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2024/11/08 03:45 |
アクマの命題【12】 開幕/メル(千鳥)
 〝アメリア・メル・ブロッサム。
   これより汝を悪魔と通じた疑いで異端審問会にかける――〟


  否定の言葉など聞き入れてはもらえなかった。  
  手のひらに、鋭い激痛と共に杭が打ち込まれた。

 〝ならば、その体は何なのだ?
  えぐれた肉はもう塞がっているぞ?
  止まった心臓が何故再び動き出す?
  それは、悪魔と契約した証拠――〟    

  地獄のような拷問の中、それでも生きている自分が
  死んでいないのではなく死ねないことに気がついた。


  とっくに完治したはずの傷口が、怒りと共に蘇るように熱く疼いた。


  感情的に動いてはならない。
  人をむやみに疑ってはならない。
  彼らの口から話を聞かなくて・・・。
  人々を正しい道へと導くのはシスターの務めなのだ。
  いくつ教訓を並べても、メルの心は治まらない。
  若い精神が、悪魔に対する憎悪がそうさせるのか。
  かつての家族に名を呼ばれるまで、シスターアメリアの表情は厳しく凍り付いていた。


††††††††††††††††††††††††††††††††
PC:メル スレイヴ
NPC:男子生徒 グレイス
場所:ソフィニア魔術学院
††††††††††††††††††††††††††††††††

「・・・メル?君はメルなのか!?」

親しい者など居るはずの無いソフィニアの魔術学院で誰かが自分の愛称を口にした。怒りに任せ歩いていたシスター・アメリアは足を止め、ゆっくりと振り返える。

「グレイス兄さん・・・?」

彼女を呼び止めたのは、サイズマン研究室のグレイス・ブロッサム。五年ぶりに再会した彼女の家族だった。彼は五年分歳をとりすっかり大人になっていたが、メルは当時と変わらぬ姿でそこにいた。
これが、メルがグレイスに会うのを拒んだ理由。

「お久しぶりです・・・グレイス兄さん。助手として学院で立派に働いてるって、聞きました」
「ありがとう。メルは・・・変わってないね」

グレイスは上手く喜びを表現できないのか、奇妙な表情を浮かべた。メルもまた、悲しげに微笑んだ。
 唯の他人ならば、メルの幼い体つきは体質なのだと思っただろう。しかし、幼い頃からメルを見て来たグレイスはメルの発育がほかの子供たちに較べ劣っていない事を知っている。大人びた仕草と言葉を身につけながら、体だけは全く成長していない18歳の少女に彼は違和感を感じているのだろう。

「孤児院が閉鎖されたのは手紙で知ったよ。みんな無事なのかい?」
「ええ、子供たちは無事よ。孤児院は殆ど被害に遭わなかったから」

しかし、孤児院を運営していた教会は全壊し、メルと同様教会で働いていたブロッサム孤児院の兄弟たちは命を落とした。

「そうか・・・」

悲しげに目を伏せたグレイスにメルは「ごめんなさい」と言葉を漏らした。

「なんでメルが謝るんだい?君が無事で良かった」
「でも、私はその場にいたの。人々が死んでいく様子を!あの悪魔の行為を目の前で見ていたというのに!」
「自分を責めちゃ駄目だよ。君はまだ13歳の見習いシスターだったんじゃないか」

 彼は殊更優しい声で言った。メルが激しく動揺する姿を見て、グレイスは事件のショックがこの少女の成長を止めてしまったのでは無いかと考えたのだ。

「でも・・・」

もしグレイスがメルの身に起きたもう一つの異変を知ればこんな陳腐な言葉をかけはしなかっただろう。

「何か僕に手伝える事はない?」
「あ・・・スレイヴ・レズィンスという方の居場所を知りませんか?彼に聞かなければならないことがあるんです」
「スレイヴ・レズィンスか・・・。彼には余り関わらない方がいい」

 メルはグレイスの口から再び絶対四重奏と名を轟かす彼等の噂を聞かされる事となる。
内容はバルドクスの従者が語ったものと大差ないが、同じ学院の人間が語る分、説得力があった。

「でも、会わないわけにはいきませんわ。もしかしたら・・・わたくしに悪魔を仕掛けたのはあの方かもしれないのですから」
「僕も一緒に行こう」
「いえ、わたくし一人で大丈夫ですわ」

 これ以上自分の家族を危険にさらしたくはない。メルは既にシスターとしての落ち着きを取り戻していた。

「だけど、君を一人で・・・」
「あ!グレイス先生~。教授が探してましたよ」

 引き下がろうとしないグレイスに、一人の男子生徒が声をかけた。グレイスはしばし悩んだ後、「くれぐれも無茶をしないようにね!」と言い残して、その場を後にした。


「何だか困ってるようだったから、嘘ついちゃったけど、大丈夫だった?アメリアちゃん」

 メルと一緒にグレイスを見送った少年が、急に振り返って笑顔を見せた。

「え?」
「グレイス先生とアメリアちゃん、同じ姓だから、もしかしたら先生をつけてればまた会えると思ってたんだ」

 メルのフルネームを知るこの男子生徒に、覚えはなかった。必死で自分の記憶をたどっていたためメルは、少年の危険な言葉に気がつかない。

「あ。昨日の!」

 アルフの研究室までメルを案内してくれた色白ノッポの少年だ。名前はまだ知らない。
 昨日の出来事だと言うのに、何故彼のことがわからなかったのだろう。メルは不思議に思い、そして気がついた。昨日まで、その顔に鮮やかに散っていたそばかすが消えていたのだ。彼の特徴の一つであったソレがなくなるだけで、その印象もガラリと変わる。しかし、一晩でそばかすは治るものなのだろうか・・・もちろん、化粧
をしているわけでもない。

