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2024/05/17 02:27 |
ファランクス・ナイト・ショウ  3/クオド(小林悠輝)
登場:クオド
場所:ガルドゼンド -アプラウト子爵領
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 ばたん! と、激しい音を立てて扉が開かれた。
 ヴィオラは取り落としそうになった杯を慌てて支えながら顔を上げる。

 ずかずかと踏み込んできたのは予想通りの人物だったが、先程の出来事に抗議に来た
にしては妙に表情が明るい。
 義兄がこういう表情をするときは、碌なことが起こらない――経験則で瞬時に判断し、
ヴィオラは杯を机に置いた。立ち上がらないまま机越しに相手を見上げ、書きかけの文
書を腕で庇うと、静かに、覚られないように呼吸を整える。

「義兄上、どうしました」

「僕はヒュッテへ行かなくて済みそうだ」

「私の留守を務めてくださるとでも?」

 ヴィオラは、義兄の金髪と対照的に冴えない灰色の前髪が目にかかったのを手で払い
ながら「畑の耕し方もご存じないでしょうに」と皮肉を言ったが、義兄は気にした風も
なく首を横に振った。

「そうじゃなくて、ここにはもう一人、騎士がいるじゃないか」

「……まさか」

 言いかけ、首を噤む。もしかしてと戸口を横目にすれば、案の定、片手半剣を抱えた
青年が所在なさげに立ちつくしている。義兄が選んだ赤い上衣がまったく似合っていな
いせいで余計に頼りなく見えた。無理やり連れてこられたらしく、途方にくれた表情で
じっとこちらを眺めている。ヴィオラは「入りなさい」と短く声をかけてから、義兄を
横目で睨んだ。

「役目を放棄するお積りですか」

「クオドが変わってくれるって言ったんだ」

 まさか自分から出征志願するとは思えない。何か吹きこまれたに違いない。
 義兄はいつもこうだ。みっともなく取り乱す姿に憐れみと居た堪れなさを感じて、私
もまんまと篭絡されたのだ。またおなじように自分だけ苦難を逃れるつもりか。

「…………あなたは九年前と何も変わらない」

 義兄は意外にも後ろめたさを感じていたらしく、口の中で何か呟いて目を逸らした。
ヴィオラは内心の苛々を押し殺そうと試みながらため息を吐いた。
 手元には書き掛けの文書。“歩兵を五人と騎兵を一人、了解した。数日のうちに準備
は整うだろう。”――整うか?

「義兄上の言うことは気にしなくて構いません」

「……行かせてください」

「何故」

 半ば睨むように見据える。クオドは困ったような笑顔を浮かべた。
 彼が抱えた片手半剣の金具が小さく音を立てた。十字型の鍔が妙に長い剣だ。持ち主
は「受け用に調整したんです」と言っていたが、ヴィオラが考えついたのは、その言葉
とは逆の、極めて攻撃的な使用法だった。あの鍔に掌底を当てて押せば、敵の体に刃を
深く突き込むことができるだろう。

「行きたいんです。駄目ですか?」

 ヴィオラはため息を吐いた。
 じっと相手の目を見据え、ゆっくりと話す。

「古い記述を当たったところ、恐らく貴方だろう人物を発見しました。
 イムヌスの歴で四百七十四年にこの地で生まれ、八十五年に叙勲を受け、その三年後
に姿を消したのは貴方ですね?
 古い本なので、残念ながら名前の部分は掠れて読み取れませんでしたが」

「姿を消した……?」

 クオドはぼんやりと聞き返してきた。

「ええ。しかし、貴方に剣を拍車を与えたのは貴方の父君で、その血は今まで絶えてい
ない――貴方が否と言わない限り、そして私が否と言わない限り、貴方は私の騎士だと
いうことになります。貴方の身分は私が保証しましょう」

 クオドは釈然としない様子で黙っている。続けて「異を唱えますか」と問うと、彼は
わずかな逡巡の後で首を横に振った。焦点の定まっていなかった青い瞳が、ヴィオラを
曖昧に見つめた。

