった」
フェイという男。浮かべた笑いの裏には狼が潜んでいるような気がした。
一度だけ戦ったことのある気配だった。憎らしさと悔しさを感じる。それが、男の心に波紋を立てる。あの娘の捕獲を命じられたこと自体、それに関わっているのではないか。あの忌まわしい狼どもに。
「……やはりあまりよくない仕事を受けてしまったようだな」
すっ、と一歩引き、ローブから何本もの棒を取り出し地面へと放る。同時にフェイが間合いを詰めた。
銀の風のように間にフェイに牽制を放つヤクシャ。だが、フェイはヤクシャそのものを飛び越えると、ローブの男へ剣を振り下ろす。しかし、その一撃は下から飛び出してきた赤い固まりが盾となって防いだ。赤い固まりは緑色の体液を吹き出して、倒れる。すると幻であったかのように消え去り、砕け散った棒だけが残った。
「無駄だ」
わずかな音ともに着地したフェイは、後ろから襲いかかるヤクシャを避けながら、言った。赤い盾によって一歩引く時間だけを手に入れた男は厳しい顔のまま、指を鳴らす。
ずるずる、と引きずるような音ともに2匹もの赤い大百足が地面から這い上がってくる。威嚇せんと牙をならせば、毒液がしたたる。フェイは驚いた様子もなく、下段に剣を構え、迷いなく踏み出し、飛びかかる百足の腹を断ちきる。横手から噛みついてきた百足をその勢いのままの回転するように切り払う、ともはや男は間合いの中にいた。
引き裂かれた空気が悲鳴を上げて、剣の存在を主張したが男は右腕を盾に受け流すのが精一杯だった。それでも鈍い音がして刃が肉へと食い込み、血がどろりと流れ出る。
青いローブの男は血を流す腕を意識した。迷いがなくなったのならば、戦士としての腕はあちらの方が上、あの女は取られた。これ以上長居は無用だ。依頼は放棄しよう。煩わしい服務規程は冒険者達と違って自分にはないのだから。
剣を構えた男にはその気はないだろうが。だが、怖くはない。ただ、強いだけの人間をおそれるほど、年期は短くない。
「……ふん」
男は力を抜き構えを解いて、すっと下がった。存在を希薄な存在が、それこそ薄い布がただ揺れるように。
自然すぎる動きで反応の遅れる、フェイの追撃は煙を切るように手応えがない。相手はもう三歩分は下がっていた。ヤクシャは昆虫のような素早さで間に入り込み、フェイをとどめる。
「どけっ!」
ヤクシャがフェイの動きをとどめたのは十秒に満たない。枯れ枝のような体はものの数秒でフェイの剣が閃き、横薙ぎにヤクシャを切り裂いた。それだけで、青いローブの男には十分だった。断ち切られたヤクシャごしにフェイの顔をじっとにらみつけながら、かかとで三回大地を蹴った。
「覚えておけ、狼の末裔よ。おまえも狙われるだろう」
それはフェイだけに聞こえる程度の小さな声だった。あたりが揺れ、墓石やら錆びた剣やらが倒れる。その中で青いローブの男は無理矢理笑った。
「なっ」
揺れを本能的に警戒したフェイは質問を返すべきか、踏み込むべきか一瞬悩んだ。その一瞬に大地が引き裂かれ、壁のような何かがいくつかせり出して、男をドーム状に包んだ。小屋ほどある壁の下には土色の分厚い皮が土台になっている。それには妙に丸っこい黒目がついていて、くりくりとフェイを見つめた。
「ロック・ウォーム!」
フェイにも今回ばかりはレベッカの声が、妙に耳障りだった。わざわざ、土の軟らかい所を選んだのはこの大長虫を地面に潜ませておくためだったらしい。壁のように見えたのは岩盤を削るための鈍く固い歯だ。ただの剣で切りたければ竜殺しでもよばなければならない。
ずずっと這いずる音が墓地に響き、ロックウォームの先端は地中へと消えていた。軟らかい土が穴をすぐにふさいでしまった。
「なぜ、あいつが?」
フェイは考え込むように下を見つめた。断ち切られた木の棒と盛り上がった地面だけが目に写った。
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コズンは少女の呼吸を確認した。一目見ただけで青白い顔へ、耳を近づけるとかすかに息はある。だが、胸からがかなりの量の血が滴っていて、コズンは冬でも来たように震えた。服は白を基調としている珍しい旅装束で、胸の赤が恐ろしいほど映えていた。
「けっ、人工呼吸はなしか。じゃあ、せいぜいいいもんみせてくれよ」
偽悪や粗野な振る舞いで内心をごまかすのはコズンの生まれてからの性分だった。しか、ごまかしきれるものでもなかった。棘の上を歩くような気持ちで下卑た笑いを浮かべながら、怪我の様子を見る。服が多少薄汚れているぐらいで、胸以外、異常はないようにみえた。服の上から触れる血が妙に暖かくって、コズンの寒気は止まらないのだった。腹から出すとき、粗相でもしたのか。それともあの修行者気取りは殺してから連れて行くつもりだったのか。
「勘弁してください、死神様。慈悲を」
不安を掻き立てるように、あたりが揺れた。墓石が倒れ、背中の方においておいた槍を刃ごとばらばらにした。