「ヤダナー。僕のこと・・・忘れちゃってたの?」
「そ、そんなこと、ありませんわ。あの、わたくし人を探してますので・・・」

 ヘラヘラと笑う男子生徒は、小さく呟いた。
 
「スレイヴ・レズィンスやアルフ・ラルファには会いにいくくせに、僕とは話す時間もない?」
「何か仰いました?」
「いいや何も。君は、いまに僕がただの学生なんかじゃないって知る事になるだろうね」
「・・・・・・?」
「スレイヴ・レズィンスがさっき裏門を通ったのを見たよ。図書館に行くのなら、この廊下を真っ直ぐ行けば会えるかも」
「有難うございます」

 二人の会話に朝の予鈴が割り込んだ。男子生徒は再び何か呟いたようだったが、大きな鐘の音に掻き消されてしまった。

(あら、わたくしあの方にスレイヴさんを探してるって言ったかしら・・・?)
男子生徒と別れると、メルは再び一人になった。手の甲の痛みもいつの間にか消えていた。
授業が始まったのか、廊下から人気が消えた。たまに遅刻したのかメルの脇を慌てた様子で生徒が走り抜けていく。
それに対し、メルの探し人である青年は朝の散歩でも楽しむように廊下を歩いていた。
前方で待ち構えるメルに気が付くと、軽く手を上げて挨拶をした。

「おはようございます。シスター。実に良い天気ですね」
「お話したい事があります。お時間は大丈夫ですか?」

 挨拶を返しもせず、話を切り出したメルをスレイヴがおや、という目で見た。昨日までの礼儀正しいメルとは明らかに違う。

「貴方について・・・バルドクスの従者から話を聞きました。スレイヴさん」
「わたしも、グレイス・ブロッサムから貴方について聞きましたよ。シスター」

 グレイスがメルについて一体何を知っていると言うのか。メルは冷ややかな視線でスレイヴを見返した。
 
「何故わたくしを騙したのですか?」

 高慢にも取れるそのセリフに、スレイヴは浅く笑った。どれほど清廉潔白な者ならば、人間が嘘をつくことを責められるというのだろうか。

「はて、私は貴女を騙したりしましたか?」
「ふざけないで下さい」
「私はふざけるなんて無駄な事はしませんよ。でも・・・そうですね内容が内容ですから場所を変えましょうか」
「・・・・・・」

 メルは一瞬考え込んだが、スレイヴは返事も待たずに歩き始めた。結局彼の後を追うことになる。
 
「小屋の中にあったラクトルの魔方陣は消したようですね。実に賢明な行為ですが、遅すぎたとは思いませんか?」
「どういうことですか?」

 メルはスレイヴの背中を見ながらたずねた。どうやら彼はあの場所に向かおうとしているらしい。

「本来ならば、事件が発覚した直後に消すべきだったのです。一度使われた召喚陣は閉じられた状態でも悪魔を引き寄せやすくなる。例えば、貴女を襲った悪魔もしかり」
「・・・?あれは貴方の仕業じゃないんですか?」
「まさか!」

 スレイヴは大げさな身振りで振り返った。
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2007/02/10 22:06 | Comments(0) | TrackBack() | ●アクマの命題
アクマの命題【13】 転開/スレイヴ(匿名希望α)
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PC:スレイヴ メル
場所:ソフィニア魔術学院-廊下
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 スレイヴはメルとの話し合いの場へと移動中、彼女の言葉に大げさに振り向いた。
 彼女の表情はいたって真面目であり、ふざけた様子もなかったのがスレイヴのため息を
誘った。
 またも大げさにわざとらしく息を吐くスレイヴ。その仕草がメルに障る。

「まったく、聖職者というモノは何故もこう……」

 言いかけて中断し、何か考える様子を見せた後スレイヴはまた歩き始める。
 振り返る間に見えたスレイヴの顔には諦めの色が浮かんでいたのをメルは見逃していな
かった。

「スレイヴさん」
「貴女はどこまで私の話を聞きましたか?私があの魔法陣を復元したという事ですか?
えぇ、そうですよ。あの魔法陣は確かに私が復元しました」

 メルの呼びかけを遮るようにスレイヴが語りだす。
 それはメルに対して述べているのだが、メルに対して言っているようではなかった。
 前を向き歩みを止めず、彼女の方を向いてはいない。
 メルは彼の行動に憮然としたものを感じるが、仕方無しに彼の後ろを追った。
 スレイヴの声はまだ続く。

「しかしそれは只の研究の過程。私は線図記号や文字が織り成す理に興味がありこの研究
を続けているのです。悪魔など召喚して何の足しになるんですか。私が知りたいのは魔法
陣とそれによって施される具象です。あの時は偶然悪魔召喚の法陣だったという事だけです」

 淡々と語るスレイヴの口調には、それといって感情が込められていないようだ。
 というより、メルには読み取ることができなかった。
 相変わらずスレイヴはメルを見ていない。ただ、目的地へと足を進めている。
 誰かに聞かせたいという意図はないそれに、メルの相槌は入らない。

「何故貴女を悪魔で脅かさなければならないのか?それこそ私の疑問でしたが、考えれば
思いつくことでした。スレイヴ・レズィンスという人物の情報が欠落していれば必然とそ
うなるでしょう」

 長々と語りだした彼の言葉がようやく止まった。それほどに、メルの疑いは心外だった
のだろうか。
 声という音がなくなると、廊下には二組の靴音だけが響いていた。
 今の時間、学生らは講義中であるため廊下には人がいなかった。それがなおさら静けさ
を助長する。
 別の区画に入ったのか、廊下の構造が変わった所でメルは今朝の事実を思い出した。

「ならば、あなた方は何故バルドクス・クノーヴィが死んだと嘘をついたのですか?」

 スレイヴの肩がピクリと反応する。だが、その歩みは止まらなかった。
 肩越しにちらっとメルを確認しつつ、スレイヴが質問を返した。

「私達の誰がバルドクス・クノーヴィが死んだと言ったのですか?」

 忘れていた事実、だろうか。今度はメルがぴたりと止まった。
 一間考えたあと、思い出す。

「……アルフさんだけ、ですね」

 よくよく考えると、アルフ以外にそのことを口にした人物はいないのだ。
 その言葉に満足そうな笑みを浮かべたスレイヴ。その顔は前を向いているためメルには
見えなかった。
 メルは気構えつつスレイヴの言葉を待つ。