「でしたら主君の命には従いなさい。あなたが行く必要はない」

「……」

「返事は?」

 ヴィオラの新しい騎士は、悲しそうに俯いた。

「わかりました、ご主人。
 しかし、戦へ行くなと仰せなら、私はどうして貴方のお役に立てましょう……」



         + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 目の前で、ヴィオラとコルネールが言い争っている――というよりも、ヴィオラが一
方的にコルネールを責めている。クオドはもう口を挟めなくなって、かといって黙って
退室するわけにもいかず、ただ眺めているしかない。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。私は教会に閉じ込められていたはず
で、またここへ戻ってくることができるとは、殆ど思っていなかった。いいや、戻って
こられたのではない。どれだけ見覚えがあろうとも、ここは知らない場所だ。

 この部屋の大きな机で書きものをしているのは父のはずだった。その机自体も一回り
小さなものに変わっている。机の向こう側の窓から見える緑の丘は知っているままなの
に、部屋の中には以前の名残がまるでない。

「ヒュッテの防衛がアプラウトだけの問題じゃないことは知ってるさ。
 だからこそ、本当に僕を行かせていいのかって聞いてるんだ」

「どういう意味です」

 辛うじて穏やかさを保っていたヴィオラの声が、低く沈んだ。クオドは今まで以上に
剣呑な空気を感じて彼を見る。家長は妙に無表情だったが、あまり光らない土色の目に
湛えられているのは殺意にも似た昏さだった。戦場で敵に向けるよりも黒い感情。

「……ヴィオラさん?」

「義兄上、根拠を述べない提案には価値がありませんよ。
 貴方が行かない方が善いという理由をどうぞお話ください」

 コルネールは、恐らく言葉を選ぶために黙りこみ、それから何かを誤魔化すように、
小さく首を横に振った。彼は何故かクオドを横目にしてきたが、クオドは、何かの助け
を求められているということ以上の意味を取ることはできなかった。

「今、ヒュッテが陥ちるようなことがあれば間違いなく内乱が再開するからだ。あそこ
の小競り合いは年中行事のようなものだけど、前任者がそれをしくじったせいで、“い
つものこと”では済まなくなってる。均衡はもう崩れる間際だ」

「知っていますよ。例の事件で英雄アルスラーンが亡くなったそうですね」

「英雄が死ぬような場所を僕が守れると思うか、ヴィオラ」

 沈黙。
 コルネールは耐えかねた様子で何かを言おうとしたが、今度は発するべき言葉が見つ
からなかったらしく口を噤む。ヴィオラは、今度こそ完全に感情を覚らせない無表情で
黙りこんでいる。

「…………あの……」

 クオドが恐る恐る、何を言おうと思ったのかはよくわからないまま小声で言うと、二
人はゆっくりと視線をこちらへ向けてきた。何故だか背筋に寒気を感じて、クオドは身
震いを押し隠す。先を促されはしなかったが、視線を外されもしない。

 何でもないと謝ろうと思った矢先に、ヴィオラがかたんと小さく椅子を鳴らして立ち
上がった。彼は机を回ってクオドのすぐ横までくると、すれ違う位置で、肩を強く掴ん
だ。布地越しの痛み。クオドはわずかに顔をしかめる。

「……あなたが行きなさい」

「え?」

「すぐに手配を済ませます。従士を一人つけますので、道中のことは彼に任せなさい。
あと、あなたは馬を連れていましたね? この前、家畜小屋番が見慣れぬ葦毛の雌馬を
持っていたのを取り上げたのですが、あれはあなたのものでしょう」

「え…ええ、え?」

「気が変わったんです。あなたがヒュッテへ行きなさい。
 その男に任せるには兵が惜しい」

 ヴィオラは低い声でそう言うと、後は無言のまま部屋を出て行った。
 取り残された二人は顔を見合わせたが、どちらの表情も明るくなかった。



         + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 砦を守るのは現地の常駐兵十九とアプラウトの六、それから、ヒュッテの建つイェッ
セン公領の西と北に領地を持つ二つの騎士の家から十一ずつの戦力。他に料理人や治療
師、騎兵の従士などで、総人数は五十八になる。

