PC:スーシャ ロンシュタット
NPC:バルデラス、団長
場所:セーラムの街
いつ朝になったのか、分からないくらい空は重く、どんよりと曇っている。
雨は一晩過ぎたら小雨になり、風の勢いも弱まりつつある。この分なら、昼前に雨は上がり、夕方頃には天候も回復するだろう。
そんな沈んだ空気のせいか、この日の朝、早く起きた者は少なかった。
怪我から腹痛、風邪や出産に至るまで、およそあらゆる治療を手がけている医者の一家も、今日の起床に限っては遅かった。
いつもは家の誰よりも早起きし、暖かいスープとパンの朝食を用意する妻が、だるそうに寝返りを打ちつつまだ寝息を立てている。
医者は扉をノックする音で目が覚め、妻を見るが、まるで目覚ましになっていない。
寝癖のついた頭で出て行っては、相手が患者であった場合、いくら朝早いとは言え、威厳は失墜してしまうだろう。
ベッドから起き出し、ガウンを羽織って簡単な身なりを整える準備の時間だけでも応対してくれればいいのだが、無理に起こすと酷く機嫌が悪くなるのを、この数年の結婚生活でイヤというほど学んだ彼は、諦めて自分で玄関まで行くことに決めた。
スリッパを履いて、(本人は)急いで向かう。
「はい、どなたですか?」
扉を開けながら訊くが、返答は無い。
それどころか、玄関前には誰もいなかった。
彼は首を出し、通りへと続く前庭を見回してみるが、どこにも自分を訪ねて来た者の姿は無い。
風の悪戯だろうか?
そんな事を考えながら、外気に当たって冷えた体を温めようと寝室へ戻る途中、正にその寝室から誰かが出て来た。
医者をやっている以上、この街のほとんどの人を知っている。
あれは仕立て屋の親子じゃないか。
そんな事をぼんやり思い出している脳の裏では、少しずつ覚醒しだしたもうひとりの自分が、疑問を投げかけた。
いつ、どこから入って来たんだ?
だがそんな思考はすぐに消えてしまい、自分にふらふらと近寄ってくる姿を見て、怪我でもしているのかと思った。
寝室のドアがゆっくり開いた。
ノブを掴んでいる人の体重でもかかっているのか、軋んだ音を立てている。
廊下へ出てきたのは、仕立て屋の女将だ。
彼女は顔の下半分を真っ赤な血で染めている。
どんな大怪我をしたというんだ。
と、ちらりと思ったとき、ドアの隙間からまだベッドで寝ている妻の腕が見えた。
だが、それは先程までとは少し違う。布団か着ている服でもほつれたのか、赤い糸が肘から指に伝わり、それが床に垂れている。
先に妻を起こして治療を手伝ってもらうか、この怪我をしているらしい家族を診察室へ連れて行くか考えた所で、彼は父親に掴れた。
ドアのノックで飛び上がり、スーシャは慌ててノブを回した。
扉の向こうにいたのは、昨日から泊めてもらっている宿屋の主人だ。
「おはよう」
朝早いというのに、彼はすでに服を昨日と同じ様なものに着替え、エプロンをかけている。
開いた扉から、焼けたトーストの香ばしい匂いが漂ってくる。
「お、おはよう、ございます」
まだちょっとびっくりしているスーシャが応えると、主人は頷いて言った。
「いつもはもっと遅いんだろうけど、うちは商売柄、どうしても朝早く夜遅くなるんだ。これから朝ごはんを食べるけど、どうする? もう少し寝るかい? それとも一緒に食べるかい?」
どうしようか、スーシャは迷った。
今自分が見たものを、どうしていいのか分からないのだ。
この人に相談してみようか、信じてくれるだろうか?
……自分を虐げてきた、一家の歩く姿を話して、自分はどう見られるだろうか?
そんなことを考えたが、すぐに体が震えた。
怖い。
さっき見たものが、本物の仕立て屋一家なのか見間違いなのか、そんなことはどうでもよかった。
ただ、彼らを見た時の恐怖がまだ心の中に残っていて、底冷えする朝の冷気と一緒に、少ない体力と気力を奪い取って行くのが苦しかった。
「あの、それじゃあ、一緒に食べてもいいですか?」
「ああ、分かった。後はお皿を並べて取り分けるだけだから、すぐだよ。それじゃあ、行こうか」
背を向けて歩き出す主人の後を少し遅れて歩きながら、スーシャはふと現実的な事を考えた。
そういえば、誰かと一緒に朝ごはんを食べるのは、一体、いつ以来なんだろう?
