PC:ピエール
場所:シカラグァ闘技場
NPC:ライアン
--------------------------------------------------------------------------------
女王御前試合は順調にすすみ、いよいよ準々決勝というところまでやってきた。このレベルになってくると、そろそろ音に聞く騎士の名前も増えてきて、独特のスタイルで戦う者や、普通の騎士の戦闘法で戦う者でも明らかに高い技量が窺えたりと、見るものを退屈させない高レベルな試合が続く。言い換えると、前半の試合に比べて参加者の消耗の度合いが加速度的に増えてきていた。
さらに言うならば、試合を見学する女王のために一度だけしばらく休憩が取られたし自分以外の者が戦っている間は休憩ができるのだが、人数が減ってくると当然そのペースは上がる事になる。最終的には、技量があるだけではなく、体力も持つ者が勝つような仕組みになっているのだ。
「東、"戦乙女の投げ槍"所属、ピエール・ド・カッパーダボード!」
魔術で拡大された声に促されて、ピエールは闘技場の真ん中へと歩を進めた。準々決勝――すなわち上位四位を決める戦いからは、このように出場者の名前が紹介される。この四名の中に入るだけでもそれなりに名誉な事なのだ。
「西、"ミュルグレス"所属、ライアン・ガラモンド!」
現れたのは、独特の甲冑に身を包んだ男だ。やはり馬にはのっておらず、徒歩での入場だ。腰には独特の反りが特徴的な剣である刀を佩き、一般的な騎士が着る鎧とは違った趣の甲冑を身につけている。彼を見て、彼の事を一言で表せと言われたら、10人中10人がこう答えるだろう。『侍』と。
"ミュルグレス"というのは騎士団の名前ではない。金で雇われた傭兵達が集う、傭兵団の名前なのだ。騎士団では基本的に各人の装備を統一し、統制が取れた編成を目指すが、傭兵団では装備などは各自が自分で用意したものを使い、その戦術、戦法にもかなりの自由度を与えられている。当然、ライアンのように異国の装備を使う者が多数所属しているのが傭兵団なのだ。
女王御前試合はある程度以上の実力があれば騎士団所属でなくとも出場する事はできるとはいえ、こうして傭兵団の者が出てくる事は珍しい。というのも、傭兵団というのは言い変えるとならずものの集団という見方があり、あながちこれは的外れでもないという実情があるからなのだ。プライドの高い騎士達はそのような傭兵団が台頭する事をよしとはせず、必然的にその出場を取り潰すように全力で働きかけてきた。それがライアンに限って出場できているのは、彼がこの少し前の戦――と言っても辺境の小競り合いだが――で武勲を立てたからである。
そういう背景事情があった所為かどうかはわからないが、この日ライアンは目覚しい働きを以って己が実力を証明してみせた。彼が残した一歩は、そのうちに数多くの騎士団を廃団へと導く破滅の一歩となるのだが、その事を知るものはまだこの場にはいない。
「はじめ!」
開始の合図と共に、ダンっと音と立てて地面を蹴る。そのまま猛然と踏み込み、ライアンの胸部に目掛けて突きを放った。ギャリっという鎧を掠める手ごたえ。ライアンは、右肩を落として槍を背中の方に逸らし躱すという道を選んだのだ。そしてそのまま腰に佩いた刀の柄を握り、斬撃。
「撥っ!」
裂帛の気合と共に打ち出された鞘走りを利用しての斬撃は、ただ振り下ろすだけの攻撃とは比較にならない速度と攻撃力を持つ。さらにその一撃は、鎧の関節部分を狙うだけの正確ささえも併せ持っていた。
「むぅっ」
槍をかわされ、懐からの攻撃を防ぐ手立てはない。とっさに体を引きはしたものの、鎧の表面に浅く刀傷が刻み込まれてしまった。下手をしたら今の一撃で決着がついていた……背筋に冷たいものが走るのを感じながら、ピエールは次の手を考えた。相手は刀を抜いたまま、再び鞘に収める様子はない。それどころか、右足を引き、左手を前に突き出して体勢を低く構えた。
「いかんっ!」
ピエールが慌てて進行方向を横に変えるべく地面を蹴るのと、ライアンが満を持して突きを繰り出すのはほぼ同時だった。
