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2024/11/01 10:25 |
Rendora - 6 /クロエ(熊猫)
キャスト:アダム・クロエ
NPC:シックザール・シメオン
場所:シメオンの屋敷→クリノクリアの森
――――――――――――――――

「私はもう行かなくては」

厳しい眼差しで、隠し通路の入り口――今はしっかり閉じて、
漏れた光のみが視覚を補っているだけの――を見ながら
シメオンが言った。

「時間がない。――では、頼む」
『はいっ』

アダムとクロエで同時に返事をして、顔を見合わせる。
クロエはくすっと笑ったが、アダムはきょとんとしたままだった。
それは驚きというより、クロエの笑顔に疑問を抱いているような
感が否めなくも無かったが。

「頼んだぞ」

念を押すように繰り返すと、互いの肩が触れ合うほどの狭い通路の中、
シメオンはぐっと体を抜き出して壁に手を当てた。
ごくん、という重低音のあと、入り口をふさいでいた扉が開く。
物置部屋に繋がっているので眩しくはないが、明り取りの窓からは
午後の陽気が流れ込んで、少なくとも通路よりは明るい。

「シメオン」

彼の姿が見えなくなることに急に不安を感じ、クロエは思わず
友の名を呼んだ。
振り返りかけるシメオンの脇腹にしがみつくようにして
胸に額を押し当てる。

「お土産、持ってきますからね」
「土産…?」
「私は、出かけるだけなのでしょう?またここに帰ってきてもいいのでしょう?
寂しがり屋のあなたが一人でいていいはずはありませんね?」

顔を上げ、笑顔でシメオンを見る。彼は拍子抜けしたような面持ちで
答えを探すことも忘れているようだったが、何かに思い当たったように
応えた。

「あぁ」

それがどの問いに対しての答えなのか――

「そうだな」

わからなかったが、クロエは満足してシメオンから離れた。
アダムの手を握りなおし、半身だけ振り返って手を振る。

「行ってきます!」

シメオンは手を振り返しこそしなかったが、
いくらか和らいだ表情で見送ってくれた。

「クロエさん、走るよ」
「ええ」

クロエとは違い、夜目が利かないアダムにとって
通路の中は真の闇に近いだろう。
しかし彼はあえて手を握ったままで先行してくれた。
もっとも通路は一本道だ。よほど迂闊なことをしないかぎり
前に進めばとにかく出られるはずである。

『アダムー暗いよー怖いよー』
「お前こんな非常事態によくそういう事言えるな」
『なんで僕が言う事全部がさも冗談かのように言うのさー!』
「わかった、わかったよ喚くなよ頼むから!ここ反響率ばっちりなんだから」

そんなアダムと名も姿も知らない剣の軽口でさえ、
反響して重々しく聞こえる。通路はいったん下り坂になり、
最後は上り坂になった。
どうやら屋敷の地下を避けて掘られているらしい。

「てっ」

ふと、アダムが足を止めた。
張り出した木の根にでもぶつけたか、片手で額を押さえてうめく。

「あいたー…」
「大丈夫ですか?休みましょうか」

アダムの顔を覗き込む。確かに、額にうっすらと乾燥した泥がついて
その下がほのかに赤くなっていた。しかしアダムは笑みを返す。

「ん、大丈夫。それにほら、もう出口だ!」

額に当てていた手で、前方を指差す。
その先には、光が通路に射し込んできていた。
出口は茂みの中にでもあるのか、生い茂った葉のシルエットが
額のように四角い光を囲っている。
無言で頷いて、クロエは暗闇に慣れた目を細めた。
アダムが怪我をしている肩をかばうようにしながら足を進める。

と――

「!」

悲鳴が聞こえた。

一人や二人のものではない。形あるものだけのものでもない。
なんの前触れもなく、数え切れないほどの悲鳴が塊になって迫ってくる。

思わず、空いている手で耳をふさぐ。
人としての形に慣れていないせいでその動作はぎこちない。
しかし耳をふさいだところで、姿の無い槍は確実に耳を通して
心に突き刺さり続けていた。

