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PC レイヴン ロッティー
場所 クーロン近くの町の宿前 クーロン
NPC アルシャ マイク エルゼ ジェーン
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星の導き編
「俺はアルシャを探してくる。ロッティーは少し宿屋で待っててくれや」
「ま、まってレイヴンさん、私も・・・!」
背を向けたレイヴンにロッティーは必死で呼びかけた。しかし、その巨体は
一度も振り返ることなく夜の闇の中へと消えた。そして実際ロッティーにも、
走って彼を追うだけの体力は残っていなかった。イステスとの接触がロッティ
ーの身体的にも精神的にも大きな負担となっていたのはレイヴンにも良く分か
っていたのだろう。
緊張の糸が切れたロッティーは、へなへなと座り込む。『虚無の空』が拭い
取られた夜空には、幾年も変わることなく輝き続ける星々が広がっていた。
「どうしよう・・・なにも分からないわ」
先が見えない事を不安に感じるのは初めてだった。ただ一人、暗闇の中に取
り残されたような孤独感を消す事はできない。ロッティーはのろのろと立ち上
がると、宿屋へと足を進めた。宿屋に置き忘れた人形を無意識のうちに捜し求
めていたのだ。
「すまないねぇ。お客さん、なんだか知らんが急に壁に穴が開いちまったん
だ…」
「いえ…」
宿屋に戻ると、レイヴンとイステスの最初の一撃の跡が痛々しくも残ってい
た。その後の出来事はすべて『虚無の空』のなかで行われたため、宿の主人
も、その光景を眺める客たちもロッティーとレイヴンたちが騒ぎの原因だとは
知るすべもない。そのまま、食堂を抜け二階へ上がろうするロッティーを、客
の一人がふいに呼び止めた。
「随分とふらふらじゃねぇか。まぁ座ったらどうだい?」
「!」
その男はテーブルで酒をあおりながら、意味ありげにロッティーの腕をつか
んでいた。
「何…のことですか」
酔っているのかもしれない。ロッティーは腕を振り払おうと力を入れたが、
男の手はぴくりともしない。
「あんた、あの中にいたんだろう?魔族のはった結界からよく逃げ出せたもん
だ」
イステスの張った『虚無の空』は外部からは不可視の空間であった。しか
し、悪魔と鬼の力がぶつかり合ったのだ。余波ですら魔法や気配に敏感な者な
らば決して見逃せるものではなかった。ロッティーがひるんだ隙に、男は勢い
よくロッティーを隣の席に座らせた。
「貴方、何者なの?」
「俺?おれぁ、しがないハンターのマイク=ビルズだ。あの『戦く大地』と居
たんだろ?仲間への土産話にちょいと尋ねるくらいいいじゃあねぇか」
少し呂律の回っていないジョーンという男は、確かに旅の冒険者といった装
いであった。三十代前半だろうか、無造作に伸ばした髪と髭はだらしないが、
その瞳に宿る光は強い。ロッティーの知るレイヴンやヨシュアといったハンタ
ーとは纏う空気に明らかな格差があったが、二つ名を持つ彼らと比べるのは酷
なことかもしれない。マイクは武器を身につけてはいなかった。
「別に、貴方に話すようなことは無いわ」
「口が堅いねぇ。お嬢さん。警戒されちまったようだなぁ」
勧められた安酒を断りながら、ロッティーは疑いの目で男を見ていた。確か
にこの辺りは、クーロンの住民たちの略奪が絶えない為、仕事を探す中堅の冒
険者がごろごろしていた。しかし、彼がハーディンの設計図を狙う人々に雇わ
れたハンターで無いとはどうして言えようか。
「ただ話を聞きたいだけ?嘘じゃないわよね?」
ロッティーは身を乗り出し、マイクの顔を覗き込むようにして尋ねた。それ
に気がついて、マイクもロッティーに顔を向けたが、その黄金色の瞳と目が合