耳障りな音を立てて鎧に新たな傷が刻み込まれる。なんとか避ける事に成功したピエールが、今度はお返しと言わんばかりに無防備な背中に向かって左肩を打ち付けた。いや、打ちつけようとした。
そうはさせんと踏み出した右足をそのまま支点にして体を半回転させ、ピエールの方に向き直るライアン。その動きに無駄はなく、同時に鞘が左手によって腰から抜き出されていた。回転の勢いを借りて、鞘をピエールの側頭部に叩きつける。兜に当たった鉄鞘はクワ~ンという小気味いい音を立てた。
傍から聴く分には小気味いいで済む音も、それを音が中で響く兜の、しかも耳元にやられたピエールは溜まったものではない。頭がくらくらするのをなんとか我慢して、ピエールは前蹴りを繰り出した。バックステップで回避するライアン。すかさずピエールも後ろに下がり、体勢をなんとか立て直す。
一瞬、闘技場が静けさで満たされた。まるで嵐の前の晩のように。
今度は、二人ともが前にでた為一瞬で間合いが詰まった。一合目と同じ、ピエールの突き。相対速度が付いているため躱すのは無理だと判断したのか、ライアンの刀が弧を描き槍を迎撃する。すかさず槍を引き戻し、再び突くピエール。先ほどの零距離での肉弾戦からうってかわって、今度は中距離での武器戦闘になった。最短距離を最速で動くピエールの槍に対して、ライアンの刀は無駄の多い弧を描いて迎撃に向かう。それだというのに、槍の一撃がライアンの鎧に届く事はなかった。それどころか、じりじりと前に進みピエールを刀の間合いに捕らえんとしてさえいる。だから状況はライアンに有利かと言えば、そうでもない。理由は、突きの合間に時々混ざる薙ぎ攻撃があるせいだ。
これは通常の槍において特に言われることだが、槍のもっとも恐ろしい攻撃の一つは実は薙ぎ払う攻撃なのだ。刃こそついていないものの、いやむしろ刃なんてついていないからこそ、この攻撃は恐ろしい。というのも、点攻撃である突きに対して、払いは面攻撃なのである。迂闊に受ければ打撃によるダメージは鎧を素通しして体に響き、さらにはどうしても体勢が崩れてしまう。かといって避けようにも逃げ道は後ろか上くらいにしかない。そして、後ろに逃げた場合はどうしても相手との距離が開き間合いが広い槍の独壇場になるし、上に跳べば着地の隙や、身動きができない滞空中を狙われる羽目になる。
ピエールの槍は持ち手の部分を併せても長さが精々150cm程と、槍と言うにはかなり短い部類に入る。下手をすれば両手剣にも長さで劣る事がありうる。それでも、ピエールの人並み外れた膂力で振り回される槍には十分な威力があったし、自分に有利な間合いを維持するという意味に於いて薙ぎ攻撃は有効だった。
突き詰めて言えば、この戦いはいかにライアンが自分の間合いに入るか。もしくは、いかにピエールが自分の間合いで相手を倒すか、そこに集約される。こういうといかにも退屈なように思えるが、今までが騎兵同士の文字通りぶつかり合いだけだっただけに、このお互いの技術の全てを駆使した戦いは多いに観客を沸かせた。お互いに決め手を欠いたまま、接戦が続く。
「……見切った!」
もう何度目になるか分からない牽制の薙ぎ攻撃。ライアンはくわっと目を見開き、半歩下がり、紙一重で躱す。槍の間合いを完全に把握したのだ。
「む、しまった!」
慌てた時にはもう遅い。ピエールの体が開き、出来た隙を逃さずにライアンが踏み込む。次の瞬間には梃子の原理で兜が飛ばされ、首筋に刀が突きつけられていた。
「俺の、勝ちだ」
「どうやらそのようだの……」
勝ちを宣告するライアンに、それを受け入れるピエール。今までで観客を一番魅入らせた試合は、こうして幕を下ろした。
★☆◆◇†☆★◇◆
「わしもまだまだ修行が足りんわい……」
ぼやきながら、ピエールは一人道を歩いていた。負けたとはいえ力の限りを尽くした戦いの末の結末なので、ピエールの心に影を落とす雲はない。同じように晴れ渡った空を見上げて、思いっきり深呼吸をした。息と共に最後に残った無念も吐き出す。後は、橙の氏族領にある自分の"家"に帰るだけだ。そして、ピエールは足取りも軽く――ガシャガシャと鎧を鳴らしながら――帰途についた。いや、つこうとした。