誰かと暮らしていれば当たり前のことにさえ疑問を感じ、戸惑う自分は、やっぱり、おかしいのかもしれない。
いつもはひとりで、残り物のような、冷えたものを食べていたが、今日は、今だけは違うのだ。
食卓を囲むと言うことを意識すると緊張してきた。
食堂へ近づくに連れ、緊張は高まってきたが、心の中の暗く冷たい思いは、少しずつ小さくなっていった。
ロンシュタットが宿へ戻って来たのは、家々の煙突から、朝食の用意をするための煙が立ち昇り、人々が日々の生活を始める頃だった。
他に宿泊客がいないため、がらんとした酒場を抜け、2階の自分の部屋へ入る。
鎧戸が閉まっているため暗いが、その隙間から朝日が差し込み、うっすらと室内を照らしている。
体力のお化けのようなロンシュタットも流石に疲れたのか(何しろ、隣町から追い出され、街道を休むことなく歩いてきた上に、このセーラムの街に入る時には別の悪魔と戦っているのだ。しかも怪我をしたまま、仕立て屋を殺した犯人を調べる為に、寝ずに今まで調査していれば当たり前だ)、黒く長い剣をベッド横のテーブルに立てかけると、シーツの上に寝転がり、手足を大きく伸ばした。
誰が、何の為にやったのか分からないままだったが、悪魔の仕業で無いなら、後はどうでもよかった。
少し休んでから、昨日の夕食よりはマシなメニューが出るだろう朝食をとろうとして眼を閉じると、意識の糸を切られた様に、何の自覚も無く眠りに落ちた。
次に彼が起きたのは、部屋の扉を叩く音だった。
寝込んでしまった事を少し後悔し、ロンシュタットはゆっくり起き上がり、まだ横から入ってくる光を遮りながらノブを回した。
そこに立っていたのは、昨夜ちらりと見かけた、団長だった。
脇には小さくなって、宿の主人もいる。
「まだ寝ていたのか。すまないが、起きて話を聞いてくれないか? ロンシュタット」
この街に来て、誰にも──間接的にバルデラスが教えたが──スーシャにも名乗っていない自分の名を口にされ、ロンシュタットの眉が寄り、眼が細くなる。
「自分の名前が出た事が、不思議か? だが、君ほどの者なら、自分の高い知名度は当然、理解しているだろう」
「私ゃ、知りませんでしたがね」
主人が言うのをじろりと見ると、そのひと睨みで口を閉ざさせて、団長は話を続けた。
「君の名前はスーシャから……いや、正確には彼女から話を聞いたうちの団員が教えてくれた。普通に暮らしているだけなら口の端にも上らないが、我々や戦士団、傭兵団、イヌムス教関係者の間では、知らない方がモグリだろう。デーモンスレイヤーのロンシュタット」
ロンシュタットは最初の怪訝な表情のまま、一向に言葉を発しない。一方的に話し続ける団長が何を言っているのかさっぱり分からない、と宿屋の主人は首を傾げる。
「切り殺した悪魔は膨大な数になるそうだな。そのせいでお前を見ると、悪霊や悪魔は悲鳴を上げて逃げ出すという話じゃないか」
「人の噂や、他の者が私をどう思っていようが、興味などない。何の用だ?」
にやり、と笑って団長は話を続けた。
「先に断っておくが、君が今度の事件の犯人だと決め付けているわけではない。だが、事件のあった丁度その時に街へ来た部外者だ。色々話を聞かせてもらいたい」
「私には関係無い」
何の感情も篭らない冷たい声でロンシュタットが即答するのを聞くと、団長が眼を吊り上げたように見えた主人は慌てて付け足した。
「今、そのスーシャも詰め所へもう一度出かけて、色々話をしているんだ。被害者の女の子が健気に協力しているんだ、そんなこと言わず、少しくらい話してもいいんじゃないか? 本当に無関係なら、すぐに話も済むだろうし」
「それは確かだ。君が完全に無関係だというなら、君が考えているより早く解放できる」
ロンシュタットの表情が、いつもの無感情なそれへと変わっていく。
まるで団長の言葉の真贋を確かめるように、しばらく黙っていると、彼はようやく口を開いた。
「いいだろう。だが、私が話せる事など、何も無い」
「それを判断するのは我々だ」
ロンシュタットはその返答を待たず、部屋の奥へ戻り、バルデラスを腰に吊るす。
バルデラスは特に何の反応も無く、そのまま吊るされて、彼と一緒に部屋を出る。
今まで、このお喋りな剣が一言も発しなかったのは、ロンシュタットのとった行動に驚いているからだ。
どうして捜査に協力するのか? いつも通り無視すればいいものを。
だが、それ以上、考える事はしなかった。