うと途端に顔を引きつらせた。
魅了の瞳――ロッティーのその目に囚われたものは、消して本心を偽る事が
できない。この力をうまく操れるようになったのはつい最近だったが、その拘
束力は隙さえつけばあのイステスですら逃れることが出来ないほど強力だっ
た。この力の応用として、相手に無意識のうちに暗示をかけることも可能であ
ったが、ロッティーは善良な性格の持ち主であったのでそんな使い方など思い
つきもしない。
「ぁ・・・ それは…」
「それは?」
マイクの顔には葛藤が表れていた。ロッティーは更なる情報を得るために、
一層強く男を見つめた。しかし、次の瞬間マイクは腰を上げ、互いの唇が触れ
そうなほどの至近距離で言葉をつむいだのだった。
「それは嘘だ」
「きゃっ」
ニヤリと笑ったマイクに今度はロッティーが小さな悲鳴をあげてのけぞる。
こんな風に術を返されたのは初めてだった。
「美人に見つめられるのは悪い気はしないが、その術は自分も無防備になる事
を忘れないほうがいいぜ。口説きたくなるからな」
「~~~っ!!」
反撃する言葉が見つからないままロッティーは立ち上がった。このハンター
の目的は分からなかったが、ただの野次馬ではないことは確かだった。「それ
は嘘だ」という男の答えは本物に違いないのだから。
「おっと。まってくれよ!悪かった。怒らせちまったな」
「貴方とこれ以上お話しするつもりはありません!!」
珍しく語気を荒げロッティーは歩き出した。後ろでひたすら謝り続ける男の
台詞に耳を塞ぎながら、ロッティーは階段を上がる。そして、最後の段を上り
きったところでくるりと振りかえった。
「貴方に部屋を覚えられるのは不愉快だわ」
マイクはロッティーの怒りように、肩をすくめて苦笑すると前に握りこぶし
を突き出した。
「ならば、こいつをハーディンに渡してくれないか?屋敷に行ったはいいが、
壊滅状態。あの男はどこにいるのか、一向に足取りがつかめなくてな」
「ハーディンさんに…?」
襲撃を恐れたハーディンは、隠れ家に身を隠していたのだ。男の拳の下に、
ロッティーは手を出した。彼女の手に乗せられたのは、小さな石ころだった。
「これは…?」
「こいつは『カナマンの設計図』の最後のパーツ。これでハーディンの計画は
実行されるってわけだ」
*********
「レイヴンさんと、ロッティーさんどこに行ったのかしら・・・」
アルシャは、二階の窓から二人の死闘を目の当たりにした。正確には、レイ
ヴンに投げ飛ばされたイステスが正面の建物に叩きつけられた所までの戦い
を。その途端にロッティーを含む三人の姿がかき消え――イステスの『虚無の
空』によってだが――アルシャは慌てて、三人を追うため宿から単身飛び出し
ていた。
しかし、どこを探しても3人の姿は見つからない。レイヴンが戦っていた男
は、アルシャの屋敷を襲った男に間違いない。半壊した屋敷と、多くの人々の
命を殺めた圧倒的な男の強さを思い出して、アルシャは震えが止まらなかっ
た。
(だ、大丈夫よ。きっと。レイブンさんは強いんだもの)
レイヴンの強さについては、アルシャは絶対的な信頼をよせていた。しか
し、ロッティーは・・・ロッティーはジェーンに『死の宣告』を受けている身だ。
もし彼女に何かあったら、アルシャと父親の未来すら絶たれてしまうのではな
いか。不安ばかりつのり、アルシャは夢中で二人の姿を探した。
どれだけの時が経ったのか、アルシャ自身にも分からなかった。灯りが消え
た無人の町をただ走り回っていた。その代わり映えの無い景色がある瞬間、少
女の小さな一歩で、ふいに変化する。
「え!?」
自分が『虚無の空』の空間を介して、クーロンの中枢まで来てしまった事な
ど、アルシャに知るすべもない。彼女は身を寄せる小さな町から、突如夜の繁