「失礼ですが、"戦乙女の投げ槍"のピエール郷ですか?」
「いかにも、わしがピエールだが?」
声を掛けてきたのは、見ればまだ年端のいかない少女だった。緑色の服に何故か白いエプロンのようなものを付けている。
「実は、先ほどの御前試合を見た私の主から、貴方様にお願いがありまして」
少女は淡々と話を進めて行く。その様子は年齢よりもかなり大人びていて、こういう仕事に熟練している事を実感させた。
「ある方の護衛に是非付いていただきたいのです」
「ほう?」
鎧がガシャリ、と重い音を立てた。気にする風もなく少女は話を続ける。
「そのある方というのは――私の主の婚約者なのですが。今度、お忍びでしばらく旅に出る事になったんです。お忍びなので護衛を沢山連れて行くというわけにもいきませんが、主としては心配なので腕の立つ者一人くらいをつけたいと」
「なるほど、それでわしに白羽の矢が立ったわけですか」
腕の立つ、と言われて悪い気がする武人などそうはいない。ついさっき負けたばかりだとは言え、自分とまともに打ち合えるものはそう多くはないという自負は多少なりとも持っているピエールであった。
「そうなんです。お引き受け願えないでしょうか?」
身長が高いとはお世辞にもいえないピエールだが、少女の身長はさらに10cmほど低かった。自然と上目遣いで見上げるような格好になる。
「いいですぞ――と言いたい所なのですが。わしも騎士団に所属する身でしてな。旅というからにはそれなりに纏まった期間が必要になるであろうし。団長の許可を得ないとお答えしかねますな」
「それはもちろんです。団長様の許可はすでにおりていますから、後は貴方様の御意思次第です」
なんでもない事のように、根回しは既に済んでいると少女は口にした。長距離をリアルタイムで交信する事は不可能ではないが、それをやる為には魔術師ギルドにある程度のコネが必要になる。それを持つといえば、魔術師ギルドの関係者か、あるいは魔術師ギルドが恩を売りたいと考える一部の人間――例えば王族のような。
「そういう事ならば、お引き受けしましょう。ところで、護衛するのはどなたですかな?」
「レオンハルト・クラウゼヴィッツ様です。後、厚かましいようで申し訳ないのですが」
言われた名前は、正直に言ってピエールには聞き覚えのない名前だった。少なくとも橙の氏族領の人間ではないのだろう。ほんの少しだけ、何故自分に?という思いが鎌首をもたげる。だが、それもすぐに新しい疑問に流されていった。
「……何かあるのですかな?」
「できれば、私の主のお願いでというのをレオンハルト様には内緒にしていただきたいのです。婚約者にそういう風に心配されているとなると自尊心に傷がついてしまうかもしれませんので」
その"理由"は、ピエールの些細な疑問を押し流すには充分だった。なんという思いやり、なんという心遣い。深く感動すると共に、この優しい心だけはけして無にしまいと堅く心に誓った。
「なるほど、了解しました。しかしレオンハルト殿はいい婚約者をお持ちのようですな。このピエール・ド・カッパーダボード、持てる力の全てを以って必ずや任務を果たしてみせますのでご安心くださいとお伝えくだされ」
「ありがとうございます。それでは、これをどうぞ」
そういって少女がピエールに渡したのは、折りたたまれた小さな紙片だった。広げてみると、大雑把な宮殿の図にところどころ線が引いてある。
「これは?」
「レオンハルト様の脱出経路でございます。なにしろ、お忍びですので」
それにしても、その図面に記されていた経路はあまりにも不自然だったのだが――少女の主とやらの心遣いに感動しているピエールはそんな事にはまったく気づかず、紙片を懐に仕舞いこむ。
「なるほど、確かに預かりましたぞ。それでは」
「よろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げると、少女はスっとその場を後にした。まったく無駄がないその動きは、思わず少女が消えたものとピエールに錯覚させた。
