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2024/11/01 08:39 |
神々の墓標 ~カフール国奇譚~ 10/ヘクセ(えんや)
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PC:カイ ヘクセ
NPC:アティア 魔猿
場所:カフール国、クォンロン山頂、スーリン僧院本殿 祖霊廟前
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立ち上がったものの、カイの身体に積み重なったダメージは大きかった。
身体は鉛のように重く、目は霞み、左腕も上がらない。
さらに勝算と呼べるものすら、一つとして見出せていなかった。

だが、先ほど垣間見た幻が、不思議とカイの気持ちを落ち着けていた。

 ――勝算?俺は勝とうとしていたのか?
 ――力でも速さでも勝てぬ相手に?

カイは先ほどまで自分が抱えていた奢りに可笑しくなった。

 ――いや、勝たねばならぬと思い込んでいたのだな。

カイは相手を見やった。意識を失う前と異なり、白い毛があちこち抜け、斑になった異形の化け物。
しかし、それ以上に、先ほどまでの威圧感を感じとれなかった。

 ――小さくなった?いや、そう感じるのか…。
 ――それほどに、俺は恐れ、不安だったのだな。

カイは苦笑した。
風が頬を撫で、目の端に映る木々の枝が風に揺れる。
数百年の寿命を持つこれら木々にしてみれば、魔猿もカイも刹那の間現れる小さな存在に過ぎない。
カイはそんなことを漠然と思った。

魔猿が雄たけびを上げる。
大気を震わす咆哮をカイは静かに聞いていた。

 『猿は"言葉"を知らぬから、つたない"言葉"で咆えるしかない。』

幻の中で聞いた、ヘクセの言葉を思い出す。

「…なるほど。咆えるだけ…か。」

魔猿がそのまま身体を折り、力を溜め、弾かれるように一直線に跳躍する様を、カイは静かに見ていた。

 ――激情は筋肉を強張らせ、想いとは裏腹に動きを阻害し"速さ"を奪う。
 ――それ以上に、視野を狭め、"疾さ"を奪う。

カイはただ、大地の力に身を任せた。
カイは水平に"落下"し、魔猿の爪はカイの衣服のみを掠めた。

"井桁崩し"。自らにかかる沈下力を用い、水平方向に"落下"する技法。
カイは以前から修得していた。
ただ、本来の意味を悟ったのは、この瞬間だった。
自らの力のみに依らず、大地の力を聴き取る。
"大地に立つ"という意味。
自らの力のみで戦っていた頃には、決して心で理解し得なかった概念。

魔猿が意外そうな表情でカイを凝視する。
魔猿にしてみれば、カイが瞬間移動したように見えたのだろう。
魔猿は再び唸ると両腕を無茶苦茶に振り回しカイに襲い掛かる。
しかし、そのすべてがカイを捉えることはできなかった。

 ――先ほどの俺もそうだった。
 ――怒り。焦り。恐怖。責務。それらで、周りを見渡す余裕もなくしていた。
 ――結局は、これまで培ったことしか出来ぬのに。
 ――その時その時やるべきことをやる。必要だったのはその覚悟。

カイの中に、まだ怒りはあった。
恐怖が消えたわけでもなかった。
二人を守らなければならないという責務も抱いている。

しかし、カイはそれらに囚われてはいなかった。
それらは心の水面にうつる波紋のように、
ただ自己を、深く深く水の底へと沈めていった。

深く深く。

波の影響を受けぬ水底へと。

 ――なぜ、こいつはこれほどまでに怒ってる?

魔猿の猛攻にある、魔猿の怒りをカイはただ感じ取っていた。

 ――俺と同じなのか?俺を怖れて、そして憎んでいる。

自身に深く潜れば潜るほど、魔猿の怒りの陰に潜む憎しみ、焦り、怖れまで、カイには見えるようになってきた。

 ――いや、憎んでいるのは俺じゃない。人か…。

カイは魔猿の目が自分ではなく、"人間"に向かっていることすら悟った。

この怒りは愛するものを奪われたものの怒り。自らの拠るべきところを奪われたものの怨嗟。
魔猿が人に何をなされたのか、詳しくはわからない。
だが、それが魔猿にどれほど深い傷を与えたのかは、理解できた。