華街へ飛び出した。しかも、そこに漂うのは、健全なものなど欠片もない、大
陸一の犯罪都市のむせ返るような臭いだ。
呆然と立ちすくむアルシャ。その異質な存在に周囲が気が付き始めるのはそ
う遅くなかった。
「おぃおぃ。こりゃあ度胸のあるお嬢ちゃんだな。」
「ズィーノはもう少し北だぜぇ?」
男の言葉にどっと辺りが笑い出す。ズィーノといえば、娼館の立ち並ぶ街で
ある。アルシャは顔を真っ赤にして踵を返した。
「おっと、何処に行く気だい?この街は危ないからなァ。朝まで俺たちが面倒
みてやろうじゃないか」
この街で力ない者が生き延びるのは、強いものの所有物になるしかないの
だ。男たちの腕から逃げ回るアルシャは、まさに小さな小動物そのもので、狩
る側である男たちはしばらく笑いながらその遊びを繰り返していた。
「その娘はアタシの客だよ。わるいが離しちゃくれないかね」
そろそろ飽きた男たちが本気でアルシャに掴みかかろうとした時だった。凛
とした老婆の声が辺りを静めた。フードを被った小柄な老婆が、大男たちを押
しのけながらアルシャの前に出てきた。瘤(こぶ)でもあるのだろうか、肩の
辺りでフードがこんもり膨らんでいる。老婆の隣には、アルシャの見知った人
物の姿もあった。
「あなた・・・ジェーン…?」
十二、三歳の年のころの灰色の少女は、呆れたようにアルシャを見ている。
「あなた本当に世間知らずのお嬢さんなのね。夜のクーロンに来るなんて。私
があなたを見つけてマザーに知らせなかったらどうなっていた事かしら」
「あなたが・・・?」
ジェーンの言葉に驚きつつもアルシャは立ち上がった。不服そうな辺りの声
を尻目に、老婆はアルシャの手をとり、人ごみを抜けていく。老婆の手は皺だ
らけで堅かったが、手から伝わる温かさにアルシャは安堵する。
「おぃおぃ、いくらアンタでも、そう勝手に・・・アグァァアッ!!!」
老婆の進路を遮ろうとした男が突然うめき声を上げた。黒い影が、老婆と男
の間をよぎり、男の腕から鮮血が飛び散る。
「それくらいにしておきなさいな。ジェーン」
そこには、灰色の毛並みの獣が噛み切った男の腕を咥えて立っていた。酔い
の醒めた男たちが一気に散っていく。
「あなた、ジェーンなの!?人間じゃないの?」
「私達は人間なんかより、身体能力も予知能力もずっと上なのよ」
咥えていた肉塊を放り投げると、再びジェーンは幼い少女の姿に戻り、落ち
ていたマントを羽織った。
「それに人外の血が流れているのは貴女だって一緒じゃないの」
「な、何を言っているの??」
「ジェーン」
老婆にたしなめられると、少女はツンと顔をそらせた。
「どういう事なんです?あなた一体誰なんですか?」
「アタシの名は、エルゼ。『クーロンの標』にして幻蝶館の主さ」
ハーディンが雇うはずであった、クーロン、いや、大陸一とも言われる腕前
の占い師を前にして、アルシャは目を丸くした。この老婆とロッティーがいれ
ば、父も助かるかもしれない。男たちから自分を救い出した恩人をアルシャは
期待をこめて見つめた。しかし、アルシャの澄んだ青い目から老婆は視線を外
した。
「その目はあの男そっくりだね。アンタの母親の目は、それは美しいグリーン
だったのに」
「母を知っているのですか?」
自分を生むと同時に死別した母親の存在をアルシャはよく知らなかった。屋
敷には肖像が一枚残っていないのだ。
「もちろんだよ。ついてくるがいい。詳しい話をしてあげよう」
そういって、老婆は暗い路地を指差した。それは光から闇への入り口だっ
た。焦る気持ちのアルシャには二度と光の側に戻って来ることのできない事な
ど考える余裕などなかった。背中に二つの瘤を背負った老婆と、灰色の髪をし
た獣人の少女に誘われ、アルシャはクーロンの闇へと引きずり込まれていった
―――