濡れたシーツを被せられたかのように、引き剥がすことさえできない。

小さいもの、大きいもの。高いもの、低いもの。
クロエは命を持っている者でさえあれば、形がなくともすべてと意志を
通わせることができる。
それはドラゴンとして生まれたものにとっては珍しいことでもないが、
今だけはその能力を呪わざるを得ない。

多くは精霊の悲鳴だった。異質なものを取り込んで、吐き出したいのに
吐き出せず、むしろその異物に飲み込まれようとしている。

そんなあらゆる種類の悲鳴が、幾重にも重なる層になって押し寄せてくる。
その中で、クロエは確かに友の慟哭を聴いた。

(あの子…シメオン…泣いてるの…?)

はっとして耳から手を離す。それをつながった手で感じたのだろう、
アダムが訊ねてくる。

「クロエさん?」
「悲鳴(こえ)が…」
「とにかく出よう」

アダムはわからないでも、何らかの危険を悟ったようだ。そのまま
二人で出口に飛び込む。
しぶとく生い茂った葉の波を振り払いながら、外に出る――

そこは森の中に開けた場所だった。下草もなく、目立った石も
落ちていない踏み固められた地面が顔を覗かせている。
その一角の巨大なクリノクリアの木の根元から、二人は
這い出ていたのだった。

(ここは…)

幼い頃、クロエとシメオンが遊び場にしていた場所だった。

「なんっ…?」

思い出に浸る間もない。
周囲を見て、愕然とアダムが言葉を詰まらせた。

「なんだよこれ…火事か…」

まわりを囲むクリノクリアの繊細な木、幹、枝。梢。
それら全てが、まるで鋳型に流し込まれたばかりの鋼のように
赤く染まっている。果ては遠く、この森全てを包み込まんとしていた。

「シメオン!」

脳裏に閃くものを感じて、度重なる悲鳴の中でもひときわ大きく
クロエは絶叫した。
突然のクロエの声に面食らっているアダムの腕を掴み、
激しくゆさぶりながら必死で懇願する。

「アダム、戻りましょう!これはシメオンの力です。こんなに大規模に
力を使ったら、シメオンは――!」

シメオンの力が強大なのはクロエも知っている。だがそれが
無限ではないことを、本人が一番よく知っているはずだ。
クリノクリアの森は広大だ。ドラゴンのクロエが悠々と空を泳げるぐらいの
その範囲を御するのに、一体いかほどの魔力と精神力が必要なのか
クロエには想像することもできない。

さきほど聞こえた悲鳴は、決して気のせいではなかったのだ。

「アダム!」

再度叫ぶも、アダムは口を引き結んで動き出そうとしない。
逆に手を握り返し、あろうことか前に進もうとする。
あらがうように腕に爪を立てるが、それでも力は弱まらない。

「お願いです、このままでは取り返しの付かないことになります!」

アダムは答えてこない。今までの温和な顔に無理やり眉根を寄せて、
厳しく前方を見つめていたかと思うと、押し殺すような声音で呟く。

「クロエさん、行かなきゃ駄目だ」
「どうし――」

そこで言葉は中断された。真っ赤に熾(おこ)った木々が、漣(さざなみ)
のごとく葉を軋らせながら枝を伸ばしてきていた。
シメオンはこの地を護るトレントを操る。しかしそれは自衛のためであり、
間違っても無抵抗な者にその手を下すことはさせないはずだ。

確実に何かがシメオンの身に起きている。その思いによって、
波打つ心拍が早鐘のように感情を突き上げていた。

「駄目なんだよ」

迫る枝――それに触れてどうなるかはわからないが、まず
間違いなくいい事にはならないだろう。それから逃れるように
強引にクロエの手を引いて、アダムが再度走り出す。
その力は強く、元々走ることに馴れていないクロエは従うしかない。
ただ顔だけを後方に向けて、遠ざかる壮麗なシメオンの屋敷を見る。
それを遮るように、伸びた蔓や枝が重力すら無視して
追ってくると、二人の影をむなしく撫でた。