「さてと、旅の支度をしなくてはな」
そして、ピエールは改めて自分が泊まる宿を目指して道を歩き始めた。
★☆◆◇†☆★◇◆
「お嬢様、ピエール郷から快諾をいただきました」
夕暮れ時。自らの主の下へ戻った少女は与えられた仕事の首尾を報告していた。
「そう、ご苦労様」
主は窓の外を見ながらではあるが、少女をねぎらう。しかし、その声音には当然だという響きが混じっていた。
「いいのですか?」
「それは、護衛をつける事?――それとも、婚約者と嘘をついた事かしら?」
「……両方です」
ピエールを相手に話を進める時は一分の隙も見せなかった少女だが、今ではとても同一人物とは思えないほどに揺らいでいる。
「いいのよ」
だが、忠臣の不安ぶりに対して、主の返事はあまりにもそっけなく、そして自信に満ちていた。体をゆっくりと回し、外に向いていた視線を少女の方へと向ける。その振り返った顔を照らし出す暁色の光のなんと鮮やかな事か。まるで美しい絵画を見ているような気持ちになり、少女は思わず言葉を失った。
「……いいのよ」
もう一度、目を合わせて断言する。それでなんとか落ち着きを取り戻した少女は、再び口を開く。
「ピエール郷ならば余計な事に気を回す心配もない、ですか」
部屋の片隅にある机の上には、今回の女王御前試合に参加する騎士や傭兵の名前がリストアップされたものが置いてある。そして、そこにはちょこちょこと備考が書き足されてある。その中の、ピエールの項目にはただ一言。『手駒にするのにちょうどよい』とだけ書いてある。
「ええ、そうよ。彼ならば余計な事を聞いたり考えたりしないでしょうし、腕もそれなりに立つしね」
侍女の言葉にクスっと笑う。その仕草は歳相応の少女のものだが、だからこそ空恐ろしいものに感じられた。外見からは想像もつかないが、その中ではとても少女とは思えない深慮遠謀が働いているのだから。
「ああ、あの人が私に傅く日がくるのが楽しみだわ――」
日が沈み、暗くなっていく部屋の中で、少女は限りなく純粋にそしてどこまでも妖艶に微笑んで見せた。
場所:シカラグァ闘技場
NPC:ライアン
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女王御前試合は順調にすすみ、いよいよ準々決勝というところまでやってきた。このレベルになってくると、そろそろ音に聞く騎士の名前も増えてきて、独特のスタイルで戦う者や、普通の騎士の戦闘法で戦う者でも明らかに高い技量が窺えたりと、見るものを退屈させない高レベルな試合が続く。言い換えると、前半の試合に比べて参加者の消耗の度合いが加速度的に増えてきていた。
さらに言うならば、試合を見学する女王のために一度だけしばらく休憩が取られたし自分以外の者が戦っている間は休憩ができるのだが、人数が減ってくると当然そのペースは上がる事になる。最終的には、技量があるだけではなく、体力も持つ者が勝つような仕組みになっているのだ。
「東、"戦乙女の投げ槍"所属、ピエール・ド・カッパーダボード!」
魔術で拡大された声に促されて、ピエールは闘技場の真ん中へと歩を進めた。準々決勝――すなわち上位四位を決める戦いからは、このように出場者の名前が紹介される。この四名の中に入るだけでもそれなりに名誉な事なのだ。
「西、"ミュルグレス"所属、ライアン・ガラモンド!」
現れたのは、独特の甲冑に身を包んだ男だ。やはり馬にはのっておらず、徒歩での入場だ。腰には独特の反りが特徴的な剣である刀を佩き、一般的な騎士が着る鎧とは違った趣の甲冑を身につけている。彼を見て、彼の事を一言で表せと言われたら、10人中10人がこう答えるだろう。『侍』と。
"ミュルグレス"というのは騎士団の名前ではない。金で雇われた傭兵達が集う、傭兵団の名前なのだ。騎士団では基本的に各人の装備を統一し、統制が取れた編成を目指すが、傭兵団では装備などは各自が自分で用意したものを使い、その戦術、戦法にもかなりの自由度を与えられている。当然、ライアンのように異国の装備を使う者が多数所属しているのが傭兵団なのだ。
