登場:ヒルデ
場所:ガルドゼンド国内
------------------------------------------------------------------------
岩場の道を、深い針葉樹の森を右に見ながら引き返していく。「あの森で冬を
越せる人間はいない」というクオドの言葉通り、鬱蒼とした森の中から生き物の
気配は感じられず、まるで光すらをも呑み込む深い闇が蟠っているかのような印
象を周囲に与えている。一瞬、自分がまるでここではないどこかにいるような錯
覚を覚えた。そう、あれは――思考を巡らせ、最初にこの道を辿ったときからず
っと感じている既視感の奥にあるものを確かめる。「ははっ」小さな笑いが零れ
た。生き物を拒む針葉樹の森、荒涼とした風景、そして厳しい冬が続く気候。な
んの事はない、自らも気付かぬうちに連想していたのは、故郷の姿だった。数を
減じ、押し込められた一族が再起を願いながら息を潜めて住まう場所。
「戦乙女ともあろうものが……郷愁の念に囚われるとはな」
自嘲めいた呟き。言葉を返すように、栗毛の馬がぶるるると喉を鳴らす。首筋
を撫でながら「なんでもない、気にするな」と語りかけた。納得したのかそもそ
も気にしてもいないのか、何も言わず愛馬が視線を上げる。気がつけば、なだら
かな坂道を越えていた。釣られて顔を上げると古い石に守られた村が見える。目
的地はもうすぐだ。
館に戻ると、再び執務室へと通された。前にも感じたが、この部屋はどうにも
空気が冷たく感じる。目の前の人物からそれほどの威圧感が放たれているという
わけでもないのだろうが……そこまで考えたところで、自分に向けられた視線に
気付く。やはり最近の私は少しおかしい。愚にもつかない事を考える前に、やる
べき事をやらなくては。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
盗賊団と思しき連中を倒した事、やつらから聞き出した話、後始末の為に人手
が必要な事。一通りの説明を終える頃には辺りは夕闇に包まれていた。そして、
私は今当然のように割り当てられた客室にいる。
「何をしているのだろうな、私は……」
思わず零れ落ちた呟き。部屋の外では忙しなく人が行き来している気配が感じ
られる。この地もティグラハット軍の侵攻と無関係ではない、その準備におおわ
らわなのだろう。そう、彼らは己が成すべき事をしっかりと見据え、その為に行
動しているのだ。だというのに私は……
「ふぅ……」
溜め息をこぼす自分に嫌気がさす。昔の私はこうではなかった。戦神の娘とし
ての使命のみを考え、その為だけに行動してきたというのに。いつからこうなっ
た?いつから――
「おい、聞いたか?アナウアがまたありえない速度で落ちて、ブライトクロイツ
もヤバいんじゃないかってさ」
「聞いた聞いた。あそこが抜かれたら次はここだろ?勘弁して欲しいよな……」
「子爵様が冒険者の知り合いとかにも声掛けてるらしいぜ。不思議な方面にコネ
あるよなあの人……」
「ハイデンヴァイルの方でもいろいろ準備してるらしい。俺たちも覚悟をきめな
いと……」
物思いに耽る私の耳に、扉の外を行き交う兵士たちの会話が入ってきた。戦。
そうだ、戦になれば自然と有望な傑物が集まろうというものだ。例えば、ティグ
ラハット軍には星墜としをも成し遂げる術者がいる。あれは、それこそ私の故郷
のように古くからの伝承を正しく遺し、なおかつ相応の力を以って臨まないと下
手をすれば身を滅ぼしかねない呪法。使いこなすには知識、力、そしてそれを自
信を持って確実に行うだけの精神が求められる。それほどの術者が付いているの
だ。今から下手にブライトクロイツを目指すよりは、ここで待つ方が確実かもし
れない。そうだ、それならば私も目的の為に行動している事になる……
そんな自分への言い訳めいた事を考えながら、明日には子爵殿にその事を話し
に行こうと決意し、私はまどろみの中へと落ちていった。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
――ガルドゼンド領、アナウア砦近郊、ティグラハット軍陣営――
「ふぇふぇふぇ、次はどの術を使ったもんかのぅ……」
戦利品の確認や負傷者の確認や部隊の再編成などで慌しく人が行き交う中、専