「アルフですか……そうですね、彼ならそう言うでしょう。報告書に書かれてある事実を貴
女に述べただけなのでしょうから。彼はそういう人物ですよ」
「……」

 メルも大体は予想出来ていたのか、大した同様はなかった。
 だが、次の言葉は予想に反するものだった。

「おそらく貴女は、その報告書が真実か問いたださなかった。もしアルフに質問していた
のなら彼は間違いなく報告書を否定するでしょう。彼は正直者なのですよ」
「な……」

 口を歪めくつくつと笑うスレイヴ。

「貴方がたは────」

 メルは感情に任せて発しようとしたが、踏みとどまった。
 唇を固く結び、出かかった言葉を無理やり押し込める。

「何故本当のことを言ってはくれないのですか?」

 抑圧された声は低い怒気を含んだ重い音となってスレイヴの耳に入った。
 だが、彼はそれすらも心地よい音楽を聞くかのように自分の中枢へと浸透させる。

「何故、言う必要があるんです?私達にとってあの事件はすでに終わった事。その再調査
に協力して、”私”に何の得があるんですか?」

 何の躊躇いもないスレイヴの台詞。更に、今は貴女と会話をすることは有益ですね、な
どと呟いていた。
 一つ物を言えば、二つ捻られて返ってくる。

「それに、単にその方が面白いと思ったからですよ」

 メルの真面目な問いに対して、スレイヴはあっさりと言い放つ。
 思わず奥歯を強く噛み締めるメル。頭の中ではスレイヴ・レズィンスという人物の像を
描き換えている。

────お前たちこそ悪魔だ!

 メルの中では頭でも心の中でも、バルドクス・クノーヴィの叫びが反響している。
 メルの思う彼は、その叫びに重なりつつあった。

「今は、私個人の感情は置いておきましょう」

 立ち止まってしまったメルを構いもせず進んでいく。
 無論、スレイヴはメルと離れていく事に気づいている。そこで立ち止まってしまうなら
そこまでだ。
 スレイヴと一緒に行かなければ、これ以上の話はないのだ。
 ぐっと足を踏み出したメルに、更なる言葉が降り注ぐ。

「調査員?貴女には向いていないと思いませんか?真偽を確かめる為に派遣されるという
のに、貴女は何の疑いもしないで、言われるがままその言葉を信じていた。人の口とは真
実を語るとは限りませんよ」
「……それは……」

 メルを刺すような言葉を投げ続けるスレイヴ。先ほどまでと違い声には冷たいものが
入ってきている。
 矢先に経ってしまったメルはただそれを受けるしかなかった。
 この辺りの部屋は普通の講義では使用されておらず、物音は彼らの靴音とスレイヴの声
のみ。
 石造りの廊下にぶつかり、その意味すら音の反響する。

「何故貴女は疑う事すら知らず何を調査しに来たのですか?難なくこの調査が終わると
思っていたのですか?ただ人に聞いただけで、在るものを見ただけで、済ませられるもの
だと思っていたのですか?」

 次々と言葉を放つ。
 スレイヴはただ言いたい事を言っているだけである。
 メルはエクソシストとしての仕事はこれが初めてである。失敗や思い込みなど誰にでも
あろう。
 だが、スレイヴはそれを知らない。知っていたとしても同じ事をしているだろう。
 手のひらを握り締め、その言葉を受け入れているかのようだった。
 スレイヴには自傷行為に見えてならない。尚更彼の意を増長する。

「そして貴女は存在しない嘘を、私達がついた嘘だと勘違いしている」

 淡々と語っていた口調のトーンが、急に落ちた。
 混乱しているのか、おぼろげな表情をしてスレイヴの変化に気づくメル。
 気づかない方が楽だったのかもしれない。
 スレイヴはわざわざ、メルの意識がこちらに自分に向くのを確認してから、次の次の言
葉を投げつけた。

「身に振ってきた火の粉。自ら望まず発生した事象。その元凶を人に被せ、疑い続ける。
これはどんな気分なのでしょうね?まぁ貴女の場合、事実を調べるという過程があるの
で”聖職者としては”優秀だとは思いますが」
「──っ」

 含み笑いをしてスレイヴは言葉を止めた。
 スレイヴ自身、聖職者に対してよいイメージは持っていなかった。それをぶつけただけ
だった。
 予想外にも石化の魔術でも受けてしまったかのようにメルの表情が凍りついていた。
 当たりが絞れてきた感触。まるでロジックパズルを楽しむように、その手順を踏む。
 スレイヴの目は、未だに鋭い。


  ‡  ‡  ‡  ‡


 出会い頭の表情とは一転、険しい表情をしているメル。そんな彼女を引きつれスレイヴ
は小屋へと到着する。
 今朝、悪魔が召喚された魔法陣は消してある。メルがこの場を離れた時と変わらない状
態であった。
 2、3歩部屋の中を歩き、スレイヴがスッと部屋の中央へと移動した。

「そして貴女は、何の疑いもなくまたこの場所を訪れた」

 眼鏡の奥で鋭い意思を放つスレイヴの目。
 それと同時に、壊れかけた小屋の床、壁、柱に幾つもの魔法陣が淡い光を帯びて浮かび
あがる。

「え……」

 足元には消したはずのラクトルの魔法陣すら浮かび上がり、愕然としているメル。
 振り返ったスレイヴは彼女の様子を見て、口元を歪めていた。

「さて、今までの話は……どこまで本当でしょうか?」


2007/02/10 22:11 | Comments(0) | TrackBack() | ●アクマの命題
アクマの命題【14】 障害/メル(千鳥)
 なんと傲慢で自分勝手な理論だろう。
 禁忌である黒魔術にふれ、多くの死者をだした今回の事件の発端は彼自身だ。
 それなのに、言い返す言葉が見つからないのは、スレイヴの言葉が真実だから。
 理想や信仰心や疑心といった色々な感情や言葉が頭の中で膨らんでは萎(しぼ)んで、何一つ意味を成さない。
 彼に反論する術を見つけられない。
 これが彼の魔法だとしたら、何と悪魔的だろうか。