女王御前試合はある程度以上の実力があれば騎士団所属でなくとも出場する事はできるとはいえ、こうして傭兵団の者が出てくる事は珍しい。というのも、傭兵団というのは言い変えるとならずものの集団という見方があり、あながちこれは的外れでもないという実情があるからなのだ。プライドの高い騎士達はそのような傭兵団が台頭する事をよしとはせず、必然的にその出場を取り潰すように全力で働きかけてきた。それがライアンに限って出場できているのは、彼がこの少し前の戦――と言っても辺境の小競り合いだが――で武勲を立てたからである。
そういう背景事情があった所為かどうかはわからないが、この日ライアンは目覚しい働きを以って己が実力を証明してみせた。彼が残した一歩は、そのうちに数多くの騎士団を廃団へと導く破滅の一歩となるのだが、その事を知るものはまだこの場にはいない。
「はじめ!」
開始の合図と共に、ダンっと音と立てて地面を蹴る。そのまま猛然と踏み込み、ライアンの胸部に目掛けて突きを放った。ギャリっという鎧を掠める手ごたえ。ライアンは、右肩を落として槍を背中の方に逸らし躱すという道を選んだのだ。そしてそのまま腰に佩いた刀の柄を握り、斬撃。
「撥っ!」
裂帛の気合と共に打ち出された鞘走りを利用しての斬撃は、ただ振り下ろすだけの攻撃とは比較にならない速度と攻撃力を持つ。さらにその一撃は、鎧の関節部分を狙うだけの正確ささえも併せ持っていた。
「むぅっ」
槍をかわされ、懐からの攻撃を防ぐ手立てはない。とっさに体を引きはしたものの、鎧の表面に浅く刀傷が刻み込まれてしまった。下手をしたら今の一撃で決着がついていた……背筋に冷たいものが走るのを感じながら、ピエールは次の手を考えた。相手は刀を抜いたまま、再び鞘に収める様子はない。それどころか、右足を引き、左手を前に突き出して体勢を低く構えた。
「いかんっ!」
ピエールが慌てて進行方向を横に変えるべく地面を蹴るのと、ライアンが満を持して突きを繰り出すのはほぼ同時だった。
耳障りな音を立てて鎧に新たな傷が刻み込まれる。なんとか避ける事に成功したピエールが、今度はお返しと言わんばかりに無防備な背中に向かって左肩を打ち付けた。いや、打ちつけようとした。
そうはさせんと踏み出した右足をそのまま支点にして体を半回転させ、ピエールの方に向き直るライアン。その動きに無駄はなく、同時に鞘が左手によって腰から抜き出されていた。回転の勢いを借りて、鞘をピエールの側頭部に叩きつける。兜に当たった鉄鞘はクワ~ンという小気味いい音を立てた。
傍から聴く分には小気味いいで済む音も、それを音が中で響く兜の、しかも耳元にやられたピエールは溜まったものではない。頭がくらくらするのをなんとか我慢して、ピエールは前蹴りを繰り出した。バックステップで回避するライアン。すかさずピエールも後ろに下がり、体勢をなんとか立て直す。
一瞬、闘技場が静けさで満たされた。まるで嵐の前の晩のように。
今度は、二人ともが前にでた為一瞬で間合いが詰まった。一合目と同じ、ピエールの突き。相対速度が付いているため躱すのは無理だと判断したのか、ライアンの刀が弧を描き槍を迎撃する。すかさず槍を引き戻し、再び突くピエール。先ほどの零距離での肉弾戦からうってかわって、今度は中距離での武器戦闘になった。最短距離を最速で動くピエールの槍に対して、ライアンの刀は無駄の多い弧を描いて迎撃に向かう。それだというのに、槍の一撃がライアンの鎧に届く事はなかった。それどころか、じりじりと前に進みピエールを刀の間合いに捕らえんとしてさえいる。だから状況はライアンに有利かと言えば、そうでもない。理由は、突きの合間に時々混ざる薙ぎ攻撃があるせいだ。
これは通常の槍において特に言われることだが、槍のもっとも恐ろしい攻撃の一つは実は薙ぎ払う攻撃なのだ。刃こそついていないものの、いやむしろ刃なんてついていないからこそ、この攻撃は恐ろしい。というのも、点攻撃である突きに対して、払いは面攻撃なのである。迂闊に受ければ打撃によるダメージは鎧を素通しして体に響き、さらにはどうしても体勢が崩れてしまう。かといって避けようにも逃げ道は後ろか上くらいにしかない。そして、後ろに逃げた場合はどうしても相手との距離が開き間合いが広い槍の独壇場になるし、上に跳べば着地の隙や、身動きができない滞空中を狙われる羽目になる。