「クロエさん、シメオンさんはきっと大丈夫だから」
「…」

手を引くアダムの声には焦りが感じられたものの、聴く者への配慮があった。
確かに"何か"は起こっているのだろう。その理由を説明する暇すらなく。

そんな状況下でのアダムの行動は、何も知らないクロエから見ても
正しいものだと思う。

それでも答える言葉を見付けられず、クロエは覇気の無い顔をうつむかせた。
しかし視界の端々に映る赤と、今だ地鳴りのように響く悲鳴は
遮ることができない。

「…橋が」
「え」

走るペースはだいぶ落ちてきている。が、呼吸の合間にクロエは息を
はずませながら言った。
古ぼけた記憶の中からこの森の地図を引っ張り出す。

「橋が――あります。この先に。ヴィヴィナ渓谷はさらにその先になりますが、
そこが一番の近道です」
「わかった」

視界に広がる赤という色彩は、体感温度や感情にまで影響してくる。
それは遠い過去にあったあの惨劇を彷彿とさせないでもなかったが、
クロエはまだ青みを残している空を見上げて自制した。

・・・★・・・

「どちくしょおおおお!」

肺を苛めるようにひときわ大きな声で、アダムが叫びながら
鞘に入ったままの剣で銀の蔦を打ち払う。が、打たれた蔦は
衝撃にひるむことなく逆に刀身を絡め取った。
どのみち傷ついた腕ではさほどの威力も出せまい。

剣が悲鳴をあげる。

『ちょっ、やだー!絡むなー!なにプレイなのこれ!』

相変わらず枝葉や蔓を伸ばしてくる森は、中に芯でも入っているかのように
鋭くその姿を変えながら二人を射止めんとしていた。
その中で絡んだ蔦を思い切り振り払い、すりぬけてゆく。

新鮮な水の香りがあたりを満たしていた。もっと周囲が静まれば
水音さえ聞こえているかもしれない。

暑さすら感じる赤い景色の中、とうとうクロエは切り取られた
空間を見出した。
吊り橋のロープが見える。もう少し進めばずらりと並んだ橋げたが
姿を見せるだろう。その事に少しだけ元気が戻る。

「見えました!アダム、あそこです!」
『きゃーっ!』

返ってきたのは剣の叫びだったが、クロエはとりあわずに
目の前に茂った枝をやんわりと手で押しやった。
できれば森の木を傷つけたくない。葉の一枚まで赤銅色に
塗られたそれは、まだ扱い慣れない不器用な手に薄く
赤い線を引いて通り過ぎた。鋭い痛みに顔をしかめる。

(シメオン…)

胸中で呼びながら、前を見て――クロエは呼吸をする事を
忘れた。

橋は確かにあった。クリノクリア・エルフの作ったものにしては
簡素なものだったが、遠い昔に渡ったときは頑丈そのものだった。
規則正しく張られたロープは橋げたを支え、上で飛び跳ねても
しっかりと体重を受け止めてくれそうなほどだった。

しかし目の前にあるのは、いくつか切られたロープ、そして
穴だらけの橋だった。しかも向こう岸に行き着くまでには橋げたが
数十枚ほど足りない。

初めて、クロエは自分が飛び越した年月の一端を見た気がした。
確かに橋は頑丈だった。百年前は。

「そんな――!」

切り傷の痛みを忘れて、クロエは絶望しながら橋に向かおうとし、
ぐん、と引き止められて足を止める。見ると、手で押しやったはずの
枝が蛇のように手首に巻き付いている。動けない。
それは粘菌のように枝分かれを繰り返しながら、じわじわと
棒立ちになって硬直しているクロエの身体を繋ぎとめていった。

「クロエさんっ」
『ぎゃー!!100パーセント檜風呂じゃん!』

首だけをひねってアダムの声に振向くと、彼もまた
木々に縫いとめられていた。その中で、繋いでいる手の
感覚だけが妙に生々しい。
剣の声も聞こえる。姿が見えないが、おそらく同じように
木の中に巻き込まれているのだろう。

服の上から肺を潰されて、ろくに呼吸もできない中でクロエは
目を閉じた。いまだ巻きついてくる蔦を頬に感じながら、
祈るように胸中で語りかける。

(シメオン…聞こえますか?)

