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2025/03/10 07:19 |
紫陽花 其の十一/イヴァン(熊猫)
キャスト:クランティーニ・セシル・フロウ・イヴァン
NPC:フィーク・フィル・フィール・敵
場所:クーロン カランズ邸
――――――――――――――――


なぜか悲鳴はひとつもなかった。


一気に視界が奪われる。目を灼くほどの白、そして息が詰まりそうなほどの黒が
会場にいたすべてをせわしく染め上げた。
足元が爆音と衝撃に震え、矢継ぎ早に莫大な熱波が容赦なく襲ってくる。

ばしっ

突然、全身を無数の何かが打った――飛んできた瓦礫だ、と冷静に理解する。
一瞬後、空間を満たしたのは完全な静寂だったが、
イヴァンはそれを知覚できなかった。

「――っ!」

金属をこするような甲高い音が脳髄に突き刺さる。
その激痛に、イヴァンは思わず両手で耳を覆った。
叫びたいのに声にならない。
耳を覆う手に暖かさと痛みを感じる。
濡れた感触が、それは血だと確かに伝えていた。

傷は浅い――しかし、爆音に三半規管を狂わされて意識が危うい。

闇でも遠くを見渡せる目、常軌を逸した運動神経、
そして僅かな囁きですべてを伝える耳。
それらは何よりの武器だった。砥がれた針の如く。
しかし針はその鋭さを追求するあまり、細く折れやすいものだ。

敏感な物音を余すことなく拾うこの耳には、純粋な轟音は大きすぎた。

「   」

足元の影がせわしなく伸び縮みしている。腰を折って目を見開き、
開け放った口蓋から飛沫を流して頭を抱えている主人の身を案じてのことだろう。
何かしら軽口のひとつでも叩いているのだろうが、無論聞こえない。

と、いきなり肩を掴まれた。即座に身体が反応して、手の主を見やる。
セシルが立っていた。顔には煤がついているが、無事なようだ。
肩越しには、妖精を抱いたフロウとフィールもいる。

こちらの形相に驚いたのだろう、ぎょっとした表情でセシルが肩から手を離す。
何か喋って――口の動きを見る限り「大丈夫か」と言っているようだった――
のを見て、頷いて立ち上がる。口にたまった灰混じりの唾液を吐き捨てて、
手の甲で口を拭こうとし、血に濡れているのに気づく。

「――したのか?」

前半のせりふは聞こえないので無視する。破れたドレスの二の腕で口を拭い、
くらくらする頭をどうにかなだめる。
少しは回復してきている。あと数分あればどうにか動けるだろう。

闇に閉ざされた会場は凄惨そのものだった――
破れたカーテンには火がつき、めくれた壁紙もまた焦げて異臭を放っている。
フロア自体にはそれほど損傷はないが、 窓から落ちてきたガラスの破片が
綺羅星のように散乱していた。
天井を見れば炎が舐めた跡がくっきり残り、爆発の余波を受けて
いくつか部品が欠損したシャンデリアがキィキィと音をたてて揺れている。
脱落も時間の問題だ。

…音をたてて?

「!」
「おい、本当に大丈夫か?」

聴覚が復活した。まだ耳鳴りが多少するが、頭痛は緩和されてきた。

「…問題、ない」

喋るが、まだ口の中に違和感を感じた。舌で探り当てると、何か刺さっている。
指を突っ込んで、唇の裏から異物を引っこ抜いて床に捨てると、硬い音がした。
もう一度唾を吐き捨てる。鉄錆の匂いが鼻を通った。

「猫さん大丈夫ですかぁ?」
「『彗星』がこれくらいでくたばるわけ、ないわよね?」

あくまでもマイペースなフロウと、からかうようなフィールの問いかけに頷く。
セシルは呆然と会場を見渡していた。ぞっとしたように肩を一度震わせ、
一変した周囲の変化に追いついていない様子だった。

イヴァンはそれを横目に、隠し持っていた鉄の缶を無言で取り出す。
慣れた手つきで蓋を開けたときには、 もう数本の針が手の中に納まっている。
服を着るより慣れた動作。次にはもう目が動いて気配を探る。

