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2024/05/16 19:48 |
ファランクス・ナイト・ショウ  1/クオド(小林悠輝)
登場:クオド
場所:ガルドゼンド -アプラウト子爵領
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 ガルドゼンド、南西辺境。
 ヴィオラ・アプラウト子爵は頭を悩ませていた。
 彼の数少ない領民たる一人の老人が粗末な荷馬車を引いて屋敷を訪れたのが発端だっ
た。老人は荷馬車を示すと「貴族の方とお見受けしましたので」と拙く言った。運ばれ
てきたのは気を失った若い男で、確かに騎士と思しき格好――紋章入りの鎧羽織と鉄色
の鎖帷子に身を包んでいた。

 行き倒れの放蕩貴族を保護したのであれば何の問題もない。手厚く遇し、恩の一つで
も記憶に留めさせればいいことだ。本来なら簡単に済むはずのこの件がヴィオラを悩ま
せているのは、男が纏っていた青い鎧羽織の紋章のせいだった。

 翼を広げた勢黒鳥は、紛れもなくアプラウトのもの。
 ただし二百と三十二年前にパフュール王家に戦を挑み、惨敗の末に臣下となるより前
に掲げていた紋だ。現在のアプラウト家の紋章は、敗戦の際に服従の証として下賜され
た足なし燕。

 家紋の剥奪は屈辱だった。黒鳥を取り戻すため武勲を焦るあまり戦場に散った一族の
勇士は一人ではない。未だあの呪わしい命喰いの鳥を掲げている親戚はいただろうかと、
ヴィオラは図書館で、分厚い紋章辞典と睨み合うことになった。

 そして、三日め。例の男が意識を取り戻したと報を受けるなり、ヴィオラは辞典を放
り出して図書館を飛び出した。古びた羊皮紙のにおいといい、無駄に飾り立てられて文
字の読みにくい写本といい、気分がよくなる要素は何一つない。その上、屋敷の図書館
は暗く、蝋燭の光を頼りに篭らなければならなかったのだ。消し忘れた蝋燭の灯を背後
に、ヴィオラは石造りの廊下を早足に進んだ。

“屋敷”とは言うものの、造りは古い砦そのものである。窓が少ない上、歳月に黒く変
色した石壁にはひどい圧迫感がある。元々あった調度は大略を売り払った。九年前、家
を継ぐ際に起こった問題を片付けるために資金が必要だったのだ。元々傾いていた家は、
現在の状況を維持するだけで精一杯だ。

 こんなものを背負わされるなら還俗しなければよかった。
 容姿ばかり端麗で一人では何もできない義兄に泣きつかれ、聖書を置き剣を握った十
六歳の自分の浅慮を呪わない日はない。嬉しくもない騎士叙勲の後、ひたすら領地に縛
りつけられ、もうすぐ十年が経とうとしている。戦争でもあれば気晴らしになるだろう
に、王家は決してアプラウトを頼らない。あの狂王め。
 領内の魔物狩りでは物足りない。今回のことが、後々まで悪影響を及ぼさない程度に
暇つぶしになればいいのだが。

 灯りを手に前を行く従士が一つの扉の前で立ち止まった。ヴィオラは控えているよう
命じてから扉を二度、叩いて名乗り、入室しても構わないかと尋ねた。間髪入れず返っ
た答えは、客人ではなく義兄の声だった。少々、気分を害しながら扉を開く。

 擦り切れかけた絨毯を敷いた部屋は、この屋敷のどこでもおなじことだが、決して広
くはない。調度の不足が、逆に狭さを感じさせない結果になっている。窓はあるが、や
はり光は殆ど入らない。小テーブルの上で硝子灯が瞬いている。

 窓際の寝台、半身を起こした例の男はまだ夢うつつなのか、ぼんやりとした表情をし
ていた。拾ってきた当初の汚れを洗い流された彼を見て、ヴィオラはまず、毛並みはよ
さそうだという印象を抱いた。日の光を意図的に避け続けたような生白い肌は貴族的と
いえば貴族的であったし、印象に残らないほどすっきりした、言ってしまえば地味な顔
立ちに合わないほど濃い蒼の瞳にも同様の評価をすることができた。