PC レイヴン ロッティー
場所 クーロン近くの町の宿前 クーロン
NPC アルシャ マイク エルゼ ジェーン
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星の導き編
「俺はアルシャを探してくる。ロッティーは少し宿屋で待っててくれや」
「ま、まってレイヴンさん、私も・・・!」
背を向けたレイヴンにロッティーは必死で呼びかけた。しかし、その巨体は
一度も振り返ることなく夜の闇の中へと消えた。そして実際ロッティーにも、
走って彼を追うだけの体力は残っていなかった。イステスとの接触がロッティ
ーの身体的にも精神的にも大きな負担となっていたのはレイヴンにも良く分か
っていたのだろう。
緊張の糸が切れたロッティーは、へなへなと座り込む。『虚無の空』が拭い
取られた夜空には、幾年も変わることなく輝き続ける星々が広がっていた。
「どうしよう・・・なにも分からないわ」
先が見えない事を不安に感じるのは初めてだった。ただ一人、暗闇の中に取
り残されたような孤独感を消す事はできない。ロッティーはのろのろと立ち上
がると、宿屋へと足を進めた。宿屋に置き忘れた人形を無意識のうちに捜し求
めていたのだ。
「すまないねぇ。お客さん、なんだか知らんが急に壁に穴が開いちまったん
だ…」
「いえ…」
宿屋に戻ると、レイヴンとイステスの最初の一撃の跡が痛々しくも残ってい
た。その後の出来事はすべて『虚無の空』のなかで行われたため、宿の主人
も、その光景を眺める客たちもロッティーとレイヴンたちが騒ぎの原因だとは
知るすべもない。そのまま、食堂を抜け二階へ上がろうするロッティーを、客
の一人がふいに呼び止めた。
「随分とふらふらじゃねぇか。まぁ座ったらどうだい?」
「!」
その男はテーブルで酒をあおりながら、意味ありげにロッティーの腕をつか
んでいた。
「何…のことですか」
酔っているのかもしれない。ロッティーは腕を振り払おうと力を入れたが、
男の手はぴくりともしない。
「あんた、あの中にいたんだろう?魔族のはった結界からよく逃げ出せたもん
だ」
イステスの張った『虚無の空』は外部からは不可視の空間であった。しか
し、悪魔と鬼の力がぶつかり合ったのだ。余波ですら魔法や気配に敏感な者な
らば決して見逃せるものではなかった。ロッティーがひるんだ隙に、男は勢い
よくロッティーを隣の席に座らせた。
「貴方、何者なの?」
「俺?おれぁ、しがないハンターのマイク=ビルズだ。あの『戦く大地』と居
たんだろ?仲間への土産話にちょいと尋ねるくらいいいじゃあねぇか」
少し呂律の回っていないジョーンという男は、確かに旅の冒険者といった装
いであった。三十代前半だろうか、無造作に伸ばした髪と髭はだらしないが、
その瞳に宿る光は強い。ロッティーの知るレイヴンやヨシュアといったハンタ
ーとは纏う空気に明らかな格差があったが、二つ名を持つ彼らと比べるのは酷
なことかもしれない。マイクは武器を身につけてはいなかった。
「別に、貴方に話すようなことは無いわ」
「口が堅いねぇ。お嬢さん。警戒されちまったようだなぁ」
勧められた安酒を断りながら、ロッティーは疑いの目で男を見ていた。確か
にこの辺りは、クーロンの住民たちの略奪が絶えない為、仕事を探す中堅の冒
険者がごろごろしていた。しかし、彼がハーディンの設計図を狙う人々に雇わ
れたハンターで無いとはどうして言えようか。
「ただ話を聞きたいだけ?嘘じゃないわよね?」
ロッティーは身を乗り出し、マイクの顔を覗き込むようにして尋ねた。それ
に気がついて、マイクもロッティーに顔を向けたが、その黄金色の瞳と目が合
うと途端に顔を引きつらせた。
魅了の瞳――ロッティーのその目に囚われたものは、消して本心を偽る事が