耳は…まだ完全ではない。

武器を取り出したことによって、セシルがはっと表情を鋭くした。
彼も気がついているだろう、 談笑していた金持ち達が、悲鳴ひとつあげず
"黙って立っている"ことに。
美と豪遊を愛する彼らからしてみればこの爆発は相当な衝撃だったはずだが、
彼らはパニックひとつ起こさず、ずらりと並んで一斉にこちらを見ている。

「まさか」

嘘だろ、とセシルが呟いた。だが、彼らが次々に武器を取り出したとき
呟きは嘆息に変わった。

「…仕事を」

ドレスが破れて邪魔な部分を引きちぎりながら、ぼそりと言う。
セシルは相変わらずの 物分りのよさで、即座に動き始めた。
無論、それを止めようと"客"も動く。

ドレス、ワンピース、燕尾服といった豪奢な装いをし、
手には明らかに殺傷を目的とした武器を手にしたこの晩餐の参加者達。
彼らはずっと、この時を待っていたのだ。

そしてイヴァンは走り出した。

足を踏み切った瞬間にぴしりと耳に痛みが奔る。
が、獲物を見つけた今はそんな些細な事を憶える暇などない。

――――――――――――――――
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2007/04/12 02:07 | Comments(0) | TrackBack() | ▲紫陽花
紫陽花 其の十二/フロウ(聖十夜)
PC:クランティーニ・セシル・イヴァン・フロウ
場所:クーロン・カランズ邸別宅
NPC:フィーク・フィル・パンドゥール フィール・マグラルド