父とも言える大僧正を殺したことは許せない。

しかし、それとは別に、カイは魔猿が憎むべき魔物ではなく、同じ悲しみを抱いた存在になっていた。


 ――『明鏡止水』

あれは何時の事だったか。
大僧正がまだ武術指南役の一人に過ぎなかった頃、カイに語ったことがある。

「明鏡止水とは?」
「うむ。我を捨て、心を鎮め、天地と一体になったとき、
 初めて真に相手の姿を映すことが出来る。
 それが成し得れば、相手の成すことを全て読むことができるだろう。」
「…全て読む。…そんなことが可能なのでしょうか?」
「私にもまだ至らぬ境地さ。
 己を捨て、勝負の理を脱し、相手の心と一体になる。
 だがなぁ。我を捨てるのいうのは存外困難でなぁ。」

若き日の大僧正はかかかと笑った。

「『明鏡止水』などまだ分かりやすいほうだ。
 『色即是空』など、解することもかなわぬわ。」
「『色即是空』?」
「『この世の全ては無』だとかいうことらしい。
 『明鏡止水』も『色即是空』も私が見た『アカーシャの書』の写本の一節だ。」
「なんですか、それは?」
「カフールの御業の全てが記された書物らしいがな、真偽は知らぬ。
 不完全な写本しか世には出ておらぬし、それすら目にするだけでも幸運というものだ。
 果たして原本があるのかすら怪しい。
 私は、過去の偉人達の言葉をその都度書き加えたものではないかと思っているがな。」
「また、そのような怪しげな事を。」

遠い日に交わした何気ない言葉。
カイはそんな言葉など、大僧正の世迷い言だと思っていた。

しかし今ならわかる。

これが、"明鏡止水"だ。
いや、明鏡止水へと至る道の一歩だと。

そして、さらに遙か遠くまで、その道が延びていることも。

大僧正が最後まで至る事の出来なかった境地。カイはそこに足を踏み入れようとしていた。


   *   *   *


ヘクセは、地べたに腰を下ろし、両者の戦いを見守っていた。

「どのような生物・魔物でも、認識し、判断し、行動するまでに僅かな時差が生じる。
 反応するだけでも、一流の戦士で0.2秒。通常で0.35秒。
 これに判断が加われば、選択肢が多くなればなるほど0.2~0.6秒。
 合計0.5秒から1秒近くの時間差。
 
 一流の拳闘士の拳速がおよそ40km/h。2mの間合いを通過するのに0.166秒。
 仮に音速の拳とて340m/s。2mを0.006秒。
 両者の差は0.2秒もない。
 生体的な速度差など、実のところ大して違いはないのさ。
 戦闘における"疾さ"とは、つまるところ予見だ。
 相手がどう動くか相手の筋肉、目その他の予備動作から見極め、先に動き出す。

 その点、カフールの武技は実に合理的だ。

 相手の行動を読み、自らの行動の気配は見せず、その時間差を自らのモノにする。
 
 あの猿がどう動くか決めた瞬間には、カイはそれを読み動き出す。
 猿にしてみれば、カイが実際に動いた後にしか認識できないのだから、当るわけもない。
 後出しジャンケンもいいところだ。

 それにしても、相手の行動を読み、即応するためとはいえ、
 それを実現するために"闘争心"を否定し、
 "捨己従人"、"自他合一"という"許容"の概念を持ち出し、
 自己の精神、観念すら作り変えるとは、
 …まったく、恐れ入るよ。」

ヘクセがくくくと笑ってるその前で、カイは魔猿の攻撃を避け続けた。
興奮する魔猿には視野が狭くなるから、余計相手の動きが見えなくなる。
カイには、逆に魔猿の動きが全て読めた。
だからこそ、魔猿がどう攻撃するか決めた瞬間には、カイはそれを認識していた。
そして動作の起こりを見せぬよう、無駄な筋肉を使わず、重力に従い重心を移し身体を流す。

 ――あぁ、そうだ。"武"とは弱者が生き延びるための理だった。

カイは、相手や周囲、なにより自身の弱さを受け入れることで、初めて自らが培った技術の真の意味を悟った。

 ――ならば。

カイは魔猿の腕の下を潜りぬけ、魔猿の死角となる脇に立った。
魔猿はすぐに飛びのき、身体をカイのほうに向け、腕を振り下ろす。

 ――やはり、そうだ。

カイは確信した。
相手の動きが読めるのであれば、導くことも容易い。

カイは魔猿の懐に踏み込む。魔猿が腕を振り下ろす。その腕を潜り魔猿の側面に。
魔猿はあわてて振り向き、腕でカイを振り払おうとする。その腕がカイを捉えたと思った瞬間、
カイは自ら跳び、魔猿の手首に腕を絡め、振り切ったその瞬間に、伸びきった肘に剄を叩き込んだ。
魔猿は自らの振るった腕の勢いのまま、肘をありえない方向に曲げられる。
そしてカイは魔猿の背後に降り立っていた。
魔猿が次の行動に移る前に、カイは掌で水面を叩くように剄を打ち込む。