できない。この力をうまく操れるようになったのはつい最近だったが、その拘
束力は隙さえつけばあのイステスですら逃れることが出来ないほど強力だっ
た。この力の応用として、相手に無意識のうちに暗示をかけることも可能であ
ったが、ロッティーは善良な性格の持ち主であったのでそんな使い方など思い
つきもしない。
「ぁ・・・ それは…」
「それは?」
マイクの顔には葛藤が表れていた。ロッティーは更なる情報を得るために、
一層強く男を見つめた。しかし、次の瞬間マイクは腰を上げ、互いの唇が触れ
そうなほどの至近距離で言葉をつむいだのだった。
「それは嘘だ」
「きゃっ」
ニヤリと笑ったマイクに今度はロッティーが小さな悲鳴をあげてのけぞる。
こんな風に術を返されたのは初めてだった。
「美人に見つめられるのは悪い気はしないが、その術は自分も無防備になる事
を忘れないほうがいいぜ。口説きたくなるからな」
「~~~っ!!」
反撃する言葉が見つからないままロッティーは立ち上がった。このハンター
の目的は分からなかったが、ただの野次馬ではないことは確かだった。「それ
は嘘だ」という男の答えは本物に違いないのだから。
「おっと。まってくれよ!悪かった。怒らせちまったな」
「貴方とこれ以上お話しするつもりはありません!!」
珍しく語気を荒げロッティーは歩き出した。後ろでひたすら謝り続ける男の
台詞に耳を塞ぎながら、ロッティーは階段を上がる。そして、最後の段を上り
きったところでくるりと振りかえった。
「貴方に部屋を覚えられるのは不愉快だわ」
マイクはロッティーの怒りように、肩をすくめて苦笑すると前に握りこぶし
を突き出した。
「ならば、こいつをハーディンに渡してくれないか?屋敷に行ったはいいが、
壊滅状態。あの男はどこにいるのか、一向に足取りがつかめなくてな」
「ハーディンさんに…?」
襲撃を恐れたハーディンは、隠れ家に身を隠していたのだ。男の拳の下に、
ロッティーは手を出した。彼女の手に乗せられたのは、小さな石ころだった。
「これは…?」
「こいつは『カナマンの設計図』の最後のパーツ。これでハーディンの計画は
実行されるってわけだ」
*********
「レイヴンさんと、ロッティーさんどこに行ったのかしら・・・」
アルシャは、二階の窓から二人の死闘を目の当たりにした。正確には、レイ
ヴンに投げ飛ばされたイステスが正面の建物に叩きつけられた所までの戦い
を。その途端にロッティーを含む三人の姿がかき消え――イステスの『虚無の
空』によってだが――アルシャは慌てて、三人を追うため宿から単身飛び出し
ていた。
しかし、どこを探しても3人の姿は見つからない。レイヴンが戦っていた男
は、アルシャの屋敷を襲った男に間違いない。半壊した屋敷と、多くの人々の
命を殺めた圧倒的な男の強さを思い出して、アルシャは震えが止まらなかっ
た。
(だ、大丈夫よ。きっと。レイブンさんは強いんだもの)
レイヴンの強さについては、アルシャは絶対的な信頼をよせていた。しか
し、ロッティーは・・・ロッティーはジェーンに『死の宣告』を受けている身だ。
もし彼女に何かあったら、アルシャと父親の未来すら絶たれてしまうのではな
いか。不安ばかりつのり、アルシャは夢中で二人の姿を探した。
どれだけの時が経ったのか、アルシャ自身にも分からなかった。灯りが消え
た無人の町をただ走り回っていた。その代わり映えの無い景色がある瞬間、少
女の小さな一歩で、ふいに変化する。
「え!?」
自分が『虚無の空』の空間を介して、クーロンの中枢まで来てしまった事な
ど、アルシャに知るすべもない。彼女は身を寄せる小さな町から、突如夜の繁
華街へ飛び出した。しかも、そこに漂うのは、健全なものなど欠片もない、大
陸一の犯罪都市のむせ返るような臭いだ。
