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人物:まめ子 アダム ランディ
場所:ソフィニア裏路地
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咄嗟に反応したアダムは、これ以上の異常事態を起こさない為の処置を施し
た。即ち、即座に小箱を両手で押さえ付けたのだ。
「あっぶねぇ~。危うく、開いちまう所だった……」
何とか危地を脱したアダムは、徐に垂れてもいない額の汗を拭う素振りを見
せた。ひょっとしたら本当に冷や汗をかいていたのかもしれないが。上から滝
の如く垂れてくる鼻水はそのままだが。
「す、すいませぇん。大丈夫ですか? ……生きてて良かった」
唐突にアダムの頭上から声が降ってきた。
見るとアダムの背中の上に二本足を揃えて屈んでいる緑の髪の男がいた。男
の姿は、一目見て普通では有り得なかった。肩の所で丁度切り揃えている緑色
の髪の毛の合間からは尖がり耳が飛び出ている。一見エルフの様にも見える
が、その金色の瞳から発せられる魔力のようなものと額に刻印されている
“印”を見て取ると、どうやら違うようである。
「ごめんじゃない! 危うく小箱が開きそうになっただろ!」
正直初対面の人物を、それも只ならぬ人物をいきなり怒鳴りつけるのはどう
かと思ったアダムだが、声の主自身がアダムの背上から降りようともせずに声
を掛けてきたのだから仕様が無いといえば仕様が無い。だが、第一声としては
間違っていた。正直、「早く上から退いてくれ」と言うべきだったと本気で悔
やんだ。変人だと思われただろうか、アダムは真剣に思い悩んだ。
「本当にすいません。でも、小箱は無事のようですよ?」
男は相も変わらずアダムの背上からは降りようともせずに、小箱を指差して
いった。まるで悪びれる様子も無い。天然なのか何なのか、男は本当にすまな
そうにひたすら平身低頭するばかりである。
「じ、事実は事実だけど、そんな事は如何でも良いから早く俺の背中から降り
てくれないかなぁ」
アダムは、少しいらつきを見せて言ってみる。
案の定、男は慌ててアダムの背中から降り立った。
「す、すいません! だ、大丈夫でしたか!? お怪我は有りませんでした
か?」
にこやかに微笑んで手を差し伸べる緑髪の男に、アダムは何となく親近感を
抱いてしまった。何となく、何となくだがこの男は自分と同じ穴の狢[むじな]
なのではないかと。何故か自分と同じ者を感じずにはいられなかったのだ。
呆然としているアダムに、何処を如何勘違いしたのか緑髪の男はいきなり自
己紹介を始めた。
「あ、申し遅れました。私、ランディ・フォルネウス=タングスと申します。
しがない魔王秘書なんぞをやっております。あ、ランディで結構です。故有っ
て今はこの世界に落とされてしまいましたが……あの、本当に大丈夫ですか?
お怪我はありませんか?」
一瞬、「魔王秘書」という部分に拒絶反応を見せかけるアダムだったが、本
気で心配して覗き込んでくる奴に悪い奴はいない、と気を取り直した。何かの
聞き違いかもしれないし。それよりも今の自分の置かれている状況を打開する
方が先決だと、アダムは悟って差し伸べられた手を握ってしまった。これでも
うこのお人好しな「魔王秘書」から逃れる術を見失ってしまったのだと気付い
た時には、後の祭りだった――。
「俺はアダム。見ての通りの剣士だよ」
◇◆◇
いっしゅん、ひかりがみえたきがした。
いっしゅん、ほんのいっしゅんだったわ。
わたしがきがついたときにはもう、そのひかりはきえていたけれど、わたし
にとってそれはきぼうのひかりのようにみえたの。このさき、なにがおころう
ともなんとかなるって、なんとなくだけどそんなゆうきがわいてくるようなひ
かりだったわ。
◇◆◇
巨大な門扉が目前に聳え立っていた。
アダムは今、依頼人の館の前に立っている。依頼人に会うためだ。義理だと
か義務だとかの問題でなく、あのイカレ帽子屋[マッド・ハッター]の依頼を受
けるつもりだった。今の彼にはそれしかないし、金が底をつきかけていること
に不安を感じてもいたからだった。
途中噴水広場に立ち寄って噴水の水で鼻水で汚れた体とか顔とかを洗い流し
てから、辻を四つほど曲がって来たから、随分と時間が経過してしまってい
る。今は昼を少し回った頃だろうか。
「で、何でお前は付いて来るんだよ」
アダムは振り向かず、緑髪の魔王秘書に文句をつける。
「いやだって、他に行く当てもありませんし」
にこやかに微笑んで、ランディは応じた。
アダムは深い深い溜息をついた。お喋りな剣に何だか変てこな植物の種子、
その上こんな変な奴にまで付き纏われたらと思うと、自分の前途に不安を感じ
るアダムだった。しかし、諦めるべき時に諦めるしかない。ここ数日間のうち
に学んだ精一杯の学習能力だった。
『あら? どうしたの? 溜息なんかついちゃって★
面白くなりそうだってのに』
「面白がっているのはお前だけだロ」
シック・ザールのいつもの無責任な台詞に、小声で切り返す。自分だけにし
か聞えない剣の声にいちいち返答している自分の姿を見られて変人だと思われ
たくない、アダムにとって精一杯の抵抗だった。もう遅いだろうが。
「どうしたんですか? 剣とお話しちゃって。……おや、その剣、面白いです
ねぇ。ちゃんと意思を持ってる」
「!?」
徐に覗き込んでごく普通に普通じゃない台詞を吐いたランディに、驚きの眼
差しを向けるアダム。自分以外には聞えない声で語り掛けるシックザールを一
目見て、意思のある剣だと言い当てたのだ。普通の人間ではありえない事だ。
故に普通の人間では無いという事に、改めて気付かされるアダムであった。
「お、お前……何者だ?」
「先程自己紹介した筈ですが?」
「い、いや、そーゆー意味じゃなくて……まぁ、この際どーでもいいか。そん
な事。それより俺はこの館に用がある。あんたは……ランディさん、だっけ?
どうする?」
「どうする、と申しますと?」
苦肉の策でこれまでの経緯を無かった事にしようと試みたアダムの苦労など
考えても見なかったように、ランディは満面の笑顔で聞き返した。まるでこれ
から先二人で生きて行こう、とでも言いたげな笑顔だった。
「あ、あ、あ……」
「何をやっているんです? 人の家の前で」
ランディを指差しながら思考を言葉に出来なくて固まっているアダムの背後
から、突如声が掛けられた。声の調子から、男のものだと判る。
「あんた、誰や!?」
アダムの指先の矛先が百八十度回転して、背後にいる人物に変わる。何故か
地方の鉛が出てしまっていた。それほど動揺していた、ということだろう。
「私、ですか? 私は、ル・グラン=マジエと申します。グランで良いです
よ。あなた方は?」
ル・グラン=マジエと名乗った青年はは両手一杯に本を抱えていた。見ると
どれも著名な魔導書ばかりである。
「あ、俺……僕はアダムといいます。依頼を受けて来たのですが……」
正直、アダムは戸惑っていた。偶然にしても、こんな所で依頼人と出会って
しまうとは。普通では考えられない事だった。同時に依頼人はおとなしく家の
中にでも居やがれ、とも思った。思うだけで口には出さなかったが。
「あ、私はランディと申します。まおう……ぐぇっ」
釣られてランディも自己紹介を始める。彼が言い終える暇も与えず、足を踏
んで言葉を遮るアダム。その行為には、これ以上変人扱いされて堪るかと言う
決意の念が込められていた。
「あ、ところで、何処へ行っていたんです?」
何かを誤魔化すかのごとく、話題を変えてみるアダム。
当の依頼人は、その題目変更に嬉々として乗って来た。
「クックック。良い事を聞いてくれました。本がね、本が私を呼んでいたの
で、ちょっと買出しに行っていたんですよ。いやぁ、お陰で良い本が買えまし
た。クククッ」
片手を上げ、さり気なくポーズを取って楽しそうに言うマジエ氏。その瞳は
幼年期のそれを思わせるほど、キラキラ光り輝いている。
誰のお陰かと、アダムは危うく突っ込みそうになったが何とか堪えた。
再び増えた変人に、これから受けるであろう依頼の前途を思い遣り、アダム
はうんざりした面持ちで今日何度目かの溜息を吐いた。
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