浸透剄

あらゆる防護を通過し、内部に衝撃を伝える技。

魔猿は身体を大きくのけぞらせ、虚空を見上げ、身体を数回震わせた後、崩れるように地面に倒れ伏せた。


   *   *   *


カイは魔猿を見下ろした。
まだかすかに息はある。

「殺さないのかい?」

後ろからヘクセが声をかける。

「………」

あらためて魔猿を見下ろす。
今なら容易にとどめを刺すことが出来る。だが…。

「大僧正の仇だろう?」
「………」

カイは動かない。
へクセはさらに尋ねた。

「許すのかい?」
「…許せない。だが…」
「だが?」
「…こいつもまた、人を仇と思い、それ故に今回のことを行ったのだとしたら、
 こいつらは俺達となにが変わるのだろう?」
「さてねぇ?その答えは君の中にあるのだろう?」
「………」

その時、魔猿が大きく身じろいだ。意識を取り戻したのだ。
カイは魔猿の顔を見下ろすと、一言だけ告げた。

「次はない。
 判ったら、去れ。」

カイはそう言うと、魔猿に背を向けアティアの元へと歩もうとした。
魔猿は仲間を仰ぎ見、自身の斑になった腕を見つめ、
それから唸り声と共に、カイに向かって飛び掛ると、その腕をカイに向かって振り下ろした。

カイははたして、魔猿の行動に意表を突かれながらもなお、武人の常として残心を解いてはいなかった。
いや、カイの至った境地が、魔猿が飛び掛るであろうということを、意識の裏で悟らせていた。
したがって、そこからのカイの動きは武人の本能に実に忠実であった。

歩み去る気配を見せながら、うらはらに斜め後ろに水平移動し、魔猿の懐に入り込み、攻撃を避けると同時に重心を崩す。
そして手刀の小指側の側面に、"気"を集中させ、薄く鋭い刃となす。
それを、大きく振りかぶりでもなく、力を込めるでもなく、ただ自らの勢いのまま突っ込む魔猿の首筋に、側面からそっと添わせた。
突っ込む勢いが大きければ大きいほど、横側からの僅かな力に、大きく方向を逸らされる。
ましてやそれが鋭利な刃物であれば、掠めただけで魔猿の命を奪うのには十分であろう。

カイはそれを分かっていた。

だからそうした。


刹那の交差。

自らの勢いに大きく吹き飛ばされた魔猿は、大地を転がりカイと立ち位置を入れ替えた。
ゆっくりと立ち上がり、カイにむかって振り向いた魔猿は、次の瞬間、首筋から盛大に血を噴き出した。
なにか吼えようとするも、気管すら裂かれ空気の抜ける音しかしない。

魔猿はどうっと倒れ、そして二度と起き上がらなくなった。


カイは何も言わなかった。


「不意を打たれたから、手加減ができなかったかい?」

ヘクセが声をかける。

「…いや。」
「殺す意思があったかい?」
「……あぁ」
「…憎さが勝ったかい?」
「……いや。…おそらく」
「…ただ、その結果があったかい?」

ヘクセの質問は詰問ではなく、本当にただ聞いているように思えた。
だからこそカイはヘクセの言葉に素直に耳を傾けられた。
そしてヘクセの最後の言葉が一番カイの中にしっくりきた。
怒りも憎しみも同情も許しも、全てを内包して、
ただこの刹那、起こった事象に対し素直に反応したらそうなった。それだけだった。

「…彼はきっと、
 異形と化した自分は群れに戻っても前と同じようには生きられないだろう、
 どうせならおまえさんに楽にしてもらいたい、
 そう思ったのかもしれないね」
「…そうだな。」

カイの中にも、魔猿の最後の咆哮の中の、哀しみと救い縋る声は届いていた。
それが最後の自身の行動に影響を与えたのかは、自身にも判然としないけれども、
不思議と、自身の行動に後悔も疑心も抱くことはなかった。

頬を撫でる風に、カイは秋の匂いを感じた。


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2010/01/29 20:59 | Comments(0) | TrackBack() | ●神々の墓標~カフール国奇譚~

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