-----

光が、次いで闇が、襲い掛かる。フロウは、吹き飛ばされそうになっていたフ
ィークを抱えて、身体を低くした。爆風が襲い掛かるが、フロウは腕を翳して
耐える。
顔を上げると会場の風景は一転しており、黒焦げになって吹き飛んだ料理と椅
子が散乱していた。他には何事も無かったような客達と、耳を押さえるイヴァ
ン、そしてそれに話し掛けるセシルがいた、のだが
「あああぁぁ!料理がぁ!!まだ一杯食べられましたのですのにいぃ!!」
「そこかよ!」
フィークが突っ込むと、フロウはだってと口を尖らせた。
「ご飯は大切なのですよ!?食べないと死んでしまいますですぅ!!」
「んな事言ってる状況じゃないだろ!」
ああ、もう、と頭を掻くフィークを横目に、フロウは猫さん大丈夫ですかぁと
のほほんと問いかけた。
ズレていても、見るところはちゃんと見ている。。
先程まで辛そうにしていたイヴァンはもう回復したのか、針を取り出してい
た。そういえば周りの客の皆々様が各々武器を取り出しているような気がしな
いでもない。仕事を、っとイヴァンが呟いたが、フロウはうーん、と唸って指
を唇に当てた。
「あはは、皆警戒してますですねぇ」
「お前馬鹿か!こいつら俺ら狙ってんだよ」
セシルが見兼ねたのかお叱りを飛ばしてくる。フロウは一瞬キョトンとし、ポ
ンッと手を打った。
「…成る程」
「て事で自分の身くらい自分で守れよ、構ってる暇なんか無いからな!」
そう言いながら、セシルはナイフ一本で敵の群れに応戦する為に飛び出す。一
方イヴァンは数人の「敵」を倒した後、律義にも依頼主を守っていた。
その辺りはプロである。
どうしようか、と見ているうちに、「敵」の一人がフロウの背後で武器を振り上
げた。気が付いてフロウはギリギリそれを避ける。相手の舌打ち。
「いきなりは危ないなのですよぉ」
次いで横や正面から、一斉に「敵」が襲い掛かってきた。
慌ててしゃがんだフロウの頭上スレスレを釘の付いたこん棒が通り過ぎ、飛び
込み前転の要領で飛んだ胸のすぐ下を、ナイフが唸りながら通過する。
そこにすかさず襲って来たトンファを尻餅をつくように避け、立ち上がった際
にドレスの裾を踏み、少しよろけた耳の横を、ナイフが凪いで行った。
「大丈夫か…あれは」
「この、ちょこまかと!」
セシルの冷めた呟きに重なるように、ナイフを持ったタキシードの男がフロウ
に向かって走り込んできた。その男の視界から、フロウが一瞬消える。目標を
失った男は次の瞬間、真横にフロウの言葉を聞いた。
「ご苦労様なのでぇーすぅ」
フロウにとっては一歩横へズレただけなのだが、男は対応出来ずに振り返ろう
とし、
その首に、にこりと笑ったフロウの手刀が思い切り叩きつけられた。
体格の良いその男は、突っ込んだ勢いのまま白目を向き、倒れながらフロウが
避け続けて何故か一直線に並んだ客達に衝突する。慌てて敵達は逃げようとし
たが、
「あ…足が…動か…」
と呟きながら、次々とぶつかり合い、積み重なって倒れていった。フロウが避
ける際に、手で急所を突いていた事に気が付いていた者などいないだろう。
「人間ドミノ倒しかんせーいなのですよぉ」
セシルが、呆れたようにフロウを見る。そんな彼の元にフィークが飛んでき
て、こっそりセシルに耳打ちした。
「言っとくけど、フロウはあまり怒らせない方がいいぞ。滅多に怒らないけど
な」
「…知るか」
セシルの言葉にフィークが肩を竦める。そのままセシルの側で飛び続けるフィ
ークを、セシルは睨んだ。
「何でついて来るんだ」
「んと、一番危なかしそうだから?」
「迷惑千万」
そう言いつつドレスの裾を踏みそうになるセシルに、フィークは、敵が来る方
向を一々報告する。
そんな二人をのほほんと見ながら、フロウは近くに奇跡的に無傷で転がってい
た壷を、襲い掛かって来たドレス姿の女性の顎に躊躇いもなく叩き付けた。セ
シルが「ああ!いくらすると思ってんだ!」と叫んだが、全く気にしない。裾
を捌いて一挙動で新たな敵の背後へ回り込み、蹴り倒す。
「なあ、あいつ神官とか似合わないんじゃ?」
「俺もそう思…うぅ!?」
一瞬だけフィークがセシルの側を離れた瞬間を見計らったように、敵の手がニ
ュッと伸びて来た。
呆気なく敵の手に握られたフィークを見て、セシルが眉を寄せる。
「…何遊んでるんだ」
「遊んでる訳ねぇだろう!!」
ジタバタと暴れるフィークを手に、敵は大声で叫んだ。
「動きを止めろ!でないとこいつを握り潰すぞ!!」
一瞬の、静寂……
は、訪れ無かった。
イヴァンは聞こえていない訳が無いのに、構わず針を投げ続け、セシルはお
ー、虫頑張れよとやる気無く言いながら敵の攻撃を避けている。逆に捕まえた
男が戸惑う程だ。
「…本当に潰すぞ?」
「どうぞ?」
やや弱気気味に言う男に、セシルがあっさりと頷く。
「プチッと行くぞ?」
「だから良いって」
「セシル!!てめ…」
「本当にやるからなあ!!!」
半分涙目で叫ぶ男の肩に、ポンッと手が置かれた。振り替える男の目に飛び込
んで来たのは、純粋な笑顔。
フロウがニッコリと笑った。
男もつられて笑う。
次の瞬間、男の肘がおかしな角度に曲がっていた。弾みで解放されたフィーク
が、方向転換できずにふらふらとセシルの頭の上に飛んでいき、ポテッと落ち
る。
男が、声にならない悲鳴を上げた。フロウはそれを一瞬冷たく見下ろし、セシ
ルの方へ駆け寄る。
「フィーク、大丈夫なのですか?」
「あぁ、うん、何と、か?」
頭の上から振り落とされたフィークを、フロウは受け止めて様子を見る。
「回復を…」
「だーーわーーやめろ!おかしな所に手が生える!!!」
手を翳そうとしたフロウを慌ててフィークが止めた。フロウはそんな事ないで
すよぉ、と顔を膨らませる。
セシルが顔を引き攣らせて何だそれ、と呟いた。
「そんな事ないっていうならあの男回復させてみろよ」
なおもフィークを治そうとするフロウに、フィークは必死に倒れた男を指し示
した。フロウは男を振り返って、口を曲げる。
「ボクの大切な友達を傷つけた罪人さんにかける魔法なんてありませんですよ」
「まあまあ、そこを試しに」
フロウはむぅっと唸って、未だ悶えてる男に近寄った。男はフロウの姿を見
て、必死に後ずさる。
「お、俺が悪かった!!神に謝るから許してくれ!!」
「神様なんて関係ありませんですよ。フィークがどうしてもって言うからやりま
すですけどね」
フロウはそう言って手を翳し-