 仮に用意した簡素な服の上から見たところ、線は細いが非力というわけでもなさそう
だった。従士によれば、体中に戦傷の跡があったという。これも、前に挙げたのとは真
逆の意味で貴族らしかった。

 そして、汚れを落とされても唯一変わらない、冴えない灰色の髪――ヴィオラはそれ
を認めると、かすかに顔を蹙めた。この辺りでは、アプラウトの人間にしかない色だ。
長兄を追放してしまった今、もうヴィオラしかいないはずなのに。

「ヴィオラ! お客人は家長が現れないものだから不安がっているよ」

「申し訳ございません、義兄上」

 寝台の横にいた金髪の義兄が振り返って問うてくるのを横目にし、ぞんざいに応える。
 もうとっくに三十を過ぎたというのに何の悩みもなさそうな頬を思い切り殴り飛ばし
てやりたいような衝動を抑えこみながら、ヴィオラは彼らの方へ歩み寄った。正体の知
れない客人を第一優先に構っている暇はないのだと言いたいが、実際は暇を持て余して
いる。しなければならない雑務は、九年の間に大略は片付けてしまっていた。

 広い歩幅で近づくヴィオラを、男は困惑の表情で見上げてきた。捨てられた犬か何か
のような目つきは、不安がりながらも相手を見定めようとしているように見えた。同情
心よりも苛立ちを刺激されながら、ヴィオラは客人に対する作法でもって立場を名乗り、
次に相手にそれを問い返した。男は、ヴィオラを不思議そうな目で見返した。

「……私は」

 覇気のない声で言いかけ、彼は口を噤む。
 ヴィオラがその意味を量るより早く、義兄が言葉を挟んできた。

「お客人は自分の名前を覚えていないようなんだ。
 さっき僕が聞いたときもこうして黙ってしまわれた」

「そうなのですか?」

 義兄ではなく、男に直接、問いかける。男は、義兄の言うことがまるで予想外だった
というようなきょとんとした顔で、首を横に振った。「違います」と返してきた声は、
躊躇と混乱を含んでいた。その短い言葉の発音に違和感を覚えた。

「その……名前は以前、なくしてしまったので。
 父が新しいものを寄越してくれたのですが、それが余所に通じるかは確証がなくて」

「なくした? とにかく名乗ってごらんなさい。
 あなたは私の血縁者のようだ。もしかしたら知っているかも知れない」

「アプラウト家の、クオド・エラト・デモンストランダムと」

 ヴィオラはわずかな沈黙の後に、穏やかな声で「そうですか」と答えた。義兄は、変
わった名前だがどのような意味があるのかと、あまり聞くべきでない質問を繰り出して
いる。ヴィオラはその様子を冷ややかに眺めながら「お調べ致しましょう」と答えた。

「名前以外のこともお尋ねしなければなりませんね」と続けると、男は素直に頷いた。
妙に若い――というより、幼いような印象がある。間違いなく二十には届いていないだ
ろうが、それよりどれだけ下なのかはよくわからない。



 しばらくの後、ヴィオラの悩みは深まっていた。
 男は錯乱しているのか、噛み合わない返事ばかりを寄越してきたのだ。生まれを聞く
と、古い地名でここだと答える。父親を問えば、その姓は“アプラウト”だというのに、
ヴィオラには心当たりのない名前を返す。

 義兄が「やはり記憶が」云々と言うのを聞き流しながら、前々から心の片隅にあった
“騙り”の可能性が存在を主張し始めていたが、男は嘘をついている様子ではなかった。
今、部屋の隅に置かれている彼の戦装束にしても、貴族に取り入るために用意したとは
思えないほど質素な――華美のない鉄色で黙りこんでいる。鉄靴の金拍車だけが煌びや
かに目を引く色合いだったが、これには細かい傷が無数に刻まれている。飾りではない。

 実用だけを考えた装備だ。戦羽織にしても主流の型とは違い――え? 馬鹿な。
 咄嗟に否定したのは、あり得ない思い付きだった。現代の騎士は、鎖帷子ではなく、
板金鎧に身を包む。戦羽織は麻ではなくて羅紗を使うように変わったのだ。この男の装
備は時代錯誤に過ぎる。