〝俺は知ってるぞ、魔法使い。お前は悪魔より狡賢く、神々さえも欺いているだ〟

 説話の中の悪魔の言葉。言われたのは誰だっただろうか。

††††††††††††††††††††††††††††††††
PC:メル スレイヴ
NPC:男子生徒 
場所:ソフィニア魔術学院
††††††††††††††††††††††††††††††††


「スレイヴさん…貴方は、敵なのですか?」

 スレイヴが敷いた魔法陣はまぶしいほどの光を放ち、室内に旋風を起こした。
 立っているのがやっとの状況の中、メルは声が震えるのを必死に抑えながら尋ねた。
 彼がメルの求める答えを返してくれるとは思えなかったが、それでも訊かずにはいられなかった。

「敵とは?私は貴女の行いを邪魔した覚えなどありませんが」

 いつものごとく、スレイヴは相手の言葉を反芻するように尋ね返す。
 彼に伝えた言葉はいつも自分に返ってくるのだ。
 まるで自分の心と話しているかのように錯覚に陥る。
 気を抜けない、いや、彼に気を抜くなど自殺行為だ。
 
「それでも、たくさんの回り道をしました。悪魔を呼ぶということがいかに危険なのか分かっているのですか?彼らの領域に踏み込むという事は神の加護の元から自ら離れるということです。貴方はイムヌス教と…神と敵対するおつもりですか!」

 スレイヴは不思議そうにメルの顔を眺めた。

「残念ながら、私は今まで生きてきて神に守られた記憶はありません。貴女は違うようですがね、シスター。そして、神と敵対するなど私には思っても見ないことです。神は敵ではない。私は神という存在に、全く興味も関心もないのです」
「!」

 絶句するしかなかった。 
 常に神と共にある事を誓ったメルにとって、スレイヴは理解の範疇を超えていた。
 彼が悪なのかは分からない。でも、彼の精神は怖い。いつか、メルを、イムヌス教を脅かすのではないか。

「スレイヴさん。わたくしには悪魔の手から人々を救うという、神より与えられた使命があります。ですから、私利私欲の為に悪魔を利用する貴方を見過ごす訳には行きません」
「貴女の精神は確かに立派に聞こえますね。しかし、全ての事象を白黒、善悪に分けるのは良くない。それ以外の全ての本質を見誤ってしまう。ほら、そのせいで貴女は一人の男を救済し損ねてしまいましたよ」
「え…?」
「とうとう本性を現したな!スレイヴ・レズィンスめ!!」

 スレイヴがそう告げると同時に、扉が勢いよく開け放たれた。
 
「あなたは…」

 そして勇ましく声を上げたのは、先ほど会ったノッポの男子生徒だった。名前は知らない。聞き出せなかった事をメルは今激しく悔やんでいた。既に彼は最初に会った時とは別人かもしれなかったからだ。

「これは傑作ですね!シスター!」

 後ろでは、スレイヴが面白くて仕方が無いといった笑い声を上げていた。
男子生徒の背中からは、人間が持つはずの無い黒い羽根が突き出していた。その顔は特徴の無い面長の顔から、血管をいくつも浮かび上がらせ牙を向く凶悪な表情へと変化していた。

「何がおかしい!!この極悪魔術士が。メルちゃんをどうするつもりだ!」

「彼は貴女を救う力を欲して、よりによって悪魔と契約をしたようですね」
「そ…そんな」
「悪魔と契約する時点で彼の判断能力はだいぶ鈍っていたのでしょう。悪魔はそこを狙った。貴女は気がつくべきではありませんでしたか?」
「……」

 スレイヴの言うとおりだった。先ほどあった時、彼の様子は既におかしかったのだ。しかし、メルはスレイヴのことで頭がいっぱいで彼にまで気を回すことが出来なかった。

「わたくしの、ミスです」

 彼と悪魔がどのような契約を行ったかはわからない。しかし、彼の姿が悪魔と融合してからまだ時間は経っていないはずだ。今ならまだ間に合うかもしれない。

「わたくしが、落とします」
『ほぅ、お前のような小娘が我々悪魔に刃向かうだと?』

 少年の口から、挑発的な男の声が響いた。
 しかし、その言葉に反し、少年の顔には焦りが浮かんでいる。自分の体が何者かに乗っ取られ、思い通りに行かなくなっている事に気がついたのだ。体の支配権が完全に悪魔に変わるのは時間の問題だった。

「わたくしはエクソシストです。悪魔よ、一度だけ懺悔の機会を与えます。己の罪を認め神の足元に跪きなさい!」
『生意気な人間め!お前が我が前に跪くがいい!!』  
  
 悪魔の咆哮が殺意を帯びた力となりメルに放たれた。
 メルは十字を握り聖句を唱えると、足元に防御の結界を張った。そして次に起こるであろう衝撃に身を構える。

「“爆発”」

 しかし、メルの結界に悪魔の力が及ぶより早く、スレイヴの陣が発動し、爆音を響かせた。土煙がたちこもり視界が遮られたが、メルの結界には殆ど衝撃が伝わらなかった。スレイヴが己の魔法で悪魔の攻撃を相殺したのだ。 
 
「どうして、助けたんですか!?」
「貴女はまだ、私の事を障害だと思っているのですか?シスター・アメリア」
 
 メルは信じられない思いで後ろを振り返った。たった今まで自分に向けられていた魔法が、悪魔の動きを止めたのだ。しかし、スレイヴは先ほどと変わらぬ笑みを浮かべ言った。

「東方にはこんな諺があるそうですよ。“急がば回れ”ってね」


 †††††


〝クラトルよ、イムヌスに使える大賢者よ。
 俺は知ってるぞ、魔法使い。お前は悪魔より狡賢く、神々さえも欺いているだ。
 その知を使って愚かな者たちを騙し、もっとおもしろ可笑しく暮らそうじゃないか?〟