頭に一本余分に骨が生えた男の悲鳴は、街中に響き渡ったそうな。


   *   *   *

「ははは、お疲れさん」
全ての客が沈黙した中、イヴァンの足元で、フィルが得意気に言った。ちなみ
に彼は何もやっていない。
フィール・マグラルドはそんな護衛を満足そうに見つめ、腕を組む。
「お疲れ様。見事だったわ」
そんな彼女に、セシルは鋭い視線を向けた。フィールは、どうかした?と首を
傾げる。
「あんた、この襲撃に気が付いてただろう?」
単刀直入にセシルが切り出すと、フィールはあら、と小さく呟いた。
「どうしてそう思うのかしら?」
「爆発や襲撃者に全然動じて無かったから」
「あら?仮にもマグラルド家の当主たる者、そんなものに一々動じてられないわ
よ」
ホホホと笑ってフィールはセシルを見た。セシルはぐっとフィールを睨む。
「一つだけ、聞かせろ」
「愛の告白なら間に合ってるわよ」
「そうじゃない。あんた、何企んでるんだ?」
フィールはスッと笑みを消す。
イヴァンとフィルはじっと二人の会話に耳を傾け、フロウはフィークと戯れて
いた。
たっぷりと時間を置いて、フィールが瞳を閉じる。躊躇うように首を小さく振
り、セシルに視線を向けた。
「そうね。一つだけ、教えてあげるわ」
そのあまりにも重々しい口調に、セシルは唇を引き結ぶ。フロウまでもが真剣
な表情でフィールに視線を向けた。
「せっちゃん」
「変な呼び方をするな!で、何だ?」
「…その恰好で凄んでも、迫力無いわよ?」
うふふ、と笑うフィールに、セシルはガクリと崩れ落ちた。


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2007/06/04 22:24 | Comments(0) | TrackBack() | ▲紫陽花
紫陽花 其の十三/セシル(小林悠輝)
PC  :セシル フロウ イヴァン
場所  :クーロン(カランズ邸・別宅)
NPC :フィーク フィル・パンドゥール フィール・マグラルド
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「さて、帰りましょうか」

 フィール・マグラルドはにこりと笑った。何でもないようなその表情が上辺だけであ
るのか、それとも本物なのかの見分けをつけることは、少なくともセシルにはできなか
った。その場にいる他の連中にしてもセシルとおなじか、或いは、見分けたところで気
にすることはないだろう。

「皆もそろそろ息苦しいでしょう?
 ――せっちゃん以外は気にしてないかしら」

「俺が気にしてるよ」

 妖精が小声で毒吐いた。フィールはまた薄く笑う。

「とても似合ってるわ、皆。
 たまにはまったくの別人になるのも悪くないと思わない?」

 セシルはその言葉を聞いて、これ以上、愚痴を言うのをやめようと決めた。
 今回はこれだけ入念な変装が必要だったのだ。わかっていたことではあったが、ここ
まで直接的に言われてしまったら、反論の言葉は思いつかない。だからといって女装は
――女なら油断されるし、身体検査もされない。それだけのこと。
 理解はしていても、嫌だということは変わらないけれど。