 義兄がまた何か見当違いのことを話している。「ヴィオラは厳めしく見えるが情に厚
いから心配は要らない」という台詞が勘に障った。こいつも九年前に粛清しておくべき
だったか。今からでも、何か理由をつけて余所にやってしまえば……まぁ、それは後で
いい。ヴィオラは咳払いして二人の注意を引くと、義兄が言葉を途切らさせた一瞬を狙
って口を開いた。

「クオド殿、とお呼びして構いませんね?
 あなたが騎士の叙勲を受けられたのはいつのことですか」

「十六の時――三年前の秋、です」

 ヴィオラは少しだけ迷って、首を横に振ってから聞いた。

「残念ですが、三年前にこの地で叙勲を受けた者はいません。
 念のために年を確認してもいいですか? 資料をあたりますので」

「……イムヌスの歴で、四百と八十五の年ですが」

 首を傾げて言ってくる男の言葉に、ヴィオラは一種の眩暈のようなものを覚えた。
 だってそれは、今から三百年以上も前じゃないか。錯乱か真実か、確かめるのが極め
て用意なだけに、面倒ごとの気配がした。



      + ○ + ○ + ● + ○ + ○ +



 クオドは愛用の片手半剣を抱えて、暗い砦の通路を歩いていた。
“現代風”らしい薄い生地の上着の裾がひらひらと動いて落ち着かない。図々しいよう
だけど、もう少し厚い布で服をあつらえる手配を頼んでみようか。金銭は――恐らく、
何とかなる。荷物を調べたら何枚かの硬貨を見つけた。金貨の価値は変わらないはずだ。

 途中ですれ違った従士に「灯りを持ってきましょうか」と聞かれたが、慣れているか
らと断った。多少、視界が聞かなくても、この砦のことはよく知っている。自分が生ま
れ、育った場所だ。最近は図書館に通うのが日課になっていたから、硝子灯はそこに用
意してある。

 アプラウトの図書館は昔から蔵書数が多くなかったが、自分の記憶にあるよりも少々
減ったようだった。特に教会関係の書物がごっそりと消えているように思えたので今の
家長だというヴィオラに聞くと「禁書が多く指定された時期がありましたからね」と言
われたので、それで納得した。

 重い扉を押し開けて、卓上硝子灯に火を灯す。獣脂が燃えるにおいが鼻をついた。
 クオドは扉は閉めないまま昨日から机の上に置き放しておいた本を開いた。今までに
見たことのないほど頁紙の薄い本で、白い紙面に質素で飾り気のない文字が整然と並ん
でいる。書き言葉が変わったのか、内容は殆ど理解できない。文中の単語を拾って推測
しながら眺めているのは歴史概略書だった。少しでも気を抜けば、意味を取らぬまま、
字を追う視線だけが先へ流れる。これと物語と、何が違う。

 こうして本を読んでいると、父が現れて「このようなところにいないで剣の練習でも
しろ」と叱られるような気がする。意識の隅で急な怒声を待ち受ける癖が染みついてい
る。来るわけがない、と言い聞かせる思考の方が現実味を欠いていた。

 ――石床を蹴る足音が近づいてきた。
 クオドは思わず顔を上げて身構えたが、扉の隙間から飛び込んできたのは父ではなく、
金髪の男だった。切羽詰った形相に面喰らったまま「どうしたんですか」と問うと、男
は足早に寄ってきた。

「……コルネールさん? 顔色が悪いようですが」

「ヴィオラに、ヒュッテ砦へ行けと言われた」

「ヒュッテ? イェッセン伯領ですか?」

「ああ、キミは過去からの来訪者だということになっているのだったか。
 ヒュッテ砦は我が国とティグラハット公国――連中が勝手に国を名乗っているだけだ
がね――との国境線上にある防衛施設だ。近年、公国が我々に大規模な反乱を仕掛けて
きてね、それ自体はすぐに鎮圧されたけど、未だ睨み合いが続いている」

 その最前線がヒュッテ砦だ、とコルネールは続けた。
 反乱以降、近隣の貴族が半年ごとに警戒のための兵を出すことを取り決めた。その順
番が、アプラウト家に回ってきたのだ。歩兵を五人と騎兵を一人。歩兵はこの屋敷にい
る兵士の半分で足りる。騎兵は――騎乗した兵とは貴族のことだ。