呆然と立ちすくむアルシャ。その異質な存在に周囲が気が付き始めるのはそ
う遅くなかった。
「おぃおぃ。こりゃあ度胸のあるお嬢ちゃんだな。」
「ズィーノはもう少し北だぜぇ?」
男の言葉にどっと辺りが笑い出す。ズィーノといえば、娼館の立ち並ぶ街で
ある。アルシャは顔を真っ赤にして踵を返した。
「おっと、何処に行く気だい?この街は危ないからなァ。朝まで俺たちが面倒
みてやろうじゃないか」
この街で力ない者が生き延びるのは、強いものの所有物になるしかないの
だ。男たちの腕から逃げ回るアルシャは、まさに小さな小動物そのもので、狩
る側である男たちはしばらく笑いながらその遊びを繰り返していた。
「その娘はアタシの客だよ。わるいが離しちゃくれないかね」
そろそろ飽きた男たちが本気でアルシャに掴みかかろうとした時だった。凛
とした老婆の声が辺りを静めた。フードを被った小柄な老婆が、大男たちを押
しのけながらアルシャの前に出てきた。瘤(こぶ)でもあるのだろうか、肩の
辺りでフードがこんもり膨らんでいる。老婆の隣には、アルシャの見知った人
物の姿もあった。
「あなた・・・ジェーン…?」
十二、三歳の年のころの灰色の少女は、呆れたようにアルシャを見ている。
「あなた本当に世間知らずのお嬢さんなのね。夜のクーロンに来るなんて。私
があなたを見つけてマザーに知らせなかったらどうなっていた事かしら」
「あなたが・・・?」
ジェーンの言葉に驚きつつもアルシャは立ち上がった。不服そうな辺りの声
を尻目に、老婆はアルシャの手をとり、人ごみを抜けていく。老婆の手は皺だ
らけで堅かったが、手から伝わる温かさにアルシャは安堵する。
「おぃおぃ、いくらアンタでも、そう勝手に・・・アグァァアッ!!!」
老婆の進路を遮ろうとした男が突然うめき声を上げた。黒い影が、老婆と男
の間をよぎり、男の腕から鮮血が飛び散る。
「それくらいにしておきなさいな。ジェーン」
そこには、灰色の毛並みの獣が噛み切った男の腕を咥えて立っていた。酔い
の醒めた男たちが一気に散っていく。
「あなた、ジェーンなの!?人間じゃないの?」
「私達は人間なんかより、身体能力も予知能力もずっと上なのよ」
咥えていた肉塊を放り投げると、再びジェーンは幼い少女の姿に戻り、落ち
ていたマントを羽織った。
「それに人外の血が流れているのは貴女だって一緒じゃないの」
「な、何を言っているの??」
「ジェーン」
老婆にたしなめられると、少女はツンと顔をそらせた。
「どういう事なんです?あなた一体誰なんですか?」
「アタシの名は、エルゼ。『クーロンの標』にして幻蝶館の主さ」
ハーディンが雇うはずであった、クーロン、いや、大陸一とも言われる腕前
の占い師を前にして、アルシャは目を丸くした。この老婆とロッティーがいれ
ば、父も助かるかもしれない。男たちから自分を救い出した恩人をアルシャは
期待をこめて見つめた。しかし、アルシャの澄んだ青い目から老婆は視線を外
した。
「その目はあの男そっくりだね。アンタの母親の目は、それは美しいグリーン
だったのに」
「母を知っているのですか?」
自分を生むと同時に死別した母親の存在をアルシャはよく知らなかった。屋
敷には肖像が一枚残っていないのだ。
「もちろんだよ。ついてくるがいい。詳しい話をしてあげよう」
そういって、老婆は暗い路地を指差した。それは光から闇への入り口だっ
た。焦る気持ちのアルシャには二度と光の側に戻って来ることのできない事な
ど考える余裕などなかった。背中に二つの瘤を背負った老婆と、灰色の髪をし
た獣人の少女に誘われ、アルシャはクーロンの闇へと引きずり込まれていった
―――
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