「……襲われるためにわざわざ来るなんて、気が違ってる」

「正気だからこそ、時にはそう見えるのよ」

 言って、フィールは踵を返した。焼け焦げて落ちていたテーブルクロスを高いヒール
で上品に蹴散らし、彼女はもうさっさと帰還するつもりらしい。無言で後ろに従うイヴ
ァンは果たして何を考えているのか。何も考えていないのかも知れない、というあまり
にも悪い予感を強引に押しやると、セシルも彼らの後に続くことにした。
 フィールは最後に一度だけ振り向いた。

「疲れたでしょう? 帰ったら食事にしようか」

「本当ですか!」

 フロウが鋭く反応して、小走りで彼女に駆け寄った。
「まだ食べるの」という妖精の呟きを意に介す者はいない。

 それにしても、これだけ大掛かりな罠を用意されるとは、フィール・マグラルドとい
う女は一体どんな恨みを買ったのだろうか。間違えても本人には聞けないし、調べてみ
ようという気にもなれないが。





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PC  :クランティーニ ライ
場所  :クーロン(カランズ邸・本宅)
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「……暗殺なんてよくないと思うけどなぁ」

「あら、指名手配中の凶悪犯が道徳観念を語るの」

 背の高い女だ。彼女の言葉に、ライは曖昧な笑顔だけを返した。何かを言い返すこと
に意味は見出せなかった。わざわざ誤解を解こうと努力したって徒労に終わるだろう。
付き合うつもりがなければ簡単に消えることだってできるのに、ついついここまで来て
しまった時点で、もう大方を諦めるしかないということはわかっている。気まぐれの代
償なら、決して高くはないだろう。

「クーロンは恐い場所だって聞いてたけど、本当みたいですね」

「人のいるところならどこだって変わらないわ」

「なんだかなぁ」

「とにかく話を合わせて」

 ライはやる気なく「はぁい」とだけ答えた。
 それから事前に彼女に言われた通り――つまり“それらしい格好をしなさい”――、
実体をいじくって服装を変えた。いつだか見た、貴族の護衛がこんな格好をしていた気
がする。藍色の上衣、踵の堅いブーツ。帽子を少しだけ深くかぶる。

 かつかつ歩いて、女が「この建物」と示したのは、なかなかの豪邸だった。
 門には紋章が飾られているが、形式からして貴族ではなさそうだということくらいし
かわからない。クーロンの住人事情なんてまったく知らない。


      ☆ ・ ☆ ・ ☆ ・ ☆


「ええ、本当に。
 確かにこの時間、リリィお嬢様と約束しましたの」

「そう言われましても……」

 召使らしき男は困ったような表情で玄関を横目にした。

「お嬢様は現在、留守にしております」

「忘れてしまわれたのかしら、お嬢様の新しい事業についての、とても重要なお話なの
ですけれど。
 今日でなくてはならない、何かの間違いで一日たりとも遅れることがあれば、待ちに
待った機会を失うことになってしまうとお嬢様が仰られたので、わたくしも今日だけは
と予定を明けて伺ったのです」

「……ふむ」

 しばらくの逡巡の後、召使はどうやら、この客を返して主人の怒りを買うことを恐れ
たようだった。「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「クリスティーナ・フィオナ・エテツィオと申しますわ」

「! エテツィオ家の……失礼致しました、お嬢様」

 彼女の後ろに立っていたライは、随分とまぁ大胆な嘘をつくものだと思ったが、澄ま
し顔で護衛のふりをしながら、視線だけで周囲を観察した。さて、帰りはどこから逃げ
ようか。

「どうぞ、客間へご案内いたします――エテツィオ家の方がいらっしゃった際には丁重
に遇すよう言い遣っております故に」

 ライが横目で女を見ると、表情のわずかな変化から、どうやら本人にとって予想以上
の反応のようだった。異国の伯爵家とこの家の令嬢にどのような関係があるのかは、き
っと知らない方がいいんだろうな。どうせ何かしら後ろ暗いに決まってるんだから。

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2007/06/21 02:29 | Comments(0) | TrackBack() | ▲紫陽花

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