 賢者クラトルは、悪魔が伸ばしてきた手を杖でぴしゃんと叩いた。

〝悪魔よ残念だが、私が一番楽しいのはこうして愚かなお前たちと語らう事なのだよ〟

 すると、悪魔は見る見るうちに小さな灰色のねずみに姿が変わり、クラトルの梟(ふくろう)に食べられてしまった。

2007/02/10 22:12 | Comments(0) | TrackBack() | ●アクマの命題
アクマの命題【15】 目的/スレイヴ(匿名希望α)
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PC:スレイヴ メル
NPC:男子生徒 
場所:ソフィニア魔術学院
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 スレイブは微笑む。
 メルが見事に困惑している。少し種明かしをした。いそがば回れ。つまりはここに来る
までに回り道をした。しかし、それらはここに来るための手段であり、ここがたどり着く
べき目的の場所ではない。
 全てはこれからのために。

これから繰り広げる■劇のために。

 口調、態度から察するにはメルをこの場に案内した時に挑発をした悪魔の可能性が高そ
うだ、とスレイブは判断する。
 男子生徒に憑依……。
ターゲットが、切り替わる。

「貴方は確か……何度か見掛けた記憶がありますね」

 少年の表情に驚きが走る。こんなやつに覚えられているとは、と。
 その口調は普段とさしてかわらず、悪魔憑きの人物の前にいるとは思えないほど穏やか
だった。
 付き合いが長い人間なら、コレに対して予兆を感じたかもしれないが、ここにはいな
い。それが不幸か幸いか先にも後にも判断がつかないだろう……

「彼の名前をご存知ですか!?」

 急くようなメルの声に掠める記憶がある。悪魔退治などには、それらに付けられた名前
を知っていると知らないとでは、大分違うらしい、と。

「あぁ、生憎ですがそこまでは知りませんね」

 表情の曇るメル。対して少年の顔には微かな安堵が映る。少年本人の感情かそれとも悪
魔のモノか、判断はつかない。
 ここで少年はメルが名前を知りたがっていると気付いただろう。だが、口が、舌が、喉
が、腹が、自分の意思で動かない事に驚愕している。
 悪魔は舐めるように少年の絶望を味わっていた。

『残念だったな小娘』

 少年の口から少年の言葉ではないモノが発せられた。
 失点を見つければ悪魔はそこを攻め立てる。安易なプレッシャーのかけ方だ。しかし簡
単だからこそ常套手段となる。

『俺を落とす?こいつ程度に振り回されてる貴様に俺が落とせるものか!小娘、オマエの
姿は滑稽だったぞ!』

 どこからか見ていたのだろう、悪魔は嘲笑う。ここで襲ってきた時からだろうか。
 と、そこでスレイブがふう、と息をつく。

「やれやれ、こいつ扱いとはヒドイですねぇ」

 ここに来ても彼の会話のトーンはかわらない。悪魔に対してでさえ友人に語りかけてい
るようだ。本当に友人か何かなのでは?という疑問が沸く。メルはそこをぐっと押さえ
た。スレイブ・レズィンスという人物は、どのような存在に対してでも同じなのでは、と。

「まあ、確かに貴女の姿は興味を引くものでしたね、シスター」

 キッとスレイブに鋭い視線を向ける。悪魔に同意するとは……、と言いたげな目。
 そこでニヤリと笑うスレイヴ。

「しかし、それらと悪魔を落とすという事は別問題ですよ」

 今度は悪魔の方がスレイブを睨んだ。その凝視を涼しげにうける。

『貴様、この俺が小娘より劣っているとでもいうのか』

 言葉は静かだがその分重い。

「この俺、と言いましても私は貴方の事を知りませんし、何を判断材料にすればよいので
しょう?」

 当然の如く切り返す。名前くらい解れば、と問い掛けてみた。
 すると悪魔は大笑いする。

『何を言うのかと思えば!そんな幼稚な罠に引っ掛かるはずがないだろう!』
「ひっかかりませんでしたか。予想外ですねぇ。名前を言ったのなら大ウツケと指を指し
て笑って上げようと思ったのですが、残念です」

 あたりまえだ、と言わんばかりに失笑する悪魔。
 だが、その罠にひっかかる程度の悪魔という認識をスレイブが持っている事に気付いて
いない。

「しかし、それも悪魔を落とすという事とは別問題ですよ」

 少年の眉間にしわが寄る。彼の体の支配は徐々に悪魔に奪われている。

「スレイブさん!今はそんな事を言い合っている場合ではありません!悪魔が彼の体を完
全に支配する前に……」
「果たして彼は、あの悪魔から救うほど価値がある存在でしょうか」
「な……何を言うのですか!?」

 メルが絶句する。スレイブのようなタイプは始めてなのだろうか、彼の思考の一つ一つ
に戸惑っている。
 品定めするかのように、少年はスレイブを見る。
 彼の表情が能面となりながらもスレイブは自分自身に向けられる意思を感じていた。

「等価交換。彼は契約によって力を借りたのです。代価を払うのは当然でしょう」
「しかしこれは悪魔の……」
「別問題ですよ、シスター」
「でも……っ!」
『面白い事を言う。アイツが気にする事はある』

 閉口していた悪魔がスレイブらのやり取りに口を挟む。スレイブはふと思い立つ。

「おや……彼の意思はもうないのですか?」
『ふむ、この愚か者の事か。体は動かせないが意識は明瞭にある』
「これからお楽しみという事ですか」

 その台詞はメルの神経を逆なでた。
 平手がスレイブの頬へ跳ぶが、体を軽くそらしてかわす。

「貴方という人は!」
「私は事実を述べたまでですよ。彼はこれから死ねない苦しみというものを味わうことに
なりそうですから」

 二発目の平手は飛んでこなかった。
 威嚇するようなメルに、スレイヴはやれやれと首をすくめる。それから視線を少年へと
向けた。
 彼はまだ、少年と呼べる存在なのだろうか?

「たとえ爪が剥がれようと、腕を折られようと、貴方は失神もできずに悶え苦しむので
す。痛撹はありながら自分の力で制御出来ない体自らがその痛みを与えることになるのです」
「スレイヴさん!!」

 スレイブが言うのは確かな未来ではない。しかしその可能性は充分にあることをメルは
知っている。
 彼が少年でなくなる事を促進するような内容である。
 メルは止めさせるべく声を上げるが、止まるはずもなかった。

「体の自由が利かなくなり、精神を蝕み、なおかつ正常な思考と感覚を残し、身体が変形
する苦痛と、在るべきはずもない意思に触れ。それでも気を失うことが出来ず、正気を失
うことができず。死にたくても死ねない。完全に乗っ取られた体は人間の理から離れ永続
的に生存するでしょう。あぁ、生存という言葉は正しくないですね。
何せ人間としては既に死んでいるのですから」

 まだ残っている少年へ向けた言葉は凍てつきかけた少年の心を突き放すものでしかない。
 反比例するかのようにスレイヴの言葉は弾んでいるように聞こえる。
 悪魔は微動すらしかなった。おそらく少年にこの言葉を聞かせるためだろう。
 先ほどに比べ幾分か法陣の発する光が弱くなっている壊れかけた室内。三者……正確には
四者は未だ対峙しているだけだった。

「そもそも貴方は生きていたと言えるのですか?日々勉学に明け暮れる魔法学院の生徒と
言えば聞こえはいいでしょうが…貴方にはそれだけに打ち込める意思はありましたか?あ
れば貴方はこのような場所にいるはずがないでしょう。貴方は何をしたかったのですか?
いえ、質問を変えましょう。何をしにこの魔法学院の門をくぐったのですか?」

 スレイヴの言葉は少年のあり方にまで及んでいる。
 彼を止めるかべきか……聖職者なら止めるべきなのだろうとメルは心に思うが、圧倒され
て行動にならない。
 経験不足か力不足か、その一歩が踏み出せない事に苛むメル。
 だが、後悔する間すら与えず場は進んでいく。

「貴方の趣向は伺ってますよ。まぁこの状況に免じて口に出すのは止めておきましょう。
学友からも講師からも白い目で見られる貴方は生きている意味はあるのでしょうか?消え
てもらった方が環境にいいでしょうね。おっと、悪魔の餌になるという事ができまから、
存在しないよりマシでしょうか」

 最後にスレイヴは鼻で笑う。自分とはまるで関係ない存在だ、という事を強調するため
に無関心そうに。
 次々と攻め立てる言葉を並べるスレイヴに、メルは再び絶句していた。
 何故この人は、ここまでひどいことが言えるのだろう。現状を忘れてその一点だけに思
考が回る。
 悪魔は表情を露(あらわ)にした。底から来る快楽を抑えるように笑いをこぼしながら。

『貴様は本当に人間か?……なるほど、そういうことか』

 だが、次の言葉で全てが一変した。

「それでも助かる事を望みますか?」

 スレイヴの声。
 瞬時に、理解できなかった。
 一時の沈黙の後、メルが我に返る。

「な!?」

 驚きは悪魔も同様『キサマ……』と呟き睨みを利かせる。
 無論。スレイヴは無視している。
 場が再び荒れ始めた。視得ない力が波立ち始めている。

「地面にはいつくばり、土や泥と塗(まみ)れようとも自らの意思で生きる事を望みますか?」

 見下した嘲笑を前面に押し出してスレイヴが再度問いかけた。
 瞬間、悪魔とは違う微かな力が場を通る。……いや、少年を中心に発せられていた。
 それを合と採ったスレイヴはその口を歪め、笑顔を浮かべた。
 表現し難い、氷の炎のような笑顔を。

「ならば私に助けを請いなさい。悪魔を拒絶しなさい。貴方も魔術士の端くれなら心の底
からの叫びを上げて自らを主張しなさい。貴方にも見た夢、欲望があるでしょう。それら
の為に祈りなさい!行動力や実力が伴わなくともそれくらいならできるでしょう!さぁ、
貴方の欲望を成す為に、私に助けを請いなさい!」

 表情を隠そうともせず、存在を繕うともせず、スレイヴは少年に向かって叫んだ。
 これはまるで────

「なんという……」

 表現する言葉が見つからないメルは呆然と呟いた。
 その最中、悪魔に異変が起きてた。
 少年が自らを叫び、悪魔に抗うという術(すべ)を実行しているのだ。

『ぐ……キサマ!』

 ただの一般人なら悪魔にとって問題はなかった。
 少年は一見落第した学生だが、”魔法学院の生徒”であり、”力を使う術”も学習している。
 抵抗力は……弱くはない。だが、憑かれて時間が経過している。はじき出すまでには至ら
なかった。
 にやりと笑うスレイヴを、人間とは違う表情をした少年が睨む。

「氷結」

 短く呟いた言葉。同時に少年の足元に現れる光陣。
 乾いた木材を叩いたような音が響き、陣の上に氷のオブジェが出来上あがった。
 それらは空気中の水蒸気だであり、悪魔は補足されまいと既に飛び退いていた。
 続けざまスレイヴは次の法を敷く。

「雷電」

 彼の背後。中空に子供の背丈ほどの円陣が浮き上がった。
 帯電しているソレは近づくモノへと放電する。少年の腕が一振り、電子の束を払うと突
風に吹かれたかのように法陣が消し飛んだ。
 突然開始された攻防。メルは出遅れて……というより混乱していた。
 今までの過程、そして現状。彼の言動が一本につながらない。
 だが目の前で行われているのは戦闘行為であり、対峙しているのは少年についている悪
魔ということだけはかわる。
 咆哮による力の解放。
 波動となって押し寄せるそれらに対しスレイヴは「防護」と小さく呟いて射線上に陣を
敷く。
 十字を握り締めたメルは、防護陣の影響範囲に移動しつつ参戦すべくスレイヴの隣に……