 資料を読み上げていたカッツェ・オスヴァルトが兵の内訳を述べて説明を締括ると、
新入りの騎士は「すごいですね」と感心の声を上げたが、特にそれ以上の発言をするつ
もりはなさそうだった。主人に言われてこの騎士の旅に同行することになって、もう道
のりの殆どを過ぎたというのに、未だ扱い方がよくわからない。

 まるで冒険者か何かのような飾り気のない服装で平然と歩き回るし、世話を焼こうと
すると苦笑して遠慮する。少しでも目を放すと、すぐにいなくなる。普通の貴族に対す
る対応では、まったくうまくいかない。

 大体、歳が近いはずなのに、共通の話題が一つもないのがおかしい。
 カッツェの愛読書「ブンツカ=ドンドン」シリーズを知らないことも許しがたいが、
趣味の話が通じないならと時事の話を振ってみたところ、そちらもまったく駄目だった。
世間知らずにしても度を越している。果たしてどういう育ち方をしたものなのか。
 何を話しても熱心に聞いてくれるから、話し甲斐がないわけではないのだが……

 かぽり、かぽり。蹄が地面に当たる音が続いている。
 どこまでも青い空の下、街道から外れた道を行くのは一行だけだ。周囲はなだらかに
起伏する平原が広がり、どこまでも続いているように見える。ところどころに生えた木
は近づく冬に備えて葉を落とし始めていた。風はまだ冷たくないが、数日のうちに冷気
を帯び始めるかも知れない。午後の日が、穏やかに光を注いでいる。

 簡素な馬具をつけられた軍馬の上に人影はない。
 騎士は、馬の横で自ら手綱を引いて歩いている。連れている五人の兵と歩調を合わせ
ているのかと思って「その必要はない」と進言したところ、笑いながら「外を歩くのは
久しぶりなので」と返事された。彼は結局そのまま、歩兵と雑談しながら短くない距離
を歩き通しているが、普通、馬を所有する貴族は町の外を自分の足で歩いたりしないも
のだ。

 彼の腕の中には、どういうわけか常に剣が抱えられている。カッツェはその様子に、
毛布かぬいぐるみを放さない子どもを連想したが、あながち間違いでもなさそうだった。
くまさんの代わりが武器では、物騒以外の何でもないが。

「魔法士もいるんですか」

「え? あ、ええ。魔術師は二名、配備されます」

 中断したはずの会話をいきなり続けられ、カッツェは少し慌てて返事をした。
 騎士は少しだけ考え込むように俯いてから再び顔を上げて、何か納得がいかないよう
な表情で言ってきた。

「私の感覚だと、魔法士ってとても貴重な戦力なんです」

「……まあ、そうですね。オレもそう思います」

「停戦中の砦に常駐させるのって不自然だと思いません?」

 言われて沈黙する。少し考えてみれば奇妙ではあった。
 書類が間違えているのだろうかと手元に目を落とすが、これは先程立ち寄った町で、
ヒュッテから王都へ向かう使者から受け取ったものだ。間違いがあるはずがない。

「……」

 かぽり、かぽり。蹄が地面に当たる音が続いている。
 騎士は自分の質問を無視されても、特に気分を損ねた様子ではなかった。



「あ」

 騎士が声を上げたので何かと思い、その視線の先を見れば、季節外れの蝶がひらひら
舞っていた。雲の少ない空に鮮やかな小さな白い羽。景色だけは平和すぎて嫌になる。
カッツェがため息を吐く横で、騎士は手綱を持った腕に片手半剣を抱え直すと、蝶の方
に手を伸ばした。

「……何してるんですか?」

「ちょうちょが」

「はい?」

 素頓狂に聞き返し、騎士の笑顔に邪気がないのを見て本気だと悟った。何歳だお前。
本当に追いかけていきそうだったのを慌ててとめる。気候が平和なのは仕方がないが、
せめて頭の具合くらいは常温でいてくれないものだろうか。

 これから行く場所は最前線だというのに。
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2007/02/12 16:51 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ

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