ピエールの槍は持ち手の部分を併せても長さが精々150cm程と、槍と言うにはかなり短い部類に入る。下手をすれば両手剣にも長さで劣る事がありうる。それでも、ピエールの人並み外れた膂力で振り回される槍には十分な威力があったし、自分に有利な間合いを維持するという意味に於いて薙ぎ攻撃は有効だった。
突き詰めて言えば、この戦いはいかにライアンが自分の間合いに入るか。もしくは、いかにピエールが自分の間合いで相手を倒すか、そこに集約される。こういうといかにも退屈なように思えるが、今までが騎兵同士の文字通りぶつかり合いだけだっただけに、このお互いの技術の全てを駆使した戦いは多いに観客を沸かせた。お互いに決め手を欠いたまま、接戦が続く。
「……見切った!」
もう何度目になるか分からない牽制の薙ぎ攻撃。ライアンはくわっと目を見開き、半歩下がり、紙一重で躱す。槍の間合いを完全に把握したのだ。
「む、しまった!」
慌てた時にはもう遅い。ピエールの体が開き、出来た隙を逃さずにライアンが踏み込む。次の瞬間には梃子の原理で兜が飛ばされ、首筋に刀が突きつけられていた。
「俺の、勝ちだ」
「どうやらそのようだの……」
勝ちを宣告するライアンに、それを受け入れるピエール。今までで観客を一番魅入らせた試合は、こうして幕を下ろした。
★☆◆◇†☆★◇◆
「わしもまだまだ修行が足りんわい……」
ぼやきながら、ピエールは一人道を歩いていた。負けたとはいえ力の限りを尽くした戦いの末の結末なので、ピエールの心に影を落とす雲はない。同じように晴れ渡った空を見上げて、思いっきり深呼吸をした。息と共に最後に残った無念も吐き出す。後は、橙の氏族領にある自分の"家"に帰るだけだ。そして、ピエールは足取りも軽く――ガシャガシャと鎧を鳴らしながら――帰途についた。いや、つこうとした。
「失礼ですが、"戦乙女の投げ槍"のピエール郷ですか?」
「いかにも、わしがピエールだが?」
声を掛けてきたのは、見ればまだ年端のいかない少女だった。緑色の服に何故か白いエプロンのようなものを付けている。
「実は、先ほどの御前試合を見た私の主から、貴方様にお願いがありまして」
少女は淡々と話を進めて行く。その様子は年齢よりもかなり大人びていて、こういう仕事に熟練している事を実感させた。
「ある方の護衛に是非付いていただきたいのです」
「ほう?」
鎧がガシャリ、と重い音を立てた。気にする風もなく少女は話を続ける。
「そのある方というのは――私の主の婚約者なのですが。今度、お忍びでしばらく旅に出る事になったんです。お忍びなので護衛を沢山連れて行くというわけにもいきませんが、主としては心配なので腕の立つ者一人くらいをつけたいと」
「なるほど、それでわしに白羽の矢が立ったわけですか」
腕の立つ、と言われて悪い気がする武人などそうはいない。ついさっき負けたばかりだとは言え、自分とまともに打ち合えるものはそう多くはないという自負は多少なりとも持っているピエールであった。
「そうなんです。お引き受け願えないでしょうか?」
身長が高いとはお世辞にもいえないピエールだが、少女の身長はさらに10cmほど低かった。自然と上目遣いで見上げるような格好になる。
「いいですぞ――と言いたい所なのですが。わしも騎士団に所属する身でしてな。旅というからにはそれなりに纏まった期間が必要になるであろうし。団長の許可を得ないとお答えしかねますな」
「それはもちろんです。団長様の許可はすでにおりていますから、後は貴方様の御意思次第です」
なんでもない事のように、根回しは既に済んでいると少女は口にした。長距離をリアルタイムで交信する事は不可能ではないが、それをやる為には魔術師ギルドにある程度のコネが必要になる。それを持つといえば、魔術師ギルドの関係者か、あるいは魔術師ギルドが恩を売りたいと考える一部の人間――例えば王族のような。