情けない面で、胸をはだけ傷を確認すると、丁度胸の中心に妙な刻印があった。血はそこから定期的ににじんでいるだけのようだ。刻印はオオカミ避けの刻印に魔法陣を混ぜたような形をしていた。傷といえば傷だが、この手のきちんと彫り込みには時間がかかる。たぶん騒ぎ途中に彫り込みが終わったのだろう。それにこんな刺青で死にはしない。血の量はおかしいような気もしたが、だからといってこれ以外傷という傷もない。
「慈悲を、感謝します」
ため息のように祈りの言葉を漏らす。そして、娘をひとにらみして、男ならぶん殴ってやるとこなのに、と呟いた。
むすっとしながら、簡単に血止めの草を貼り付けて布で固定してやる。慣れた様子で、ささっとすませ、服を戻す。
「コズン、あっちは終わったわ」
レベッカがそわそわとした様子で、言った。
「あの青いローブは?」
「逃げられたよ、頭が小屋ぐらいある大長虫なんて伏せていたの。もっとも逃亡用の切り札みたいだったけど」
コズンはちらりとフェイを見た。疲れたように、下を見ているフェイの背中はなんだか張り合いがなかった。
「役にたたねぇ奴」
淡々とした様子のコズンは言葉を考えて、口を開いた。
「奴には、気にするな、って言っといてくれ」
レベッカは澄ました様子でコズンをよく見た。やっとこの馬鹿も、本調子を取り戻したようだった。
「ご自分でどうぞ」
「なら、訂正だ。このトンマ、ってな」
にやっとしたレベッカは肩を大仰にすくめた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
宿にもどった四人は、少女を宿の2階にある個室に寝かせた。彼女と共に旅をしていたらしい女性も気を失っていたらしく、同じ部屋に運び込まれていた。雑魚寝の大部屋ではなく、個室を貸してくれたのは宿の主人達に礼をいうべきかもしれない。込み入った話はこういうところの方がいい。それに、コズンでもオークやトロルと雑魚寝はごめんだった。いつ、腕や指が奴らのおやつになるか分かったものではない。
コズンはそんなことを考えながら、手慣れた様子で水桶から取り出した布を絞り、女性の頭にのせてやった。
そしてまったく動かず、虚空を見つめるフェイに向かって口を開く。
「フェイ、ぼーっとしてんだったら、主人に発破かけて来てくれ、女手と厚い湯、身体を拭く清潔な布を。間違っても雑巾みたいな奴じゃダメだ。女の柔肌にヤスリはかけたくないだろう」
フェイは内容をあまり吟味せず、頷くと下の階へおりていった。
「あーいう、いらつき方する奴はなぁ、めんどくせぇ」
レベッカは首を振った。
「違うんじゃない? 確かにあんたみたいに仕事の失敗をものに当たったり、人を殴ったりするタイプじゃないけど」
「だったらなんだ、この嬢ちゃんに惚れちまったのか」
引きつりながら言った冗談は我ながら駄作だった。やはり、付け焼き刃ではだめだ。
「あんた、似合わないから、その手のこというのやめなさい。不自然。何あんたこそ焦っているの?」
「っせぇ。で、なんだ。フェイの野郎は」
「あの青いローブの男に何か言われたんじゃない? それで考え込んでるんだわ」
むぅ、と唸るコズン。やはりあの仙人然した男の方が一枚二枚上手で何か揺さぶりがあったのだろうか。
娘の呼吸がまた荒くなった。話しは打ち切りとばかり二人は彼女へと寄っていく。
「こいつは、喘息か何かか? それにしちゃ、おかしい」
呼吸を楽にするため、胸をはだけさせ、血止めの葉を剥がすついでに、この娘の刻印をもう一度見た。
刻印からは相変わらず血がにじみ、血止めの葉はまったく効果がないようだった。呪いかなにかなのかもしれない。
どたどたという音共に後ろのドアが開き、恰幅のいい、桶を抱えた中年女と熱湯の入った瓶を持たされたフェイだった。
「ほら、とっとと出て行きな、女の子はデリケートなんだ」
コズンとレベッカは顔を見合わせた。聞き覚えのある声だった。
「コズンじゃないか、あんた、いつまでフラフラしてんだい」
「リズ、後で聞かせてくれ。それより頼んだぜ。飛び大口の腹んなかにさっきまでいたんだ、よく拭いてやってくれ」
フェイから桶を取りあげて、リズは神妙に頷いた。
「行くぞ、フェイ」
コズンがとっと下がろうとした時、引き留める高い声がした。
「待ってください、オオカミの末裔」
フェイは無言で振り返った。こう呼ばれるのは今日で2回目だった。
少女は上体を起こし、胸の間の刻印をこちらに向けている。フェイが彼女に近づくとそこからじわじわと血が広がった。
「あとにしな!」
リズは体重に比した声量で二人の間に入った。
「あんたは体調を整えるのが先、あんたはその陰気な顔を洗ってくるのが先!」
顎でコズンに指示してから、リズは少女を無理矢理寝かしつけた。コズンはさっさと下の階へ降りる。フェイはまだ納得いかなそうな顔だったが、リズが湯を張り始めるとさすがに立ち去るしかなかった。
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