用に設えられた天幕の中央に置かれた机の上。そこには、どれも一目みて古いも
のだと分かる巻物が四つ、広げられている。
「これがいいかな?いやいや、こっちのも捨てがたい……」
そんな独り言を漏らしながら、楽しそうに巻物を取っては眺め、取って眺めし
ている姿は、まるで次はどの玩具で遊ぼうか悩んでいる子供のよう――というよ
りも、子供そのものと言ってもあながち間違いではないだろう。老人にとって、
次に使う儀式呪文の選択は、『それがどれほど有効か』ではなく『それを使った
結果がどれだけ楽しめるのか』によってなされるべきものなのだから。
「楽しそうだな」
突如背後から聞こえてきた声に、老魔導師は一瞬動きを止め後ろに向き直る。
いつの間にやらそこに立っていたのは、艶のない黒い甲冑を纏った一人の女。
「おお……きとったのか。相変わらず、見事な術じゃのう」
女の姿を確認すると、老魔導師は卑屈な笑みを浮かべ、賞賛の声をあげた。喩
え国王が相手だろうと傲岸不遜に振舞おうかという彼だが、この女性にだけは勝
手が違うらしい。歓待の言葉を述べ、椅子を勧める老魔導師に、しかし女はどこ
までも冷淡だった。
「いいか。戦場にするのなら、レットシュタインだ。あそこを取り巻く環境はな
かなかに面白い。狂王の部隊は、もうすぐの所まで来ている――間に合わせろ」
氷の塊が喋ったらこのような感じになるのだろうかと、そう思わせるような声
で必要な事を告げるとと、女は来た時と同じように音もなく影の中へと消えてい
った。残された静寂が、反論や拒否など認めないという彼女の意志を表している。
いつもどおりと言えばいつもどおりの様子に、老魔術師は軽く肩を竦めて……
そして、机の上に広げた巻物のうちからふたつを手に取った。
「間に合わせろ、か。ならば、間に合わせるとするかのう。こいつを使って、な」
そう言ってひとしきりふぇっふぇっふぇと笑うと、老魔導師はゆっくりと己の
テントを後にした。指揮官に、必要な準備をさせるために。
------------------------------------------------------------------------
場所:ガルドゼンド国内
------------------------------------------------------------------------
岩場の道を、深い針葉樹の森を右に見ながら引き返していく。「あの森で冬を
越せる人間はいない」というクオドの言葉通り、鬱蒼とした森の中から生き物の
気配は感じられず、まるで光すらをも呑み込む深い闇が蟠っているかのような印
象を周囲に与えている。一瞬、自分がまるでここではないどこかにいるような錯
覚を覚えた。そう、あれは――思考を巡らせ、最初にこの道を辿ったときからず
っと感じている既視感の奥にあるものを確かめる。「ははっ」小さな笑いが零れ
た。生き物を拒む針葉樹の森、荒涼とした風景、そして厳しい冬が続く気候。な
んの事はない、自らも気付かぬうちに連想していたのは、故郷の姿だった。数を
減じ、押し込められた一族が再起を願いながら息を潜めて住まう場所。
「戦乙女ともあろうものが……郷愁の念に囚われるとはな」
自嘲めいた呟き。言葉を返すように、栗毛の馬がぶるるると喉を鳴らす。首筋
を撫でながら「なんでもない、気にするな」と語りかけた。納得したのかそもそ
も気にしてもいないのか、何も言わず愛馬が視線を上げる。気がつけば、なだら
かな坂道を越えていた。釣られて顔を上げると古い石に守られた村が見える。目
的地はもうすぐだ。
館に戻ると、再び執務室へと通された。前にも感じたが、この部屋はどうにも
空気が冷たく感じる。目の前の人物からそれほどの威圧感が放たれているという
わけでもないのだろうが……そこまで考えたところで、自分に向けられた視線に
気付く。やはり最近の私は少しおかしい。愚にもつかない事を考える前に、やる
べき事をやらなくては。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
盗賊団と思しき連中を倒した事、やつらから聞き出した話、後始末の為に人手
が必要な事。一通りの説明を終える頃には辺りは夕闇に包まれていた。そして、
私は今当然のように割り当てられた客室にいる。