「そういう事ならば、お引き受けしましょう。ところで、護衛するのはどなたですかな?」
「レオンハルト・クラウゼヴィッツ様です。後、厚かましいようで申し訳ないのですが」
言われた名前は、正直に言ってピエールには聞き覚えのない名前だった。少なくとも橙の氏族領の人間ではないのだろう。ほんの少しだけ、何故自分に?という思いが鎌首をもたげる。だが、それもすぐに新しい疑問に流されていった。
「……何かあるのですかな?」
「できれば、私の主のお願いでというのをレオンハルト様には内緒にしていただきたいのです。婚約者にそういう風に心配されているとなると自尊心に傷がついてしまうかもしれませんので」
その"理由"は、ピエールの些細な疑問を押し流すには充分だった。なんという思いやり、なんという心遣い。深く感動すると共に、この優しい心だけはけして無にしまいと堅く心に誓った。
「なるほど、了解しました。しかしレオンハルト殿はいい婚約者をお持ちのようですな。このピエール・ド・カッパーダボード、持てる力の全てを以って必ずや任務を果たしてみせますのでご安心くださいとお伝えくだされ」
「ありがとうございます。それでは、これをどうぞ」
そういって少女がピエールに渡したのは、折りたたまれた小さな紙片だった。広げてみると、大雑把な宮殿の図にところどころ線が引いてある。
「これは?」
「レオンハルト様の脱出経路でございます。なにしろ、お忍びですので」
それにしても、その図面に記されていた経路はあまりにも不自然だったのだが――少女の主とやらの心遣いに感動しているピエールはそんな事にはまったく気づかず、紙片を懐に仕舞いこむ。
「なるほど、確かに預かりましたぞ。それでは」
「よろしくお願いいたします」
丁寧に頭を下げると、少女はスっとその場を後にした。まったく無駄がないその動きは、思わず少女が消えたものとピエールに錯覚させた。
「さてと、旅の支度をしなくてはな」
そして、ピエールは改めて自分が泊まる宿を目指して道を歩き始めた。
★☆◆◇†☆★◇◆
「お嬢様、ピエール郷から快諾をいただきました」
夕暮れ時。自らの主の下へ戻った少女は与えられた仕事の首尾を報告していた。
「そう、ご苦労様」
主は窓の外を見ながらではあるが、少女をねぎらう。しかし、その声音には当然だという響きが混じっていた。
「いいのですか?」
「それは、護衛をつける事?――それとも、婚約者と嘘をついた事かしら?」
「……両方です」
ピエールを相手に話を進める時は一分の隙も見せなかった少女だが、今ではとても同一人物とは思えないほどに揺らいでいる。
「いいのよ」
だが、忠臣の不安ぶりに対して、主の返事はあまりにもそっけなく、そして自信に満ちていた。体をゆっくりと回し、外に向いていた視線を少女の方へと向ける。その振り返った顔を照らし出す暁色の光のなんと鮮やかな事か。まるで美しい絵画を見ているような気持ちになり、少女は思わず言葉を失った。
「……いいのよ」
もう一度、目を合わせて断言する。それでなんとか落ち着きを取り戻した少女は、再び口を開く。
「ピエール郷ならば余計な事に気を回す心配もない、ですか」
部屋の片隅にある机の上には、今回の女王御前試合に参加する騎士や傭兵の名前がリストアップされたものが置いてある。そして、そこにはちょこちょこと備考が書き足されてある。その中の、ピエールの項目にはただ一言。『手駒にするのにちょうどよい』とだけ書いてある。
「ええ、そうよ。彼ならば余計な事を聞いたり考えたりしないでしょうし、腕もそれなりに立つしね」
侍女の言葉にクスっと笑う。その仕草は歳相応の少女のものだが、だからこそ空恐ろしいものに感じられた。外見からは想像もつかないが、その中ではとても少女とは思えない深慮遠謀が働いているのだから。
「ああ、あの人が私に傅く日がくるのが楽しみだわ――」
日が沈み、暗くなっていく部屋の中で、少女は限りなく純粋にそしてどこまでも妖艶に微笑んで見せた。
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