 ヴィオラは家長であるからこの土地を離れることができない。「ですから義兄上にお
願いしたい」と淡々と言うヴィオラの姿を、クオドにも簡単に想像できた。居候の身で
言うべきことではないが、あの人は少し苦手だ。静かで強い視線に気圧される。

「任期は半年ですか。ご無事を」

「僕は戦が嫌いなんだ!」

 大声に、クオドは目を丸くした。半ば無意識に聖印を切りかけた手をとめ瞬きする。
コルネールは擦り寄るように近づいてきた。「どうすればいいと思う?」と問われても、
クオドにはその質問の意味さえわからなかった。

 国家として成立した社会において、人々は三つの身分のいずれかに属している。
 働く者、祈る者、戦う者。最初の一つは農民、市民。祈る者とは聖職者。そして彼ら
を守るために武器を握る者が貴族と呼ばれる。比較的余裕のある生活は有事の際に真先
に命を散らすからこそ許されるもの。
 少なくともクオドはそう教えられて育ったし、信じている。

「僕は戦場に行ったことなどないし、行くつもりもない」

 きょとんとしたまま何も言わないクオドの態度に痺れを切らしたコルネールが、低い
声で繰り返した。線の細いこの男に戦は似合わない。そのことだけはなんとなくわかる。
わかるが、その印象だけで判断していいのだろうか。

「今は停戦中なのでしょう?」

「小競り合いが起こり前任者が二人亡くなったそうだ。
 国境線は緊張している。アプラウトの小隊では足りない」

「まさか六人で砦を守ることにはならないでしょう。現地にも人がいるはず」

「僕は血の匂いが駄目なんだ。ああいった野蛮なことはヴィオラの方が得意なのに」

 クオドは、今度は思考のために沈黙した。首を傾げて青瞳でじっと相手を見上げなが
ら、指先に頁の感触を思い出して本を閉じる。コルネールは戦場へ行きたくない。今は
戦いは貴族全員の義務ではないのかも知れない。

 不意に傍らの剣が気になって、視線を落とす。鍔と鞘を青いリボンで封印された片手
半剣は、硝子灯に強調された陰影で禍々しく見えた。野蛮。ああ、野蛮か。血は穢れだ。

  血。死。腹の上で冷えていく少女の血液。
  混乱したまま掻き抱いた頭部は既に重いだけの感触しか返さない――死なないで。

 唐突な過去視にクオドは顔を青ざめさせた。忘れきれていないのか。忘れるものか。
守れなかったから、あんなことになった。同じ過ちを繰り返してはいけない。戦いは穢
れだ。それを一手に被るために自分達は存在する。戦わなくてよい者が血に濡れること
のないように。そうでしょう、お父さん?

「――私が行きましょうか」

 頭の後ろを血が滑り落ちる感覚に眩暈を覚えながら思わず口走った言葉に、コルネー
ルは目に見えて歓喜の表情を浮かべた。恐らく彼が期待していた通りの返事だったのだ
ろうと思いついた。ならばよかった。よくしてくれているのだから、少しくらいは恩を
返すべきだ。

「そうか!」

「……もしもアプラウトの騎士として立つことが許されるなら、ですが。
 そう認められていない者が、この家の兵を率いるわけにはいきませんから」

「ヴィオラは君のことをそうだと信じ込んでいるらしいし、僕は君のことを、今回の苦
難から僕を救いにきた御遣いだと確信しつつある。だから何も問題ない。ヴィオラは書
類をいじるのが巧いからね」

 クオドは返事に迷って沈黙した。

「早く一緒に執務室へ来てくれ。
 あいつ、すぐにでも例の砦に返事を書くつもりなんだ」

 机を回ってきたコルネールに手首を掴まれながら上の空で掴んだ剣は、いつもの通り
冷たく重たかった。鼻を掠めた獣脂のにおい。硝子灯を置き去りに、開いた扉から外へ。

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2007/02/12 16:51 | Comments(0) | TrackBack() | ○ファランクスナイトショウ

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