「何をしているのだろうな、私は……」
思わず零れ落ちた呟き。部屋の外では忙しなく人が行き来している気配が感じ
られる。この地もティグラハット軍の侵攻と無関係ではない、その準備におおわ
らわなのだろう。そう、彼らは己が成すべき事をしっかりと見据え、その為に行
動しているのだ。だというのに私は……
「ふぅ……」
溜め息をこぼす自分に嫌気がさす。昔の私はこうではなかった。戦神の娘とし
ての使命のみを考え、その為だけに行動してきたというのに。いつからこうなっ
た?いつから――
「おい、聞いたか?アナウアがまたありえない速度で落ちて、ブライトクロイツ
もヤバいんじゃないかってさ」
「聞いた聞いた。あそこが抜かれたら次はここだろ?勘弁して欲しいよな……」
「子爵様が冒険者の知り合いとかにも声掛けてるらしいぜ。不思議な方面にコネ
あるよなあの人……」
「ハイデンヴァイルの方でもいろいろ準備してるらしい。俺たちも覚悟をきめな
いと……」
物思いに耽る私の耳に、扉の外を行き交う兵士たちの会話が入ってきた。戦。
そうだ、戦になれば自然と有望な傑物が集まろうというものだ。例えば、ティグ
ラハット軍には星墜としをも成し遂げる術者がいる。あれは、それこそ私の故郷
のように古くからの伝承を正しく遺し、なおかつ相応の力を以って臨まないと下
手をすれば身を滅ぼしかねない呪法。使いこなすには知識、力、そしてそれを自
信を持って確実に行うだけの精神が求められる。それほどの術者が付いているの
だ。今から下手にブライトクロイツを目指すよりは、ここで待つ方が確実かもし
れない。そうだ、それならば私も目的の為に行動している事になる……
そんな自分への言い訳めいた事を考えながら、明日には子爵殿にその事を話し
に行こうと決意し、私はまどろみの中へと落ちていった。
―= ◇ = ◆ = ◇ = ◆ = ◇ =―
――ガルドゼンド領、アナウア砦近郊、ティグラハット軍陣営――
「ふぇふぇふぇ、次はどの術を使ったもんかのぅ……」
戦利品の確認や負傷者の確認や部隊の再編成などで慌しく人が行き交う中、専
用に設えられた天幕の中央に置かれた机の上。そこには、どれも一目みて古いも
のだと分かる巻物が四つ、広げられている。
「これがいいかな?いやいや、こっちのも捨てがたい……」
そんな独り言を漏らしながら、楽しそうに巻物を取っては眺め、取って眺めし
ている姿は、まるで次はどの玩具で遊ぼうか悩んでいる子供のよう――というよ
りも、子供そのものと言ってもあながち間違いではないだろう。老人にとって、
次に使う儀式呪文の選択は、『それがどれほど有効か』ではなく『それを使った
結果がどれだけ楽しめるのか』によってなされるべきものなのだから。
「楽しそうだな」
突如背後から聞こえてきた声に、老魔導師は一瞬動きを止め後ろに向き直る。
いつの間にやらそこに立っていたのは、艶のない黒い甲冑を纏った一人の女。
「おお……きとったのか。相変わらず、見事な術じゃのう」
女の姿を確認すると、老魔導師は卑屈な笑みを浮かべ、賞賛の声をあげた。喩
え国王が相手だろうと傲岸不遜に振舞おうかという彼だが、この女性にだけは勝
手が違うらしい。歓待の言葉を述べ、椅子を勧める老魔導師に、しかし女はどこ
までも冷淡だった。
「いいか。戦場にするのなら、レットシュタインだ。あそこを取り巻く環境はな
かなかに面白い。狂王の部隊は、もうすぐの所まで来ている――間に合わせろ」
氷の塊が喋ったらこのような感じになるのだろうかと、そう思わせるような声
で必要な事を告げるとと、女は来た時と同じように音もなく影の中へと消えてい
った。残された静寂が、反論や拒否など認めないという彼女の意志を表している。
いつもどおりと言えばいつもどおりの様子に、老魔術師は軽く肩を竦めて……
そして、机の上に広げた巻物のうちからふたつを手に取った。
「間に合わせろ、か。ならば、間に合わせるとするかのう。こいつを使って、な」
そう言ってひとしきりふぇっふぇっふぇと笑うと、老魔導師はゆっくりと己の
テントを後にした。指揮官に、必要な準備をさせるために。
------------------------------------------------------------------------
PR
トラックバック
トラックバックURL: