PC:真田冬留(さなだとうる)/香織
性別:男
性格:沈着冷静でいて他人事に首を突っ込むのが好き。
年齢:15歳
場所:クーロン
NPC:ザザの影法師/死なずのカーネル
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
冬留-3 【第二の悪魔、本当の願い】
急に道を引き返し始めた香織の行動のワケは冬留にもわかった。
アレだ。
コンビニ前でよく見るようなゴロツキだ。
ただ方向転換した所でそれがなんの意味もない行動だという事に気づいて、
冬留は足を止める。
いくら年下、15歳、中学三年生とはいえ冬留は傍目には大学生でも通る体格
の男だ。
手を引いている相手が急に止まったので、香織は思わずつんのめりそうにな
りながらも体勢を立て直して。
「冬留君…! 駄目よあーいうのに関わっちゃ…」
「小声で言っているとこ申し訳ないですけど香織さん。
ぜんっぜん意味がないです」
首だけ振り返った香織に至極冷静な態度で冬留が突っ込む。
「…?」
「こういうとこってアレですよ。なんていうか例えたら袋小路っていうか。
ほら日本でも恐喝現場とかって場所が大抵特定されてるでしょう」
「…?」
「ですからああいうのって獲物が逃げた時のために反対側にも味方をおいとく
んですよ。
ゴロツキってそういう方向には頭の回る人種ですから。
現に香織さん。
俺達が引き返そうとしてる道って何が見えます?」
「……? 普通の旅人さんらしき人が歩いてくるけど?」
「普通の旅人が護身用に隠し持ってるならともかく白昼堂々ナイフ片手に道闊
歩してるワケがないでしょう」
「………あ」
そこで香織も気が付いた。
前方の歩いてくる男はにこやかな笑顔でいるものの、片手には確かに大振り
のナイフを握っている。
一種異様な光景だ。
「…ま、向こうは一人なので。
香織さん。何も考えずにさっき向かおうとしていた道の方向にダッシュ」
「はぁ!?」
相変わらず冷静な顔で淡々と、しかも敵が一人しかいない道ではなくゴロツ
キのたむろしている方の道へ向かって走れと言い出した冬留に香織はワケが判
らない。
「いいからダッシュ。向こうが増えない…もとい降りてこない内に。
逃げるが勝ちです」
「降り…?」
「確かに道を歩いていたのは一人ですけど道の両端の壁の上にお仲間が沢山い
るんです。
普通にあっち突っ込んだら上から襲いかかられますよ」
「嘘っ…!」
「本当です。なので数の少ない方から逃げましょう。
香織さんは気にせず突っ走ってていいですよ。向かってきた奴は俺がどうに
かしますから」
「え?」
「いいから走る!」
「は…はいっ!」
とはいえ二人が向かっている道の先にはもうゴロツキ達が何人も武器を持っ
てスタンバイしている。
(突っ走れって…無理よー!)
そう思った香織の腰をいきなり片腕で抱えて、ひょいと持ち上げたのは冬留
だ。
「…へ?」
「香織さん。受け身取って下さいね」
「…はい?」
香織を持ち上げたまま走る冬留の言葉に、香織はついていけない。
が、冬留が持ち上げた香織の身体を上で固定して足は止めないまま腕に力を
込めたのが判って、香織はまさかと顔を引きつらせる。
「そこの人上手く受け止めて下さいね!」
「うっ…きゃー!」
予想は当たって欲しくないものほど当たる。
冬留はあろうことか木箱の上で二人を待ち受けていたゴロツキの一人に向か
って、思い切り香織の身体を放り投げたのだ。
さながら砲丸投げのように。
「っげ!」
向こうもまさか仲間(それも女)を投げてくるとは予想だにして(そりゃ普
通誰もそんな事態は予想しない)いなかった為持っていた武器を落として咄嗟
に香織を受け止めてしまう。
が、女とはいえ人一人を受け止めた為男はバランスを崩して木箱から足を滑
らせ…。
「そこ女の人庇って!」
「おう! …あれ?」
冬留の声というか命令に木箱から落下しながら咄嗟に香織が怪我をしないよ
う腕の中に庇ってしまってから男は行動の矛盾に気が付くのだが時既に遅し。
香織を庇った為に自分の方はお留守になった男はそのまま石畳に頭をぶつけ
て昏倒した。
「てめっ…!?」
「遅いし」
その一部始終を見届けてしまってから(だって普通襲っている側の自分達に
味方を投げて来る奴がいるなんて誰も思わないだろう)、残りの男達は冬留の
方へと向き直った。
のだが姿がない。そう思った直後に、男の一人の顔面に靴底がめりこんだ。
男の一人がまた昏倒して地面に横たわる。
冬留だ。他の男達が香織に注意を取られている間に一気に懐まで入って来て
いたのだ。
彼に気づいた二人の男が同時に両側から拳を突き出してきたが、当たる前に
冬留が気軽にひょいと屈んだので、二人のゴロツキはお互いの拳がお互いの顔
に入って自滅する。
「ナイス。あれだ。クロスカウンターってこういうのかな…違う。それは蹴り
だった」
などと言いながら背後から振り下ろされた鉄パイプを見もせずに、冬留は石
畳を軽く蹴る。
「しとめっ…あ?」
目標を失って石畳を削った鉄パイプ。
男が咄嗟に上を見る。
そこにはさながらサーカスのクラウンのように上空を舞う姿。
気づいた時には遅い。回転して宙を飛んだまま男の頭に足を振り下ろして、
それでKOになった男の頭を足場に冬留は木箱の上に着地する。
「あ、香織さん無事?」
それから呑気に問いかけられて、香織は言葉が出ない。
冬留がこの世界の人間ならば納得もした。
が、冬留は自分と同じ異世界人で、しかも子供で見た目には痩身の優男だ。
「あ、しまった。向こう壁の上の人達が来てしまった。
香織さん向こうの道にダッシュ」
言いながら冬留も木箱から飛び降りると香織の手を一瞬だけ引っ張って、ゴ
ロツキ達が既に倒れ伏した道を曲がり、別の路地へと出る。
「…あ」
「あ、本当に袋小路…」
選んだ道が悪かった。行き止まりだ。
「…いや、香織さん上行ける」
「え?」
「木箱積んでありますからそこ登って壁の反対側に」
「壁の反対側に何もなかったら降りられないわよー!
っていうか冬留君って何者ー!?」
「普通の男子中学生ですよ」
「普通の中学生はあそこまで喧嘩慣れしてないー!」
「喧嘩慣れしてませんよ。
ただバイトでやってたのが役に立っただけで…」
「は?」
「とか言ってる間に来ちゃいましたよ。
…あ、丁度いい所に。
じゃ論より証拠という事で」
「…え? はしご持ち出してなにするの?」
「壁の上の人には手が届きませんのでこうするんですよ」
地上を走ってくる数人の男を無視して冬留は道の中央にはしごを立てると、
なんの支えもないそれに足をかけた。
「ちょっ…!」
「香織さんは木箱の上登って避難。
ほら見た事ないですか?
サーカスでよくある支えのないはしごの上でのバランス芸…!」
そのまま一気に支えのないはしごを駆け上ると冬留はその天辺に手を付いて
いつのまに拾ってきたのか先程ゴロツキが落とした鉄パイプを二本片手に持っ
て、足の一閃でバランスを崩し壁の上から落ちた一人の男を無視してその後に
続く男達に不安定なはしごの上で笑みさえ浮かべてその鉄パイプを投げる。
「あ…、そうだ!
サーカスのアレ!」
思い出したという風に叫んだ香織の目の前で、冬留が投げた鉄パイプに当た
り壁から落下していく男達を横目に、冬留は先程のように宙で反転すると軽い
音を立てて地上に降り立つ。
「そう!
『フリースタンディングラダー』!」
「正解香織さん」
言いながらぱしんと、落ちてきた鉄パイプを片手で受け止めて、冬留はうち
一本を向かって来ていた男の顔面に投げつけてから、振り返って木箱の上の香
織に口元だけで微笑む。
「ま、こんな感じで」
「うわ…うっわすっごい冬留君!
本物のサーカスみたい!」
「お褒めにあずかり光栄です。
俺学校に内緒でサーカスのクラウンのバイトやってるんですよね。
まあよもやこんな場所で役立つとは思いませんでしたけど」
「あー道理で身のこなしが普通じゃないと思った………。
……って、なんであの人達は固まってるの?」
と木箱の上から降りて香織が指さしたのは同じく自分達を追いかけて来たは
ずの男達だ。
だがどう見ても走っている途中で時でも止められましたという風に不自然な
格好で固まっている。
それに冬留はため息混じりで。
「……ザザ?」
「ナーニトール!?」
「きゃっ出た!」
「デタってナニおネエさん? ボクはねー」
「説明はうるさいからどうでもいいから。
…お前の仕業だろうザザ?」
「ウン。だってトールにゼンブまかせチャッタらボクのタチバってモノがない
ジャン!」
「…お前…俺が呼ばない限り出てこないんじゃなかったのか…」
「臨機応変ジャン!」
「それをお前が使うな」
「……あ、あの?」
「ああ、香織さんは知らないですよね。
こいつには人間の影を操って動けなくしたり操ったりっていう事が出来
る…。
つまるところ悪魔です。
ほら、固まってる人達の影にこいつの顔と同じ三日月型の口が浮かんでるで
しょう?」
「……あ、本当だ。
…? でも冬留君。こんな事が出来るならわざわざ戦わなくってもよかった
んじゃ…」
「…それもそうですけど…。
こいつは何処まで信用していいのか判りませんから。
自分で対処できることは自分でやっておかないと見放された時にえらい目に
遭いますからね」
「ミハナスってヒドイなトール!」
「悪魔をそう簡単に信用できるわけがないだろう。
こっちの基準で考えてくれよお前も」
「……ま、そダネ。
ボクだって他のヤツラなんて信用出来ないー!」
「ほら見ろ。
それにお前の事だから宿主の俺は守っても香織さんは放っておきそうだった
からね」
「だってボクがタスケタってボクにトクがないジャン!」
「…ね? だからこいつに頼りたくなかったんですよ」
「………その気持ちはわからないでもないわ」
「…でしょう?
…?
ちょっと待てザザ。お前さっきの言い方だと本当にお前以外に悪魔がいるよ
うな話になるんじゃ」
冬留の言葉が終わるより早く、なにか肉を裂くような嫌な音がした。
一瞬、冬留と香織は何が起こったのか理解できなかったが、現実にはザザに
影を止められて動けないはずの男の一人がいつの間にか冬留の背後にいて、そ
の背中にナイフを突き刺したのだ。
「………っ!」
ずるっと冬留の背からナイフが引き抜かれる。
そのまま香織の身体に倒れ込んだ冬留の背中からは血が噴き出していて、そ
の刃渡り七?はあるナイフが突き刺さっていた場所はよりにもよって心臓の位
置だ。
「……と、冬留く…!?」
続けて信じられない事が起こる。
冬留を刺した男がそのまま持っていたナイフでいきなり自分の首をかき切
り、自殺したのだ。
「……っ」
「……ザ……ザ……おま…え…………」
「…あ…冬留君!」
「…だ、から…………いつ…裏切るか…わから…な」
その後も途切れ途切れに何かを言おうとした冬留だったが、急に力が抜けた
ようにその身体が意志を失う。
咄嗟に抱き留めてから、香織は既に彼の息がないことに気づいて蒼白になっ
た。
「………あ」
「心配無用ジャン!」
「…あ、…貴方!
冬留君の味方じゃ…彼は貴方の主じゃなかったの!?」
「そのトオリジャン」
「じゃあなんで…っ!」
「ロンよりショーコだよ! トール言ってたジャン!
ボクの他に悪魔がいるかどうかって!
だからショーコを見せるタメにやったジャン!
心配しなくてもトールはダイジョウブジャン!」
「…、い、生きてるの?」
「死んだに決まってるジャン!
このサキはボクじゃないヤツのカンカツジャン!」
「ま、心臓貫かれて生きてる人間がいたらそれはむしろ異常だからな」
その声は、冬留のものではなかった。
香織が気が付けば、既にその場に他の男達の姿はなく。
ただ佇んでいるのは、黒髪に金色の瞳をした20歳前後の青年。
ただし、何故か喪服姿の。
その手には冬留を殺した奴が持っていたナイフ。
「初めまして。お嬢さん。
宿主より先に別の人間に挨拶するのはまあ俺は別段珍しい事じゃない」
「……や、どぬし? …って」
「お察しの通り。
“ザザの影法師”言うところの信用できない他の管轄の悪魔。
って奴さ。俺はね」
「…あく、…え?」
「説明は後だ。
俺は説明は一度で済ませたいんだ。
今説明しちゃったら宿主が生き返ってからまた説明のやり直しだろ?
だから、」
そう言った男の手が冬留の頬をなでて、額にすっと指を這わす。
そこから突然、一滴の血がこぼれ落ちたのを男は器用に右手の人差し指で受
け止めるとそれを口に含み、冬留に口づけた。
「……、」
言葉のでない香織を余所に、男はこれでOKと呟き、冬留の身体を引き寄せて
強引に立たせると軽く揺すった。
「おい宿主。やーどぬし!
起きろ」
「…お、起きろ…って彼は…!」
「死んだな。けど生き返る。
…ほれ」
気づけば男は冬留を支えてはいなかった。
ただそこに立たされているようにしか見えない冬留が数度、瞳を瞬かせてか
ら自分の現状に気づいたように目を見開いて自分の心臓に手を当てた。
「と……冬留君…?」
「…あ、香織、さん…?
俺……は」
「死んで、生き返った。
それが一番手っ取り早い説明。というかそれが現実であり事実だ。
グンモーニン。
初めまして。宿主」
「……や、ど?」
「影法師からなんも聞いてないのか?
ほらお前死ぬ前に“他に悪魔はいるのか”的ニュアンスの言葉を口にした
ろ?
したら影法師の奴が“論より証拠”って影で操った人間でお前殺したんだ
よ。
そっからの管轄は俺の役目。此処まではいいか?」
「…なんか詰め込んでてよくわからないが…。
…ザザ…お前が俺を裏切ったっていうのは」
「ウラギってないジャン!
ダッテこうしナキャこいつデテこない!
トール勘違いしてる!」
「何の勘違いだよ」
「まあそれは後にして自己紹介させてくれ。
俺はそいつとおんなじ悪魔で、真田冬留。
お前を宿主としてる存在だ。
名前は“死なずのカーネル”
名の通り、宿主を生き返らせたり出来るってのが俺の能力な」
「で、トールが勘違いシテルのはトールはボクだけの宿主になったってオモッ
テルこと!
それフセイカイ。
トールが開いた本。ボクやそこのカーネルを含めて七匹の悪魔が封じられて
た。
それを開いた」
「真田冬留。
お前は自動的にその七体の悪魔の宿主になるよう設定されてるんだ。
詳しい事はその本呼び出して読んでみな。
とりあえず俺は宿主、お前に回数付きの不死を与える」
「…回数…付き?」
「そ。完全な不死はあり得ない。
だから回数付きだ。
これからは宿主は死んでも生き返る事が出来る。
それが俺が与えた力だからな。
でも回数付きってんだからその生き返る回数にも限りがある。
その辺頭に入れて有効活用しろよ」
そう言って男…いや悪魔“死なずのカーネル”は闇に溶けるように姿を消し
ていく。
「でも注意しな。
俺達は宿主に生きててもらわなきゃ困る。
無駄に生き返りの回数券を使うなよ」
その声は反響し、やがて消えた。
「そして、俺達七つの悪魔は」
「当然のように仲が悪いんだ」
それが第二の悪魔の、その場での最後の言葉だった。
「…な…………ちょっと待て。
冗談じゃないぞザザだけでもいい迷惑なのに他にもいるって?
七? ……まさか」
「……冬留、君」
くるりと背後に浮かぶザザを見上げて、もう冷静さを取り戻した顔で問いか
ける。
「俺がこの世界に呼ばれたのは…理由は、お前達を復活させる為か。
そうだな?」
その言葉にザザは口をぐにゃりと曲げて笑い、『だからトール大好きジャ
ン』と言った。
夜。街の宿屋。
夕食を終えて、二人はそれぞれの部屋に戻った。
香織はもう少しなにか話さないかと言ったのだけど、冬留は眠いからと言っ
て断った。
本当はまだ眠くない。おやすみなさい、そう言って扉を閉めた冬留に同じ言
葉を掛けて廊下を歩いていく彼女の足音を耳に呟いた。
「……さよなら。香織さん」
同じ世界の人に出会えた事は、嬉しかった。
それは事実だった。
彼女が嫌いなわけじゃない。
邪魔だってわけじゃない。
むしろ何故か不思議な好意すら持ってしまうからこそ。
香織とは。
離れた方がいい。
そう思った。
自分の部屋で呼び出して開いたあの本。
ただの洋書だったはずのそれは。
見たこともない文字で綴られた代物に変わっていた。
ただ自分がその封印を解いた人間だからなのか。
その文字も何故か冬留には読む事が出来た。
「…此処に、七つの大罪を架す悪魔を封じる…。
それを解き放つ者には罪と罰を…」
“七つの悪魔を内包せよ。それが汝の罪である”
そこにはその七つの悪魔の名も記されていた。
『ソロモンの魔女』
『ザザの影法師』
『死なずのカーネル』
『鬼女 清姫』
『顔無しのドッペルゲンガー』
『ブラッディマリア』
『 』
ただし、何故か七番目の悪魔の名前だけが空白だった。
わかっている事は、自分は多分、一人でいた方がいいって事。
香織さんを一人にするのも充分危険だとは思うが、自分といるよりはマシだ
ろう。
他の、姿をまだ見ていない悪魔達が彼女になにをするかわからない。
ザザでさえ充分危険なのだ。
『香織さんへ
一時でも共に旅を出来た事。
会えた事を喜ばしく思います。
けれど俺は貴方と共には行けません。
いつ貴方に被害が及ぶかわからない。
香織さんならきっと他に手を貸してくれる人が現れるでしょう。
俺は大丈夫です。
一人には慣れていますし、今のところ味方であろう悪魔達もいます。
会えた事は本当に嬉しかった。
でもさようならです。
お互い、元の世界に帰れる事を信じましょう。
真田冬留』
部屋のテーブルの上には一枚の置き手紙。
開かれたままの窓から見える夜空の月。
部屋は二階で、クラウンのバイトをやっていた冬留には飛び降りてそこか
ら、今はもう眠っているだろう彼女に内緒で抜け出す事など簡単で。
だが宿屋から数メートルも離れないうちに、冬留は急な睡魔に襲われる。
「……な…………」
もちろん睡眠薬なぞ飲んではいない。
だがその睡魔は強力で、強制的に冬留を眠りへと誘う。
意識が霞みがかってきた。
「……だ…め………離れ……ない…と」
きっと彼女を傷つける。
もうろうとした思考でそう思いながら、冬留は何故。
同じ世界の人間とはいえ出会って一日も経っていない香織の事をこれほどま
でに心配するのか、ふと不思議になった。
どんどんぼやけていく頭。
その中でようやく気づく。
まだ、自分が『深崎夏樹』だった頃。
大好きで、よく慕って自分が懐いていた。
一緒に遊んでくれた従姉妹のお姉さん。
従姉妹と言ったって、自分は養子だったのだから血の繋がりなどないけれ
ど。
幼心に大好きだったお姉さん。
『なっつきー! 行こ!』
明るい声で、いつも自分の手を引いてくれた。
ああ、そっか。
香織さん…、似てるんだ。
その、今はもうどうしているかもわからないお姉さんに。
だから心配だったんだ。
「……お……姉……ちゃ」
名前…なんて言ったっけ。
ごめんお姉ちゃん…。
……思い出せない。
ごめん…。
「副作用を説明し忘れてたな」
完全に眠りに落ちた冬留を抱えて、あの“死なずのカーネル”は夜の中で笑
った。
「生き返る度にその反動で深い眠りに落ちるってのを宿主に言い忘れてた…。
……さて?」
見上げた宿屋の、香織の部屋にはいつの間にか明かりが点いている。
「……お前は本当は逃げたいのか。誰かの側にいたいのか。
どっちだ宿主?
副作用を言い忘れてた詫びに、その程度の願いなら叶えてやるよ」
皆、自分を落ち着いてると。冷静だって言うけれど。
本当はそんなに大人じゃない。
自分の事だって自分で信じていやしないんだ。
本当はただ、……独りになってもいいから『夏樹』のままでいたかった。
「……逃げる事が望みなら此処から遠くの場所に運んでやる。
でも……『夏樹』である事が望みなら…」
もうすぐ、多分。
香織はあの置き手紙に気づくだろう。
「………誰かの側にいる事が本当の願いじゃないのか?」
馬鹿な宿主だ。
大人びたようで、本当はまだ幼い。
自分の本当の願いすら口にも出来ないような。
馬鹿な宿主だ。
そしてカーネルは何故か自嘲のような笑みを浮かべるとその場から消えた。
宿主をその場に残して。
『どうして封印を解く者がお前じゃなければいけなかったか判るか? 宿主』
性別:男
性格:沈着冷静でいて他人事に首を突っ込むのが好き。
年齢:15歳
場所:クーロン
NPC:ザザの影法師/死なずのカーネル
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
冬留-3 【第二の悪魔、本当の願い】
急に道を引き返し始めた香織の行動のワケは冬留にもわかった。
アレだ。
コンビニ前でよく見るようなゴロツキだ。
ただ方向転換した所でそれがなんの意味もない行動だという事に気づいて、
冬留は足を止める。
いくら年下、15歳、中学三年生とはいえ冬留は傍目には大学生でも通る体格
の男だ。
手を引いている相手が急に止まったので、香織は思わずつんのめりそうにな
りながらも体勢を立て直して。
「冬留君…! 駄目よあーいうのに関わっちゃ…」
「小声で言っているとこ申し訳ないですけど香織さん。
ぜんっぜん意味がないです」
首だけ振り返った香織に至極冷静な態度で冬留が突っ込む。
「…?」
「こういうとこってアレですよ。なんていうか例えたら袋小路っていうか。
ほら日本でも恐喝現場とかって場所が大抵特定されてるでしょう」
「…?」
「ですからああいうのって獲物が逃げた時のために反対側にも味方をおいとく
んですよ。
ゴロツキってそういう方向には頭の回る人種ですから。
現に香織さん。
俺達が引き返そうとしてる道って何が見えます?」
「……? 普通の旅人さんらしき人が歩いてくるけど?」
「普通の旅人が護身用に隠し持ってるならともかく白昼堂々ナイフ片手に道闊
歩してるワケがないでしょう」
「………あ」
そこで香織も気が付いた。
前方の歩いてくる男はにこやかな笑顔でいるものの、片手には確かに大振り
のナイフを握っている。
一種異様な光景だ。
「…ま、向こうは一人なので。
香織さん。何も考えずにさっき向かおうとしていた道の方向にダッシュ」
「はぁ!?」
相変わらず冷静な顔で淡々と、しかも敵が一人しかいない道ではなくゴロツ
キのたむろしている方の道へ向かって走れと言い出した冬留に香織はワケが判
らない。
「いいからダッシュ。向こうが増えない…もとい降りてこない内に。
逃げるが勝ちです」
「降り…?」
「確かに道を歩いていたのは一人ですけど道の両端の壁の上にお仲間が沢山い
るんです。
普通にあっち突っ込んだら上から襲いかかられますよ」
「嘘っ…!」
「本当です。なので数の少ない方から逃げましょう。
香織さんは気にせず突っ走ってていいですよ。向かってきた奴は俺がどうに
かしますから」
「え?」
「いいから走る!」
「は…はいっ!」
とはいえ二人が向かっている道の先にはもうゴロツキ達が何人も武器を持っ
てスタンバイしている。
(突っ走れって…無理よー!)
そう思った香織の腰をいきなり片腕で抱えて、ひょいと持ち上げたのは冬留
だ。
「…へ?」
「香織さん。受け身取って下さいね」
「…はい?」
香織を持ち上げたまま走る冬留の言葉に、香織はついていけない。
が、冬留が持ち上げた香織の身体を上で固定して足は止めないまま腕に力を
込めたのが判って、香織はまさかと顔を引きつらせる。
「そこの人上手く受け止めて下さいね!」
「うっ…きゃー!」
予想は当たって欲しくないものほど当たる。
冬留はあろうことか木箱の上で二人を待ち受けていたゴロツキの一人に向か
って、思い切り香織の身体を放り投げたのだ。
さながら砲丸投げのように。
「っげ!」
向こうもまさか仲間(それも女)を投げてくるとは予想だにして(そりゃ普
通誰もそんな事態は予想しない)いなかった為持っていた武器を落として咄嗟
に香織を受け止めてしまう。
が、女とはいえ人一人を受け止めた為男はバランスを崩して木箱から足を滑
らせ…。
「そこ女の人庇って!」
「おう! …あれ?」
冬留の声というか命令に木箱から落下しながら咄嗟に香織が怪我をしないよ
う腕の中に庇ってしまってから男は行動の矛盾に気が付くのだが時既に遅し。
香織を庇った為に自分の方はお留守になった男はそのまま石畳に頭をぶつけ
て昏倒した。
「てめっ…!?」
「遅いし」
その一部始終を見届けてしまってから(だって普通襲っている側の自分達に
味方を投げて来る奴がいるなんて誰も思わないだろう)、残りの男達は冬留の
方へと向き直った。
のだが姿がない。そう思った直後に、男の一人の顔面に靴底がめりこんだ。
男の一人がまた昏倒して地面に横たわる。
冬留だ。他の男達が香織に注意を取られている間に一気に懐まで入って来て
いたのだ。
彼に気づいた二人の男が同時に両側から拳を突き出してきたが、当たる前に
冬留が気軽にひょいと屈んだので、二人のゴロツキはお互いの拳がお互いの顔
に入って自滅する。
「ナイス。あれだ。クロスカウンターってこういうのかな…違う。それは蹴り
だった」
などと言いながら背後から振り下ろされた鉄パイプを見もせずに、冬留は石
畳を軽く蹴る。
「しとめっ…あ?」
目標を失って石畳を削った鉄パイプ。
男が咄嗟に上を見る。
そこにはさながらサーカスのクラウンのように上空を舞う姿。
気づいた時には遅い。回転して宙を飛んだまま男の頭に足を振り下ろして、
それでKOになった男の頭を足場に冬留は木箱の上に着地する。
「あ、香織さん無事?」
それから呑気に問いかけられて、香織は言葉が出ない。
冬留がこの世界の人間ならば納得もした。
が、冬留は自分と同じ異世界人で、しかも子供で見た目には痩身の優男だ。
「あ、しまった。向こう壁の上の人達が来てしまった。
香織さん向こうの道にダッシュ」
言いながら冬留も木箱から飛び降りると香織の手を一瞬だけ引っ張って、ゴ
ロツキ達が既に倒れ伏した道を曲がり、別の路地へと出る。
「…あ」
「あ、本当に袋小路…」
選んだ道が悪かった。行き止まりだ。
「…いや、香織さん上行ける」
「え?」
「木箱積んでありますからそこ登って壁の反対側に」
「壁の反対側に何もなかったら降りられないわよー!
っていうか冬留君って何者ー!?」
「普通の男子中学生ですよ」
「普通の中学生はあそこまで喧嘩慣れしてないー!」
「喧嘩慣れしてませんよ。
ただバイトでやってたのが役に立っただけで…」
「は?」
「とか言ってる間に来ちゃいましたよ。
…あ、丁度いい所に。
じゃ論より証拠という事で」
「…え? はしご持ち出してなにするの?」
「壁の上の人には手が届きませんのでこうするんですよ」
地上を走ってくる数人の男を無視して冬留は道の中央にはしごを立てると、
なんの支えもないそれに足をかけた。
「ちょっ…!」
「香織さんは木箱の上登って避難。
ほら見た事ないですか?
サーカスでよくある支えのないはしごの上でのバランス芸…!」
そのまま一気に支えのないはしごを駆け上ると冬留はその天辺に手を付いて
いつのまに拾ってきたのか先程ゴロツキが落とした鉄パイプを二本片手に持っ
て、足の一閃でバランスを崩し壁の上から落ちた一人の男を無視してその後に
続く男達に不安定なはしごの上で笑みさえ浮かべてその鉄パイプを投げる。
「あ…、そうだ!
サーカスのアレ!」
思い出したという風に叫んだ香織の目の前で、冬留が投げた鉄パイプに当た
り壁から落下していく男達を横目に、冬留は先程のように宙で反転すると軽い
音を立てて地上に降り立つ。
「そう!
『フリースタンディングラダー』!」
「正解香織さん」
言いながらぱしんと、落ちてきた鉄パイプを片手で受け止めて、冬留はうち
一本を向かって来ていた男の顔面に投げつけてから、振り返って木箱の上の香
織に口元だけで微笑む。
「ま、こんな感じで」
「うわ…うっわすっごい冬留君!
本物のサーカスみたい!」
「お褒めにあずかり光栄です。
俺学校に内緒でサーカスのクラウンのバイトやってるんですよね。
まあよもやこんな場所で役立つとは思いませんでしたけど」
「あー道理で身のこなしが普通じゃないと思った………。
……って、なんであの人達は固まってるの?」
と木箱の上から降りて香織が指さしたのは同じく自分達を追いかけて来たは
ずの男達だ。
だがどう見ても走っている途中で時でも止められましたという風に不自然な
格好で固まっている。
それに冬留はため息混じりで。
「……ザザ?」
「ナーニトール!?」
「きゃっ出た!」
「デタってナニおネエさん? ボクはねー」
「説明はうるさいからどうでもいいから。
…お前の仕業だろうザザ?」
「ウン。だってトールにゼンブまかせチャッタらボクのタチバってモノがない
ジャン!」
「…お前…俺が呼ばない限り出てこないんじゃなかったのか…」
「臨機応変ジャン!」
「それをお前が使うな」
「……あ、あの?」
「ああ、香織さんは知らないですよね。
こいつには人間の影を操って動けなくしたり操ったりっていう事が出来
る…。
つまるところ悪魔です。
ほら、固まってる人達の影にこいつの顔と同じ三日月型の口が浮かんでるで
しょう?」
「……あ、本当だ。
…? でも冬留君。こんな事が出来るならわざわざ戦わなくってもよかった
んじゃ…」
「…それもそうですけど…。
こいつは何処まで信用していいのか判りませんから。
自分で対処できることは自分でやっておかないと見放された時にえらい目に
遭いますからね」
「ミハナスってヒドイなトール!」
「悪魔をそう簡単に信用できるわけがないだろう。
こっちの基準で考えてくれよお前も」
「……ま、そダネ。
ボクだって他のヤツラなんて信用出来ないー!」
「ほら見ろ。
それにお前の事だから宿主の俺は守っても香織さんは放っておきそうだった
からね」
「だってボクがタスケタってボクにトクがないジャン!」
「…ね? だからこいつに頼りたくなかったんですよ」
「………その気持ちはわからないでもないわ」
「…でしょう?
…?
ちょっと待てザザ。お前さっきの言い方だと本当にお前以外に悪魔がいるよ
うな話になるんじゃ」
冬留の言葉が終わるより早く、なにか肉を裂くような嫌な音がした。
一瞬、冬留と香織は何が起こったのか理解できなかったが、現実にはザザに
影を止められて動けないはずの男の一人がいつの間にか冬留の背後にいて、そ
の背中にナイフを突き刺したのだ。
「………っ!」
ずるっと冬留の背からナイフが引き抜かれる。
そのまま香織の身体に倒れ込んだ冬留の背中からは血が噴き出していて、そ
の刃渡り七?はあるナイフが突き刺さっていた場所はよりにもよって心臓の位
置だ。
「……と、冬留く…!?」
続けて信じられない事が起こる。
冬留を刺した男がそのまま持っていたナイフでいきなり自分の首をかき切
り、自殺したのだ。
「……っ」
「……ザ……ザ……おま…え…………」
「…あ…冬留君!」
「…だ、から…………いつ…裏切るか…わから…な」
その後も途切れ途切れに何かを言おうとした冬留だったが、急に力が抜けた
ようにその身体が意志を失う。
咄嗟に抱き留めてから、香織は既に彼の息がないことに気づいて蒼白になっ
た。
「………あ」
「心配無用ジャン!」
「…あ、…貴方!
冬留君の味方じゃ…彼は貴方の主じゃなかったの!?」
「そのトオリジャン」
「じゃあなんで…っ!」
「ロンよりショーコだよ! トール言ってたジャン!
ボクの他に悪魔がいるかどうかって!
だからショーコを見せるタメにやったジャン!
心配しなくてもトールはダイジョウブジャン!」
「…、い、生きてるの?」
「死んだに決まってるジャン!
このサキはボクじゃないヤツのカンカツジャン!」
「ま、心臓貫かれて生きてる人間がいたらそれはむしろ異常だからな」
その声は、冬留のものではなかった。
香織が気が付けば、既にその場に他の男達の姿はなく。
ただ佇んでいるのは、黒髪に金色の瞳をした20歳前後の青年。
ただし、何故か喪服姿の。
その手には冬留を殺した奴が持っていたナイフ。
「初めまして。お嬢さん。
宿主より先に別の人間に挨拶するのはまあ俺は別段珍しい事じゃない」
「……や、どぬし? …って」
「お察しの通り。
“ザザの影法師”言うところの信用できない他の管轄の悪魔。
って奴さ。俺はね」
「…あく、…え?」
「説明は後だ。
俺は説明は一度で済ませたいんだ。
今説明しちゃったら宿主が生き返ってからまた説明のやり直しだろ?
だから、」
そう言った男の手が冬留の頬をなでて、額にすっと指を這わす。
そこから突然、一滴の血がこぼれ落ちたのを男は器用に右手の人差し指で受
け止めるとそれを口に含み、冬留に口づけた。
「……、」
言葉のでない香織を余所に、男はこれでOKと呟き、冬留の身体を引き寄せて
強引に立たせると軽く揺すった。
「おい宿主。やーどぬし!
起きろ」
「…お、起きろ…って彼は…!」
「死んだな。けど生き返る。
…ほれ」
気づけば男は冬留を支えてはいなかった。
ただそこに立たされているようにしか見えない冬留が数度、瞳を瞬かせてか
ら自分の現状に気づいたように目を見開いて自分の心臓に手を当てた。
「と……冬留君…?」
「…あ、香織、さん…?
俺……は」
「死んで、生き返った。
それが一番手っ取り早い説明。というかそれが現実であり事実だ。
グンモーニン。
初めまして。宿主」
「……や、ど?」
「影法師からなんも聞いてないのか?
ほらお前死ぬ前に“他に悪魔はいるのか”的ニュアンスの言葉を口にした
ろ?
したら影法師の奴が“論より証拠”って影で操った人間でお前殺したんだ
よ。
そっからの管轄は俺の役目。此処まではいいか?」
「…なんか詰め込んでてよくわからないが…。
…ザザ…お前が俺を裏切ったっていうのは」
「ウラギってないジャン!
ダッテこうしナキャこいつデテこない!
トール勘違いしてる!」
「何の勘違いだよ」
「まあそれは後にして自己紹介させてくれ。
俺はそいつとおんなじ悪魔で、真田冬留。
お前を宿主としてる存在だ。
名前は“死なずのカーネル”
名の通り、宿主を生き返らせたり出来るってのが俺の能力な」
「で、トールが勘違いシテルのはトールはボクだけの宿主になったってオモッ
テルこと!
それフセイカイ。
トールが開いた本。ボクやそこのカーネルを含めて七匹の悪魔が封じられて
た。
それを開いた」
「真田冬留。
お前は自動的にその七体の悪魔の宿主になるよう設定されてるんだ。
詳しい事はその本呼び出して読んでみな。
とりあえず俺は宿主、お前に回数付きの不死を与える」
「…回数…付き?」
「そ。完全な不死はあり得ない。
だから回数付きだ。
これからは宿主は死んでも生き返る事が出来る。
それが俺が与えた力だからな。
でも回数付きってんだからその生き返る回数にも限りがある。
その辺頭に入れて有効活用しろよ」
そう言って男…いや悪魔“死なずのカーネル”は闇に溶けるように姿を消し
ていく。
「でも注意しな。
俺達は宿主に生きててもらわなきゃ困る。
無駄に生き返りの回数券を使うなよ」
その声は反響し、やがて消えた。
「そして、俺達七つの悪魔は」
「当然のように仲が悪いんだ」
それが第二の悪魔の、その場での最後の言葉だった。
「…な…………ちょっと待て。
冗談じゃないぞザザだけでもいい迷惑なのに他にもいるって?
七? ……まさか」
「……冬留、君」
くるりと背後に浮かぶザザを見上げて、もう冷静さを取り戻した顔で問いか
ける。
「俺がこの世界に呼ばれたのは…理由は、お前達を復活させる為か。
そうだな?」
その言葉にザザは口をぐにゃりと曲げて笑い、『だからトール大好きジャ
ン』と言った。
夜。街の宿屋。
夕食を終えて、二人はそれぞれの部屋に戻った。
香織はもう少しなにか話さないかと言ったのだけど、冬留は眠いからと言っ
て断った。
本当はまだ眠くない。おやすみなさい、そう言って扉を閉めた冬留に同じ言
葉を掛けて廊下を歩いていく彼女の足音を耳に呟いた。
「……さよなら。香織さん」
同じ世界の人に出会えた事は、嬉しかった。
それは事実だった。
彼女が嫌いなわけじゃない。
邪魔だってわけじゃない。
むしろ何故か不思議な好意すら持ってしまうからこそ。
香織とは。
離れた方がいい。
そう思った。
自分の部屋で呼び出して開いたあの本。
ただの洋書だったはずのそれは。
見たこともない文字で綴られた代物に変わっていた。
ただ自分がその封印を解いた人間だからなのか。
その文字も何故か冬留には読む事が出来た。
「…此処に、七つの大罪を架す悪魔を封じる…。
それを解き放つ者には罪と罰を…」
“七つの悪魔を内包せよ。それが汝の罪である”
そこにはその七つの悪魔の名も記されていた。
『ソロモンの魔女』
『ザザの影法師』
『死なずのカーネル』
『鬼女 清姫』
『顔無しのドッペルゲンガー』
『ブラッディマリア』
『 』
ただし、何故か七番目の悪魔の名前だけが空白だった。
わかっている事は、自分は多分、一人でいた方がいいって事。
香織さんを一人にするのも充分危険だとは思うが、自分といるよりはマシだ
ろう。
他の、姿をまだ見ていない悪魔達が彼女になにをするかわからない。
ザザでさえ充分危険なのだ。
『香織さんへ
一時でも共に旅を出来た事。
会えた事を喜ばしく思います。
けれど俺は貴方と共には行けません。
いつ貴方に被害が及ぶかわからない。
香織さんならきっと他に手を貸してくれる人が現れるでしょう。
俺は大丈夫です。
一人には慣れていますし、今のところ味方であろう悪魔達もいます。
会えた事は本当に嬉しかった。
でもさようならです。
お互い、元の世界に帰れる事を信じましょう。
真田冬留』
部屋のテーブルの上には一枚の置き手紙。
開かれたままの窓から見える夜空の月。
部屋は二階で、クラウンのバイトをやっていた冬留には飛び降りてそこか
ら、今はもう眠っているだろう彼女に内緒で抜け出す事など簡単で。
だが宿屋から数メートルも離れないうちに、冬留は急な睡魔に襲われる。
「……な…………」
もちろん睡眠薬なぞ飲んではいない。
だがその睡魔は強力で、強制的に冬留を眠りへと誘う。
意識が霞みがかってきた。
「……だ…め………離れ……ない…と」
きっと彼女を傷つける。
もうろうとした思考でそう思いながら、冬留は何故。
同じ世界の人間とはいえ出会って一日も経っていない香織の事をこれほどま
でに心配するのか、ふと不思議になった。
どんどんぼやけていく頭。
その中でようやく気づく。
まだ、自分が『深崎夏樹』だった頃。
大好きで、よく慕って自分が懐いていた。
一緒に遊んでくれた従姉妹のお姉さん。
従姉妹と言ったって、自分は養子だったのだから血の繋がりなどないけれ
ど。
幼心に大好きだったお姉さん。
『なっつきー! 行こ!』
明るい声で、いつも自分の手を引いてくれた。
ああ、そっか。
香織さん…、似てるんだ。
その、今はもうどうしているかもわからないお姉さんに。
だから心配だったんだ。
「……お……姉……ちゃ」
名前…なんて言ったっけ。
ごめんお姉ちゃん…。
……思い出せない。
ごめん…。
「副作用を説明し忘れてたな」
完全に眠りに落ちた冬留を抱えて、あの“死なずのカーネル”は夜の中で笑
った。
「生き返る度にその反動で深い眠りに落ちるってのを宿主に言い忘れてた…。
……さて?」
見上げた宿屋の、香織の部屋にはいつの間にか明かりが点いている。
「……お前は本当は逃げたいのか。誰かの側にいたいのか。
どっちだ宿主?
副作用を言い忘れてた詫びに、その程度の願いなら叶えてやるよ」
皆、自分を落ち着いてると。冷静だって言うけれど。
本当はそんなに大人じゃない。
自分の事だって自分で信じていやしないんだ。
本当はただ、……独りになってもいいから『夏樹』のままでいたかった。
「……逃げる事が望みなら此処から遠くの場所に運んでやる。
でも……『夏樹』である事が望みなら…」
もうすぐ、多分。
香織はあの置き手紙に気づくだろう。
「………誰かの側にいる事が本当の願いじゃないのか?」
馬鹿な宿主だ。
大人びたようで、本当はまだ幼い。
自分の本当の願いすら口にも出来ないような。
馬鹿な宿主だ。
そしてカーネルは何故か自嘲のような笑みを浮かべるとその場から消えた。
宿主をその場に残して。
『どうして封印を解く者がお前じゃなければいけなかったか判るか? 宿主』
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