ロンシュタットが何を考えているか、長い付き合いになるが分かった事は無い。
それなら考える材料が無い今は、あれこれ推測するだけ疲れる。
バルデラスはこのまま黙っていよう、と思った。
少なくとも、これから連れて行かれる詰め所に着くまでは。
NPC:バルデラス、団長
場所:セーラムの街
いつ朝になったのか、分からないくらい空は重く、どんよりと曇っている。
雨は一晩過ぎたら小雨になり、風の勢いも弱まりつつある。この分なら、昼前に雨は上がり、夕方頃には天候も回復するだろう。
そんな沈んだ空気のせいか、この日の朝、早く起きた者は少なかった。
怪我から腹痛、風邪や出産に至るまで、およそあらゆる治療を手がけている医者の一家も、今日の起床に限っては遅かった。
いつもは家の誰よりも早起きし、暖かいスープとパンの朝食を用意する妻が、だるそうに寝返りを打ちつつまだ寝息を立てている。
医者は扉をノックする音で目が覚め、妻を見るが、まるで目覚ましになっていない。
寝癖のついた頭で出て行っては、相手が患者であった場合、いくら朝早いとは言え、威厳は失墜してしまうだろう。
ベッドから起き出し、ガウンを羽織って簡単な身なりを整える準備の時間だけでも応対してくれればいいのだが、無理に起こすと酷く機嫌が悪くなるのを、この数年の結婚生活でイヤというほど学んだ彼は、諦めて自分で玄関まで行くことに決めた。
スリッパを履いて、(本人は)急いで向かう。
「はい、どなたですか?」
扉を開けながら訊くが、返答は無い。
それどころか、玄関前には誰もいなかった。
彼は首を出し、通りへと続く前庭を見回してみるが、どこにも自分を訪ねて来た者の姿は無い。
風の悪戯だろうか?
そんな事を考えながら、外気に当たって冷えた体を温めようと寝室へ戻る途中、正にその寝室から誰かが出て来た。
医者をやっている以上、この街のほとんどの人を知っている。
あれは仕立て屋の親子じゃないか。
そんな事をぼんやり思い出している脳の裏では、少しずつ覚醒しだしたもうひとりの自分が、疑問を投げかけた。
いつ、どこから入って来たんだ?
だがそんな思考はすぐに消えてしまい、自分にふらふらと近寄ってくる姿を見て、怪我でもしているのかと思った。
寝室のドアがゆっくり開いた。
ノブを掴んでいる人の体重でもかかっているのか、軋んだ音を立てている。
廊下へ出てきたのは、仕立て屋の女将だ。
彼女は顔の下半分を真っ赤な血で染めている。
どんな大怪我をしたというんだ。
と、ちらりと思ったとき、ドアの隙間からまだベッドで寝ている妻の腕が見えた。
だが、それは先程までとは少し違う。布団か着ている服でもほつれたのか、赤い糸が肘から指に伝わり、それが床に垂れている。
先に妻を起こして治療を手伝ってもらうか、この怪我をしているらしい家族を診察室へ連れて行くか考えた所で、彼は父親に掴れた。
ドアのノックで飛び上がり、スーシャは慌ててノブを回した。
扉の向こうにいたのは、昨日から泊めてもらっている宿屋の主人だ。
「おはよう」
朝早いというのに、彼はすでに服を昨日と同じ様なものに着替え、エプロンをかけている。
開いた扉から、焼けたトーストの香ばしい匂いが漂ってくる。
「お、おはよう、ございます」
まだちょっとびっくりしているスーシャが応えると、主人は頷いて言った。
「いつもはもっと遅いんだろうけど、うちは商売柄、どうしても朝早く夜遅くなるんだ。これから朝ごはんを食べるけど、どうする? もう少し寝るかい? それとも一緒に食べるかい?」
どうしようか、スーシャは迷った。
今自分が見たものを、どうしていいのか分からないのだ。
この人に相談してみようか、信じてくれるだろうか?
……自分を虐げてきた、一家の歩く姿を話して、自分はどう見られるだろうか?
そんなことを考えたが、すぐに体が震えた。
怖い。
さっき見たものが、本物の仕立て屋一家なのか見間違いなのか、そんなことはどうでもよかった。
ただ、彼らを見た時の恐怖がまだ心の中に残っていて、底冷えする朝の冷気と一緒に、少ない体力と気力を奪い取って行くのが苦しかった。
「あの、それじゃあ、一緒に食べてもいいですか?」
「ああ、分かった。後はお皿を並べて取り分けるだけだから、すぐだよ。それじゃあ、行こうか」
背を向けて歩き出す主人の後を少し遅れて歩きながら、スーシャはふと現実的な事を考えた。
そういえば、誰かと一緒に朝ごはんを食べるのは、一体、いつ以来なんだろう?