「!?」

 だが、彼の咆哮は質……いや目的が違った。
 音が消える。
 思わず上げようとした声すら、自らの耳に聞こえてこなかった。スレイヴも眉をひそめ
ている。

『どうだ!唱えられまい!』

 沈黙結界……とでもいうのだろうか、悪魔は詠唱を封じる術に嵌ったということになるだ
ろう。
 その中でも悪魔の声が聞こえるというのは、正に彼の手中のなかということだろう。
 魔法を使えぬ魔法士、聖句を唱えれぬ聖職者、手法を封じることにより優位に立つ。

 表情を悦に歪め、スレイヴに迫る少年。
 メルがスレイヴの間に入ろうとしたが、それよりも早くスレイヴが前に出た。
 意表を付かれたが、術を使えない人間など相手になるまい、とスレイヴに強化した少年
の右手を突き動かす───

 音が聞こえたなら、さぞ重い音がしただろう。
 スレイヴの左腕には法陣が三つ、大きめの腕輪のように現れていた。効果で言えば加
速・硬化・防護。
 左手の掌が少年の腹部を強(したた)か打ち抜いた。
 その勢いによって飛ぶはずの少年だったが、吹き飛んだのはその中身だった。

『な……使えるはずなどっ』

 崩れかけた壁に叩きつけられた悪魔は叫ぶ。少年から全力で拒絶され激しい衝撃を受け
た悪魔は、少年の体から弾き飛ばされていた。
 同時に沈黙の領域がなくなり、空間に音が戻る。
 すぐさまメルの耳に聞こえてきたのはスレイヴの高笑いだった。

「クク……あーはっはっは!!馬鹿ですか貴方は!その程度ですから彼女も貴方など見向き
すらしないのですよ!」

 足元で崩れ落ちる少年を他所に、髪をかきあげながら叫ぶスレイヴ。
 正に絶頂、といわんばかりにスレイヴは笑い散らしていたがふっと声がやむ。
 メルを振り返るスレイヴ。それは満足したような笑みだった。

「……おっと、失礼。後は貴方の仕事ですよ、シスター」


2007/02/10 22:24 | Comments(0) | TrackBack() | ●アクマの命題
アクマの命題【16】 祈り/メル(千鳥)
†††††††††††††††††††††††††
PC:メル スレイヴ
NPC:男子生徒・悪魔 
場所:ソフィニア魔術学院
†††††††††††††††††††††††††
 
 スレイヴの攻撃を受けた悪魔は呆然とした表情で膝をついていた。
 そんな自尊心の高い闇の眷属を存分に嘲笑うと、スレイヴは満足そうな顔で振り返った。

「後は貴女の仕事ですよ、シスター」
「は…はい」

 今、この場を制しているのは間違いなく彼だった。
 メルはといえば、頷くものの、スレイヴの戦いに圧倒されて動くことすら出来なかった。あんな乱暴な悪魔の落とし方など、今まで見たことも聞いたことも無かった。しかし、スレイヴは確かに自分の目の前で悪魔を少年から引き離した。

 声を封じられた状況で。

 踏んできた場数が違うのだ。スレイヴは悪魔のあしらい方を十分に心得ていた。

「うぅ…」

 足元で少年の呻く声が聞こえた。メルは我に返ってしゃがみこむと少年に触れた。
 良かった。ちゃんと生きている。
 そっと額に手を触れて回復魔法を唱えてやると、メルはスレイヴを見上げた。

「スレイヴさん、援護はいりません。どうか彼を安全な場所へ」

 少年の身が心配だった。
 外傷こそ見られなかったが悪魔憑きには様々な後遺症が付きまとう。バルドクスやメルのように…。

「それは、私が貴女を見殺しにして構わないと言う事ですか?」

 スレイヴは眼鏡を上げる仕草をしたあと、世間話をするような気安さでメルにたずねた。
 メル一人では力不足だと告げているのだ。

「わたくしは死にませんわ。わたくしには神のご加護がありますもの」

 メルは彼に散々振り回されてきた。今でも、スレイヴが善か悪か、どちらに身を寄せる者なのか分からない。しかし、彼はけして約束をたがえるような人物ではない。何故かメルはそう確信していた。

「お願いします」
「…いいでしょう」

 スレイヴはそれだけ答えると、少年を肩に背負ってゆっくりとした足取りで歩み始めた。

『みすみす逃がすと思ってるのか!』

 起き上がった悪魔の爪が空気を裂いた。刃のように鋭い風がスレイヴを襲ったが、彼は指一本、声一つ出さずに防御の魔法陣を展開し攻撃を弾いた。彼の魔法の発動条件が『声』ではないことは、これで一目瞭然であった。

「おっと。取りあえず私は退場しますよ。相手を間違えないように」

 スレイヴは口の端だけ上げて笑いを作るとまるで無関心に背を向けた。

「偉大なる神とイムヌスの母の名のもとに、悪しきものを退ける力をわたくしにお与えください」 

 メルは懐から聖水を取り出すと、指先をぬらし十字に切った。

『小娘ごときが、お前一人で何ができる!』

 悪魔の怒声に、ガラス瓶がピシリと鈍い音を立てて散れる。メルの赤い血を含んだ聖水が指先から滴り落ちた。

「!」

 メルの瞳が一瞬だけ恐怖で揺れたが、直ぐに強い光が宿る。
 悪魔と一対一。もう引き返す事はできない。

「我は神より使わされし者なり 光を恐れるものよ いますぐこの場をさりなさい!」

 黒い翼を広げ、悪魔が跳躍した。

『そのような弱き光、飲み込んでくれるわっ!』
「【Sanctuary】!」
 
 跳び出すと同時に悪魔が放った魔法を、メルの結界が防いだ。
 メルの足元には術者の精神力を高め、悪しき力を阻む【聖域】が広がる。
 
「聖所を侵す事など出来ませんわ」 
『地は神のものに非ず! その下に眠るのは闇と混沌』

 メルの言葉を鼻で笑うと、悪魔は指を地面に向け言葉を投げつけた。同時に大地に、亀裂が走る。裂け目は聖なる言葉を切断し、言葉は単なる記号へと還し――聖域が破られた。
 己の首めがけて伸びた悪魔の爪を辛うじてかわし、メルは清めた指先を素早く下ろした。