木の精霊と話ができれば、それを操るシメオンともまた、
話ができるはずだった。しかし返事はない。

(貴方を助けるにはどうしたらいいですか?)

呻きが聞こえる。それはアダムのものに思えたが、
確認しようにも顔を覆った蔦を引き剥がさなければ
無理だった。

(お願いです、せめてアダムだけでも離してあげてください。
私はもう、人が消えるところなんて見たくないんです)

刹那。

ざぁっ、と鳥の群れが遠ざかるように、瞼を通して
光が差し込んできた。目を――いくらか自由になった目を
開くと、不恰好に伸びた枝や蔦から赤みがひいて、
もとの場所に戻ろうとしている。
それは時間が逆戻りするようでもあり、力尽きて落ちる
蛾のようでもあり、クロエの心をざわめかせた。

刹那。

ゴムのようにはじけた枝がクロエの身体を宙に放り出した。
だるま落としのように、意識だけを残して体だけが
横手にすっ飛んで行く。

空、赤みを取り戻した森、壊れた橋、驚いたアダムの顔、
伸ばされた手――

それらの断続的な光景がでたらめに配置され、
緩慢なその流れの中で、ついに身体は崖を通り過ぎた。

共に落ちた砂利が耳をかすめて上に流れる。
いきなり周りの速度が加速した。内蔵が浮き上がる感覚に
吐き気すら覚えながら、頭から落下してゆく。
耳を通り過ぎる風切り音は眩暈を感じるほど鋭く、痛みすらあった。

最後に見たのは、アダムの顔だった。

歯を食いしばりながらこちらに手を伸ばし、クロエの手を――
掴んだ。

「捕まえたッ!」
「!?」

少なくともクロエは数メートルは飛ばされたはずだった。
それに追いつくにはよほどの身体能力がないか、もしくは
落下地点を正確に予言できでもしなければ不可能である。

もっとも。

アダムは地を蹴り、クロエと同じ速度で崖から落ちていた。

『駄目じゃーん!!!!!!!』
「うるせぇー!」

剣のツッコミに、やぶれかぶれでアダムが切り返す。
クロエは落ちながら繋いだアダムの手を伝って身体を
引き寄せると、耳元で宣言した。

「しっかり、掴まっててくださいね」
「ふぇ?」

言われた台詞の内容より、耳元で囁かれた事に対して
アダムがぽかんと声を上げる。
クロエは手を繋いだまま身体を反転させると、
真っ向から地面に向き直った。
はるか下に、糸のように細く川が流れているのが見える。

目を閉じて意識をまっさらにする。それは念じるというより、
指輪を外すように容易い行為だった――。

クロエの身体が一瞬で光に包まれる。
瞬間、燐光を撒き散らしながら、クロエは元のドラゴンの
姿に戻っていた。

身体に沿うように畳まれていた翼を開く。
いったん空打ちした翼は風を孕み、歪んでいた長細い体躯は
一本の針のように伸びた。

ざあああああ、ともう目前に迫った河川の飛沫を真下に感じる。
流れに逆らいながら、クロエは急上昇して名も無い渓谷を
一気に脱出した。
急激な高低の移動によってかかる重圧すら心地良い。

ふと気になって――視線だけを後方に向けて問う。

≪アダムは、無事ですか?≫
『なんとか生きてるみたい。白目だけど』

剣と会話して、ほっとする。

暴風に晒された赤い森の――いくぶんかその範囲を狭め、
終息に向かっているようにも見えたが――木の葉が舞い上がり、
まるで紙吹雪のようにあたりに散って小さく渦を巻く。

≪行ってきます≫

遠い雷鳴のような鳴き声を森中に響かせ、クロエは
ヴィヴィナ渓谷から香り立つ濃い緑を嗅ぎながら、
はるか彼方に霞むフィキサ砂漠の白い砂を想像した。

この先へは、行ったことがない。

――――――――――――――――
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2007/06/22 01:25 | Comments(0) | TrackBack() | ○Rendora

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