誰かと暮らしていれば当たり前のことにさえ疑問を感じ、戸惑う自分は、やっぱり、おかしいのかもしれない。
いつもはひとりで、残り物のような、冷えたものを食べていたが、今日は、今だけは違うのだ。
食卓を囲むと言うことを意識すると緊張してきた。
食堂へ近づくに連れ、緊張は高まってきたが、心の中の暗く冷たい思いは、少しずつ小さくなっていった。
ロンシュタットが宿へ戻って来たのは、家々の煙突から、朝食の用意をするための煙が立ち昇り、人々が日々の生活を始める頃だった。
他に宿泊客がいないため、がらんとした酒場を抜け、2階の自分の部屋へ入る。
鎧戸が閉まっているため暗いが、その隙間から朝日が差し込み、うっすらと室内を照らしている。
体力のお化けのようなロンシュタットも流石に疲れたのか(何しろ、隣町から追い出され、街道を休むことなく歩いてきた上に、このセーラムの街に入る時には別の悪魔と戦っているのだ。しかも怪我をしたまま、仕立て屋を殺した犯人を調べる為に、寝ずに今まで調査していれば当たり前だ)、黒く長い剣をベッド横のテーブルに立てかけると、シーツの上に寝転がり、手足を大きく伸ばした。
誰が、何の為にやったのか分からないままだったが、悪魔の仕業で無いなら、後はどうでもよかった。
少し休んでから、昨日の夕食よりはマシなメニューが出るだろう朝食をとろうとして眼を閉じると、意識の糸を切られた様に、何の自覚も無く眠りに落ちた。
次に彼が起きたのは、部屋の扉を叩く音だった。
寝込んでしまった事を少し後悔し、ロンシュタットはゆっくり起き上がり、まだ横から入ってくる光を遮りながらノブを回した。
そこに立っていたのは、昨夜ちらりと見かけた、団長だった。
脇には小さくなって、宿の主人もいる。
「まだ寝ていたのか。すまないが、起きて話を聞いてくれないか? ロンシュタット」
この街に来て、誰にも──間接的にバルデラスが教えたが──スーシャにも名乗っていない自分の名を口にされ、ロンシュタットの眉が寄り、眼が細くなる。
「自分の名前が出た事が、不思議か? だが、君ほどの者なら、自分の高い知名度は当然、理解しているだろう」
「私ゃ、知りませんでしたがね」
主人が言うのをじろりと見ると、そのひと睨みで口を閉ざさせて、団長は話を続けた。
「君の名前はスーシャから……いや、正確には彼女から話を聞いたうちの団員が教えてくれた。普通に暮らしているだけなら口の端にも上らないが、我々や戦士団、傭兵団、イヌムス教関係者の間では、知らない方がモグリだろう。デーモンスレイヤーのロンシュタット」
ロンシュタットは最初の怪訝な表情のまま、一向に言葉を発しない。一方的に話し続ける団長が何を言っているのかさっぱり分からない、と宿屋の主人は首を傾げる。
「切り殺した悪魔は膨大な数になるそうだな。そのせいでお前を見ると、悪霊や悪魔は悲鳴を上げて逃げ出すという話じゃないか」
「人の噂や、他の者が私をどう思っていようが、興味などない。何の用だ?」
にやり、と笑って団長は話を続けた。
「先に断っておくが、君が今度の事件の犯人だと決め付けているわけではない。だが、事件のあった丁度その時に街へ来た部外者だ。色々話を聞かせてもらいたい」
「私には関係無い」
何の感情も篭らない冷たい声でロンシュタットが即答するのを聞くと、団長が眼を吊り上げたように見えた主人は慌てて付け足した。
「今、そのスーシャも詰め所へもう一度出かけて、色々話をしているんだ。被害者の女の子が健気に協力しているんだ、そんなこと言わず、少しくらい話してもいいんじゃないか? 本当に無関係なら、すぐに話も済むだろうし」
「それは確かだ。君が完全に無関係だというなら、君が考えているより早く解放できる」
ロンシュタットの表情が、いつもの無感情なそれへと変わっていく。
まるで団長の言葉の真贋を確かめるように、しばらく黙っていると、彼はようやく口を開いた。
「いいだろう。だが、私が話せる事など、何も無い」
「それを判断するのは我々だ」
ロンシュタットはその返答を待たず、部屋の奥へ戻り、バルデラスを腰に吊るす。
バルデラスは特に何の反応も無く、そのまま吊るされて、彼と一緒に部屋を出る。
今まで、このお喋りな剣が一言も発しなかったのは、ロンシュタットのとった行動に驚いているからだ。
どうして捜査に協力するのか? いつも通り無視すればいいものを。
だが、それ以上、考える事はしなかった。
ロンシュタットが何を考えているか、長い付き合いになるが分かった事は無い。
それなら考える材料が無い今は、あれこれ推測するだけ疲れる。
バルデラスはこのまま黙っていよう、と思った。
少なくとも、これから連れて行かれる詰め所に着くまでは。
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