「退きなさい!」

 濡れた指先より放たれた水滴が、光る鳥へと姿を変え、悪魔を撃退する。

『くッ!』
 
 腹部を押さえ、悪魔が後退した。聖水が触れた部分が熱傷になっていたが、致命傷には遠い。
 
「………」

 血と聖水が乾いた指から鉄の臭いがした。
 聖水がなくなった事で、メルの手札は随分減ってしまっていた。

 本来、エクソシストの仕事は『退魔』である。
 悪魔を退ける術(すべ)は持っていても、悪魔を葬るほどの力は無い。悪魔の巧みな罠を回避し、拘束し、神の領域から退散させるのがエクソシストなのだ。それ故、『抹殺』を目的とした悪魔退治においては、騎士団(オルデン)の聖騎士とエクソシストがペアを組んで挑むことが通常だった。
 
 教会は今回の調査で悪魔が再び出現する事を予期していなかったのだろうか?

「アルヴァード祈祷書 第三章第一節…きゃっ」

 メルが捕縛の言葉を投げかけるよりも、悪魔の動きは素早かった。防御する暇も無く右胸に激痛が走り、悪魔の鋭い爪がメルの身体を突き刺していた。

 がはっ!

 息を吐く代わりに、喉からは血が噴き出した。苦しげに顔を歪ませるメルを見て、悪魔が嬉々として翼を奮わせた。

『生意気な聖職者め!どう痛たぶってやろうか』

 悪魔はさらに力を込めた。悪魔の指先がメルの身体を探り、心臓を貫いた―――。

「っアァ!!」

 メルは悲鳴を上げた。 
 心臓に戻ろうとする血液が、傷口から流れ落ち、メルの足元に溜まりを作った。がくがくと痙攣するメルの身体は、まさに悪魔の腕一本で支えられていた。

『苦しいだろう?かわいそうに…神など捨てて、我等につくというのならその命繋いでやっても良いぞ?』
「……」
『この苦しみから解放されたいだろう?』
 
 朦朧とする意識の中で、悪魔のねっとりとした声だけが聞こえた。
 悪魔に屈しなくとも、普通ならば直ぐにでもこの身体は苦痛から開放されるだろう。神の元へと召されることで。しかし、メルにそれは許されていなかった。

 『悪魔の心臓』―――悪魔ベルスモンドに与えられた不死に限りなく近い身体。

 目の前の悪魔は気がつかないのだろうか?右胸を貫らぬかれたはずの少女の身体が、未だ彼女を生かそうと脈うっていることに。 
 悪魔はゆっくりと腕を回し傷口を広げ、メルの悲鳴を聞いては嬉しそうに笑っていた。
 こんな事ではメルは死なない。しかし、傷口の回復が追いつかないため聖句を唱えることが出来なかった。

『呪うなら神の無能さを呪うんだな!』

 メルは、震える手をロザリオに伸ばした。祈祷書の内容を頭の中で反芻する。足元に落ちた祈祷書がひとりでにめくれ、あるページを示した。
 【第三章第一節 戒めの鎖】
 しかし、声の変わりに口から出るのは苦痛による悲鳴でしかなく、余りに無力な自分に思わず涙がこぼれた。


「神の加護とは…この程度ですか」

 悪魔の笑い声に混じって、ため息のような呟きが聞こえた。
 そこには、深々とその胸を貫かれたメルを淡々とした様子で見つめるスレイヴがいた。
 たった一人で、再びこの場に戻ってきた彼の表情に名前をつけるとしたら、落胆だろうか。

『フハハハッ!お前も今にこうなるのだ!!戻ってこなければその命、助かったものを!!』
「五月蝿いですよ。ウィンダウス」

 スレイヴの声には悲しみも、怒りも感じられなかった。
 しかし、その声に、名前に、悪魔の顔が笑ったまま凍りついた。ぱくぱくと魚のように口を動かすと、上ずった声で叫ぶ。 

『何故!?お前がその名を!』
「おや、もしかして正解ですか?」

 とぼけた声で答えるスレイヴに悪魔はぐっと歯を食いしばって己を抑えた。
 この魔術士が己の名を知ったところで何ができるというのだ。
  
(ウィンダウス…これが悪魔の名前!)

 スレイヴがどうやって名前を突き止めたのかは分からなかったが、悪魔が動きを止めたことで、メルの傷口は少しずつ治癒を始めていた。
 先ほどの勢いが嘘のように、悪魔の表情には焦りが見えた。

『次はお前だ!』

 悪魔はメルの体から腕を引き抜くと、思い切りその身体を投げ飛ばした。メルの軽い身体は、そのまま床に叩きつけられる。
 同時に、傷ついた組織が歓喜するように急速に増殖と再生を始めた。
 否、これは再生などではない、全ては元に戻ろうとしているのだ。あの瞬間に、13歳のメルの身体に、悪魔軍団長ベルスモンドと出会った『悪夢の日』に。

「ウィンダウス!」

 メルの力強い声が悪魔の名前を呼んだ。名を呼ばれた悪魔の身体がビクリと一度震え、硬直した。聖書が輝き、悪魔の身体を鎖が戒める。

「その名は既に神のもと 光と共にあるもの お前のモノであるものは何一つ無く 闇がお前に与えるものは何も無い」

 最期の抵抗、いや逃走の為に悪魔の敷いた帰還の陣が、メルの言葉に急速に色を失っていく。この場に、彼に力を貸すものは無かった。   
 
『やめろ!か、考え直す、俺はもう悪さなんて…!』
「聖なる炎に浄化されなさい」

 メルが静かに十字を切ると、悪魔の身体は炎に包まれた。

2007/02/10 22:35 | Comments(0) | TrackBack() | ●アクマの命題

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